あと一歩で十両優勝を逃した輝 中学横綱の実績をひっさげ角界へ 「相撲の稽古は一歩ずつ死に近づく」と語る“ツンデレ”指導・高田川親方のもと稽古に精進する32歳の大器 三賞・三役へいざゆけ!

大相撲秋場所は、石川県七尾市出身の輝が東十両11枚目で11勝4敗の星をあげた。
初日から10連勝するなど、最後まで十両優勝争いを先頭で走る活躍を見せ、健在ぶりをアピールした。
入門前は、大きな体をいかした相撲で「中学横綱」の称号を手にした実績もある輝。その強さの原点、そして角界での奮闘を振り返る。
中3で身長193センチ、体重145キロ 中学で“相撲留学”能登半島の七尾市出身の輝(本名・達綾哉)は、中学入学のタイミングで地元からおよそ70キロ離れた相撲の強豪校、金沢市の西南部中学校に進んだ。
中学3年生の時には、身長は193センチ、体重は145キロと申し分のない体格で、教室にいればひときわその姿が目立つ。
「稽古が厳しいから」高田川部屋に 中学卒業での入門を決意輝は、中学3年生のときに全国中学生相撲選手権(全中)の個人戦で優勝し、「中学横綱」になった。
そして、中学卒業で角界の門をたたくことになるが、夢をかなえるための修行の場に選んだのは、元関脇・安芸乃島が師匠の高田川部屋だった。
「高田川親方は、稽古の時はものすごく恐ろしい存在だと思いますけど、稽古が終わったらとてもやさしくなる。あそこの部屋の稽古がとてもきついということがやはり一番合っているかなと思ったので、高田川部屋に決めました」と、当時の輝は話していた。
2010年(平成21年)春場所に初土俵を踏んだが、「ツンデレ」親方の指導のもと稽古に励むことになる。
「相撲の稽古は一歩ずつ死に近づく」 高田川親方の究極の指導方針入門から1年余りたった2011年(平成22年)の名古屋場所前、輝は本名の達のしこ名で三段目の地位で土俵に上がっていた。
突き押し相撲を磨くべく、申し合いやぶつかり稽古を精力的に行う達。ぶつかり稽古は「仕上げ」の意味合いがあるが、それが終わってからも親方のゲキは飛んだ。
高田川親方(元関脇・安芸乃島)「なんだその四股はコノヤロ!足プルプルプルプルしやがって」
稽古の厳しさ、激しさには定評のある高田川部屋だが、指導者として必要なことを究極的な言葉で親方は語っていた。
高田川親方(元関脇・安芸乃島)「相撲の稽古は一歩ずつ死に近づくような稽古なんですね。ですから、最終的には最後まで自分で追い込むことはできないんですよ。そこが親方の仕事と思ってるんですね。追い込んでやるってことですね」
順調に関取へ 縁戚の横綱・輪島の下の名前「大士」を輝は2014年(平成26年)九州場所で十両に昇進、2016年(平成28年)初場所に入幕を果たす。
新十両を機に輝に改名をしたが、下の名前は「大士(たいし)」縁戚にあたる、同じ七尾市出身の横綱・輪島の下の名前「大士(ひろし)」からとった。
関取になってからも激しい稽古を続けたが、稽古後のちゃんこでは親方も表情を緩める。
高田川親方(元関脇・安芸乃島)「輝の一番いいところは素直で純粋なところ。素直に一生懸命ついてきてくれるところがいいところで、今からどんどん変わっていく」
中学時代の輝 「10年後の自分は横綱」真摯な姿勢で土俵を務める輝、中学時代の取材で「10年後の自分に何て言う?」と尋ねたとき、こう答えていた。
「10年後の自分は、もし横綱へ上がっていたら、そこから負けることのないようにがんばってください」
十両の土俵にはお手本の鉄人・玉鷲が 三賞・三役・幕内優勝を狙いたい幕内在位は43場所、最高位は前頭3枚目、現在は32歳の輝だが、三役経験や三賞の獲得はない状態だ。
十両昇進時、決意を示す色紙には「三役」の文字があった。
地元・石川のファンは、三役、そして三賞を期待するところだが、同じ十両で「お手本」になるような力士がいる。
玉鷲である。
41歳の玉鷲は名古屋場所で十両に陥落したが、秋場所は10勝5敗で見事勝ち越した。来場所は返り入幕が濃厚である。
玉鷲は2019年(平成31年)初場所に幕内で初優勝を果たしていて、この時は34歳。そして、2022年(令和4年)秋場所では2度目の優勝もやってのけたが、この時は37歳だった。
「角界の鉄人」とも評される力士であるが、これを思えば、輝も幕内優勝を十分狙えるというもの。玉鷲の最高位は関脇だが、鉄人のように、三賞、三役、優勝を勝ち取る資質は十分にある。
あと一歩で逃した十両優勝。石川県の相撲ファンははがゆい思いで千秋楽の取組を見たであろう。それでも、恵まれた体から繰り出す正攻法の相撲には、ロマンが詰まっている。
幕内の土俵で大きく花開くことを期待せずにはいられないのだ。
