古びた畳の合わせ目には、死んだ男だけが知るはずの“秘密”が隠されていた(sasaki106 / PIXTA)※写真はイメージ

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怪談師・怪談作家として全国を歩き、実際に収監を経験した人々や刑務官を取材しながら“塀の中の実話怪談”を蒐集してきた正木信太郎氏。

その正木氏が聞き集めたエピソードをまとめたのが、書籍『刑務所怪談 刑務所で起きた身の毛がよだつ30の怪異』(彩図社)だ。

舞台となる施設や体験者の人物像はプライバシーに配慮してぼかされているが、語られる出来事の根幹は、確かな取材に基づいた事実だという。

第5回で正木氏が書き留めるのは、重い罪を犯した長期受刑者が集まる“LB級刑務所”の、ある雑居房で起きた出来事だ。

老人ばかりの房で、病死した河合に代わり、50代の新人が移送されてきた。古株たちは退屈しのぎに、新人を死んだ河合の“身代わり”に仕立て始めるが、やがて新人は、面識すらないはずの河合そっくりに変わっていきーー。

※この記事は正木信太郎氏の書籍『刑務所怪談』(彩図社)より一部抜粋・構成。

10年以上“メンバー固定”の房に新人が…

LB級と呼ばれる特殊な区分がある。Lはロング、すなわち長期受刑者。Bは犯罪傾向が進んでいる者、いわゆる裏社会の人間や再犯者を指す記号だ。LB級刑務所とは、重い罪を犯し、果てしない時間を塀の中で過ごす男たちが吹き溜まる場所である。

これは、そんなLB級刑務所の、ある雑居房で起きた話だ。

その雑居房は、定員5名。

十畳ほどの畳敷きの部屋には、饐えたような独特の生活臭が染み付いていた。湿った布団のカビと、トイレの消毒液と、加齢臭が混じり合った、老人ホーム特有のあの匂いに似ていた。

住人は全員、70代から80代の老人たち。最も刑期の短い者でも、ここで15年は暮らしている。家族よりも長く互いの顔を見続け、いびきのタイミングから、飯を食う時の咀嚼音の癖まで、すべてを知り尽くしていた。

そんな固定された古株たちの輪の中に、河合という男がいた。この部屋の主のような存在で、ひょうきんな性格で好かれていたが、ある年の冬、流行り風邪をこじらせて、あっけなく病死した。

朝、布団の中で冷たくなっていた河合が運び出された後、残された4人の老人たちは、友を失った悲しみというよりは、長年使い慣れた家具が一つなくなったような、不便で空虚な喪失感を覚えたという。

その欠員として、別の刑務所から移送されてきたのが、新人だった。新人といっても50代半ば。強盗傷人の罪で15年の刑を受けたベテラン受刑者だ。だが、10年以上もメンバーが固定されていたこの部屋において、彼は完全な異物でしかなかった。気弱で、どこかおどおどした目をした新人は、古株たちの無言の圧力に萎縮し、部屋の隅で小さくなっていた。

陰湿ないじりに当初は反発も

陰湿ないじりが始まったのは、新人が配役された初日の夜からだ。古株の4人は、退屈しのぎに、新人を死んだ河合の代役に仕立て上げることにした。

夕食後の余暇時間。リーダー格の老人が、湯呑みを片手に声をかけた。

「おい、河合さん。お茶が入ったぞ」

新人はビクリと肩を震わせ、困惑した顔で振り返った。

「あ、あの……私は違います。林田です」

か細い声での否定。すると4人は顔を見合わせ、ニヤニヤと粘りつくような笑みを浮かべた。

「おやおや、河合さん、少し見ない間にボケたかい?」

「自分の名前を忘れちゃいけねえな。あんたは河合だろ? ずっとここにいた、俺たちの連れじゃねえか」

巡回の担当刑務官も気づき、「おい、いい加減にしろ。新人が困っているだろう」と鉄格子越しに注意したが、老人たちはシワだらけの顔で悪びれもせず嘯(うそぶ)いた。

「何言ってるんですか、担当さん。俺たちはこいつが早く馴染めるように、可愛がってるだけですよ」

「そうだよなぁ、河合さん」

同意を求められた新人は、蒼白な顔で俯(うつむ)くしかなかった。

朝起きればおはよう河合さん。作業から戻ればおかえり河合さん。寝る前にはおやすみ河合さん。

新人は当初こそ違います、と反発していたが、一か月もすると無気力にそれを受け入れるようになった。

「……はい、お茶ですね」

「おう、気が利くな河合さんは」

老人が喜び、新人が従う。古株たちは悪ふざけに満足し、それは日常の一部として定着していった。

「あいつ、妙に似てないか?」

空気が、どろりと淀み始めたのは、半年が過ぎた頃だ。

最初に違和感を覚えたのは、担当刑務官だった。

新人の様子が、おかしい。入所当時は背筋の伸びた、比較的肉付きの良い男だったのが、急激に痩せ細り、背中が極端に丸まっていた。歩き方も変わった。以前のキビキビとした動作は消え、膝を擦るような、トボトボとした独特のリズムで床を進む。

