『奇面館の殺人』綾辻行人/講談社

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今から四半世紀前の1987年、講談社ノベルスから綾辻行人のデビュー作『十角館の殺人』が刊行された。異能の建築家・中村青司が妻子を殺害して失踪、全国各地に彼が設計した奇妙な館が遺される。中村青司に興味を持つ主人公たちが彼の館を訪ねるたびに、凄惨な殺人劇の幕が切って落とされるのだ。この連作に魅了されたファンは畏敬の念をこめて〈館シリーズ〉の名を奉った。今では当たり前に使われるようになった「館ミステリー」の総称も綾辻行人以降にできたものである。
その「館シリーズ」の最新刊がついに世に出た。前作『びっくり館の殺人』以来5年ぶりの長篇である。綾辻はこの連作を10部作と予告しているので、9作目の本書は最後から2番目の作品ということにもなる。題名は『奇面館の殺人』だ。

『奇面館の殺人』は、ミステリー作家の鹿谷門美が同業者である日向京助から奇妙な依頼をされる場面から始まる。日向はある人物から招待を受けていたのだが、急な病のため応じられなくなったのだ。実は鹿谷と日向は瓜二つといっていいほどに風貌が酷似していた。偶然ながら生年も同じである。そのため日向は、彼を身代わりに立ててその会合へと向かわせることを思いついたのだ。
その会は2年ほど前から不定期に催されており、このたびで3回目になる。招待主は影山逸史という資産家の跡取り息子で、彼が東京都の山間部に持っている別宅の館が会合の場所になるのである。その館の初代当主である影山透一は、世界各国の珍しい仮面を趣味で蒐集していた。コレクションが随所に飾られた館は、一風変わった造りであるという。そう、「仮面館」もしくは「奇面館」との異名を持つその館は、建築家・中村青司の手によるものだったのである。中村が築いた数々の〈館〉を歴訪している鹿谷なら、きっとこの招待に興味を持つに違いない。そういう読みが日向にはあった。
依頼を受けて館を訪れた鹿谷は、他の招待客とともに奇妙な指示を受けることになる。館の当主・逸史氏に面会する際には、常に仮面を被り、素顔を晒さないようにしなければならないというのだ。それが奇面館のルールであり、使用人たちも従っていた。逸史には人間の表情に対する根源的な恐怖があり、素顔を晒し、また他人の示す表情に接することが耐えられないのだ。
こうして奇妙な滞在生活が始まる。館に到着したその夜、招待客たちは逸史と個別に面談を要求された。そこで投げかけられてきたのは、謎めいた問答だ。やがて深夜、季節外れの雪によって館が外界から隔絶されたときに惨劇が起こる。1人の命が奪われることになってしまうのだ。その死体は、無惨な形に損壊されていた。

「館」シリーズの既読者は、本書を読みながら記憶の奥底にあるものを刺激されるような感覚を抱くことだろう。それを懐かしさと呼んでもよい。
過去2作ではストーリーの後方に退いていた鹿谷門美が、本作では事件の当時者として出ずっぱりの活躍をする。話の展開としては第2作『水車館の殺人』や第3作『迷路館の殺人』に近い。シリーズ中もっとも奇妙な構造の館が登場するのは『迷路館の殺人』だが、奇面館は虚構の伽藍というべき迷路館の趣向の一部再現を目論んだものといっていいだろう。館の各所に創設者の蒐集品などが置かれているのは、第4作『人形館の殺人』や第5作『時計館の殺人』を思わせる。それらの設定が単に雰囲気づくりのために使われているわけではないのもまた同じ。小説のあるくだりで私は、プレイステーション版のゲーム「YAKATA」なども思い出しました。
似ているのは館の造りだけではない。小説の要素も過去の作品とつながりと持っている。主人公を含めた登場人物たちが常に仮面を被った存在として行動しているのは某作品と同じだし、謎解きのための手がかり集めと並行してドッペルゲンガー伝承に起因する不思議の風景や、とある登場人物の幻視体験などが立ち上ってくる。こうした要素は『水車館の殺人』以降の「館」シリーズ作品でたびたび顔を出していたものである。もっともそれが強く押しだされた『暗黒館の殺人』と本書は、ある登場人物を通じて連関を持っている。『暗黒館』のほうへ少し進めば、ぞろりと黒いものがはみ出してきそうでもある。

とはいえ、『奇面館の殺人』は過去の「館シリーズ」を読んでいない人でも楽しめる作品である。綾辻行人は自身がミステリーを楽しむ条件の1つとして「驚き」があることをよく挙げるが、もちろんその楽しみは本書にも満載されている。もし幸運なことに過去の作品を未読であるなら、本書を読んでから第1作『十角館の殺人』を読み始めるのもいいだろう。
これまでの「館シリーズ」でいえば、『迷路館の殺人』『時計館の殺人』『黒猫館の殺人』の3作の衝撃度が強かったように思う。『迷路館』はマニア心をくすぐられるものであり、『時計館』は世界が一変してみえるほどの風景の変貌に息を呑み、『黒猫館』はその作り込みの凝り方に賛嘆させられた。読者に予断を与えないために3作のどれに『奇面館』が似ていると感じていたかはここでは書かない。ただ、結末まで読み通した後に小説の最初まで戻り、なるほどこう書かれていたか、と確かめたくなる作品であるということだけは記しておきたい。
懐かしいと同時に、可愛らしいところもある作品だ。鹿谷門美以外のキャラクターでは武道の達人でありながら映画マニアでもある、メイドの新月瞳子がいい味を出している(仮面のメイドガイ!)。随所に過去の作品への言及もあり、シリーズ読者への気配りも怠らない。「僕たちが読みたかった綾辻行人」を提供しようという作者のサービス精神の賜物である。今年最初に読むミステリーは本書を措いて他にはないですよ。
 綾辻といえばアニメ版『Another』の放映開始も間近い。ファンにとっては、本とアニメの二本立てで楽しむチャンスである。
(杉江松恋)