「必ず見るのは『プレバト!!』と『ポツンと一軒家』」倉本聰が語っていたテレビマンへの“遺言”【追悼】
TVドラマ「北の国から」などを手掛けた脚本家の倉本聰さんが、9月18日に死去した。91歳だった。生前に倉本さんは、有働由美子さんとの対談で「オリジナリティを持て」と、テレビマンへのメッセージを語っていた。
【画像】「北の国から」に出演する役者たちと団欒。左から、地井武男氏(故人)、田中邦衛氏(故人)、岩城晃一氏、中嶋朋子氏、倉本聰氏、竹下景子氏(81年撮影)
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テレビマンへの遺言
有働 私はテレビの世界に就職して30年になりますが、いまや若い人はテレビよりYouTubeや、動画配信サイトを見ています。私はテレビに育ててもらったので、何とかしたいな、どうしたらいいかと考えるんですが、テレビマンに言っておきたいことはありますか?

倉本聰さんは、TVドラマ「北の国から」など数々の人気シリーズの脚本を手がけた ©文藝春秋
倉本 オリジナリティを持てということですね。テレビだっていくらでも面白くできるし。最近必ず見るのはバラエティの『プレバト!!』と、『ポツンと一軒家』です。どっちも企画がよくできていますよ。予算もあんまりかかっていないし。僕はね、よく「海抜ゼロから考えよう」と言うんです。テレビマンも海抜ゼロから企画を考えてほしいですね。
有働 海抜ゼロから考える?
倉本 8年ほど前に娘夫婦が富士山に登ったって言うんです。でも5合目までは車でね、「それじゃ1400メートルしか登ってないじゃないか」と言ったら、黙ってしまいました。それで、次に夏の終わりに電話がかかってきて、今度は一合目から登ったというんです。
有働 今度こそ登ったぞと。
倉本 でもね、1合目はだいたい海抜1500メートル。富士山は3776メートルですから、それを引いた分しか登っていないわけ。だから「本当に登ったと言うなら、海抜ゼロから登れ」と言いまして。
有働 倉本パパ、厳しい。
倉本 そうしたら今度は秋に、夫婦で駿河湾の田子の浦に足をつけてピースした写メールが送られてきました。それで初めて偉い偉いと褒めてやったんだけど。
何が言いたいかと言うと、私たちが「進歩」というとき、それは、五合目まで車で行けるようになったことを言っているんです。更に進歩すると、六合目までエスカレーターができたり、七合目にヘリポートができたりするかもしれない。そうすると、登る距離はどんどん短くなりますよね。だけど、本当は頂上よりも五合目、いや一合目のほうが断面積は広いわけです。海抜ゼロから見れば、ものすごく視野が広がるし、選択肢が増えますよね。いま富士登山は4つのルートがありますが、全然違うルートを発見できるかもしれない。僕は、海抜ゼロからものを考えないと新しいものができないと思うんです。だから、上へ上へ行くことが進歩なんじゃなくて、裾へ裾へと下りていくことが本当の進歩なんじゃないかと。
裕次郎に嫉妬した学生時代
有働 例えばどんなことをすれば、海抜ゼロから考えられるんでしょう。
倉本 いろんなやり方があると思いますよ。中学時代はどんなものの考え方をしていただろう、母親と初めて腹を割って話をしたときにどんな会話をしただろう。そんなふうに自分の原点に立ち返ることですよ。
有働 倉本さんの原点には何があるんですか。
倉本 僕にとっては11歳のときに見た終戦の焼け跡。そして、大学生になって新宿西口の飲み屋で飲んでいるころ、一方で石原慎太郎さんの『太陽の季節』が出てきて、石原裕次郎というまぶしい存在が逗子でアロハシャツを着てヨットを操縦していて。その後ずいぶん経ってから裕次郎と仲良くなったけれども、当時は眉をひそめましたよね。一体どうすればあんな人生になるんだろうって、みんな嫉妬したと思う。そんなことを思い出したりします。
※この続きでは、「最後に作りたいドラマ」について倉本聰さんが語っています。約8600字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』に掲載されています(倉本聰×有働由美子「『北の国から』感じる日本崩壊の危機」)。
(倉本 聰,有働 由美子/文藝春秋 2021年3月号)