食事の時の、箸の持ち方。考え事をする時に、貧乏ゆすりをする癖。そして、時折漏らすカッカッという、喉の奥を鳴らすような乾いた咳払い。

それらすべてが、死んだ河合の特徴に、不気味なほど酷似し始めていた。

「……おい。あいつ、妙に似てないか?」

ある夜、古株のひとりが消灯前の薄暗い部屋で気味悪そうに呟いた。リーダー格の老人も、眉をひそめて新人を見つめていた。新人は壁に向かって座り、河合が生前好んでいた時代劇の雑誌を、河合と同じように顔を近づけて読んでいた。

「ああ。俺たちに合わせて演じてるんだろうが……ちと、やりすぎだな」

「馬鹿にしてんのか」

「気味が悪い。いつまであんな真似を続けるつもりだ」

死んだはずの河合がそこに座っているような錯覚が、老人たちの間に広がっていた。決定的な夜が訪れた。

就寝前の自由時間。刑務官が部屋の前を通ると、異様な光景が目に入った。新人が部屋の隅で畳に這いつくばるようにして、指先を動かしている。

カリ、カリ、カリ……。

静まり返った部屋に、爪で畳を引っ掻く微かな音が響いていた。古株たちはテレビを見るのをやめ、薄気味悪そうにその背中を見つめていた。リーダー格の古株が、たまりかねて苛立たしげに声をかけた。

「おい、何してるんだ。うるさいぞ」

新人の動きが止まった。振り返らないまま、ボソリと呟く。声質まで、しゃがれて変わっていた。

「……ここだったかな」

新人は、古びた畳の合わせ目に痩せた指を強引にねじ込んだ。ガリッ、と畳表がめくれる硬い音がして、彼はその隙間から、何かをつまみ出した。

古株たちが目を凝らす。新人の指先に挟まれていたのは、親指の爪ほどの大きさに小さく折り畳まれた、黄ばんだ紙片だった。

「……え?」

古株たちが半狂乱に

新人はその紙片を丁寧に開き、中身を確認すると、満足そうに一つ頷いて、肌着のポケットに大事そうにしまった。遠目にも分かった。それは、数年前に刑務作業の工場で行方不明になり、看守総出の大騒ぎになった作業伝票の一部だ。当時、河合がメモ用紙にするんだと言ってこっそり持ち出し、隠していたものに違いなかった。

部屋の空気が、一瞬にして凍りついた。テレビの音だけが、空虚に響いている。

古株の4人は、河合と15年以上も同じ釜の飯を食い、同じ部屋で寝起きしていた。

だが、河合がその畳の隙間に物を隠していたことなど、一度も見たことがなかった。その隠し場所は、この部屋で死んだ河合だけが知っていた、たった一つの秘密だったはずだ。

新人は、入所してまだ半年。河合とは面識すらない。

「お、おい……」

古株の一人が、震える声で絞り出した。顔色が土気色(つちけいろ)に変わっている。

「なんでお前、それを知ってるんだ? なあ、誰に聞いた?」

新人は、ゆっくりと顔を上げた。蛍光灯の明かりに照らされたその顔を見て、老人たちは息を呑んだ。

目が半月状に細められ、口の端がだらしなく下がり、焦点の合わない瞳が宙を泳いでいる。生前の河合が、都合の悪いことを追及された時に誤魔化すために浮かべていた、あのとぼけた表情、そのものだった。

「ヒッ……!」

悲鳴を上げたのは、いじめていた老人たちの方だった。

「担当さん! 担当さん!」

古株たちは半狂乱になって鉄格子に駆け寄り、格子を掴んで叫んだ。

「こいつを出してくれ! 部屋を替えてくれ!」

「頼む! もう一緒にいられない! こいつは河合だ! 死んだ河合なんだよ!」

さっきまで新人を嘲笑(あざわら)っていた老人たちが、涙目になり、涎(よだれ)を垂らさんばかりの勢いで刑務官に縋(すが)りついている。

その大騒ぎの後ろで、新人だけが一人、自分の座布団の上にちょこんと座っていた。

自分を拒絶し、恐れおののくかつての仲間たちを、不思議そうに、しかしどこか懐かしむような穏やかな目で見つめながら。

翌日、新人は別の部屋へと移された。

残された古株の4人は、それ以来、互いにほとんど口を利かなくなった。長年見慣れたはずの畳の目を、誰も目で追わなくなった。部屋の隅に視線が向くたびに、顔を背ける。

その畳は、今もそこに敷かれたままだ。