《上皇さまが「葬儀縮小」に込めた思い》明治以前のように葬儀を簡素化し人々への負担を緩和したいとのお考え 「皇室の葬儀の大改革」の決意を政治はどこまで汲み取れるのか
宮内庁が上皇の意向を踏まえ、将来の葬儀を大幅に縮小する方向で検討していると一斉に報じられた。象徴天皇としての務めを全うし、常に国民に寄り添ってきた上皇らしく、「国民生活への影響を極力少なくしたい」という思いが背景にあるとされる。
「天皇の葬儀」をめぐる歴史を紐解くと、現在の天皇の葬儀は、古来からの伝統を引き継ぐものではないという。古代から中世までは土葬と火葬が混在して、明治になるまでは天皇の薄葬化が進んできたのだ。そして、明治維新で天皇の権威が復活する中で、明治天皇の葬儀以降は大規模な厚葬となったという。【全3回の第3回】
戦後の新しい皇室典範に基づいた葬儀の規定が作られなかった
昭和天皇の葬儀も明治以降の厚葬の流れを引き継いで行なわれた。
天皇の葬儀の方式については大正15年の「皇室喪儀令」で法制化され、殯の期間などの儀式が細かく定められた。神祇祭祀と皇室制度が専門の久禮旦雄・京都産業大学法学部教授はこう語る。
「皇室喪儀令は日本書紀に書かれた内容や平安時代の儀式などを参考にしながら、仏式の儀式を抜いて古代の天皇の葬儀はこういうものだろうという考えでまとめられている。戦後、皇室喪儀令は旧皇室典範とともに廃止されたが、その際、政府から依命通牒という通達が出され、新しい定めができるまではそれまでの皇室令を準用すると決められた。
本来なら、政府は日本国憲法下の新しい皇室典範に基づいた葬儀の規定を作って然るべきなのに、それを怠った。そのため、昭和天皇の葬儀は戦前の皇室喪儀令を準用しつつ、憲法の政教分離と整合性をとりながら行なわれ、大規模なものになった。昭和天皇の葬場殿の儀では皇室喪儀令に準じて天皇や皇族による拝礼が行なわれたが、昔は天皇や皇族は穢れの場所だからその場にはいなかったと考えられます。拝礼などの儀式は明治以降でしょう」
それゆえ、上皇は葬儀を土葬から火葬に変更することで殯の期間などを短縮し、さらに生前退位をすることで上皇の葬儀を天皇より縮小しようとしたのではなかったか。神道学者で皇室研究者の高森明勅氏が指摘する。
「上皇さまは皇室の歴史を振り返り、葬儀を明治以前の伝統である薄葬に戻したいという思いがあるのでしょう。皇室の菩提寺だった泉涌寺では今も天智天皇から昭和天皇まで歴代天皇のご尊牌(天皇の位牌)が祀られているが、御寺泉涌寺を護る会の総裁は秋篠宮殿下で、泉涌寺の行事に宮内庁の職員が関わることも慣例となっている。上皇さまのビデオメッセージのお言葉などから拝察すると、生前退位を望まれた背景にも、上皇であれば葬儀を明治以前のように簡素化して人々への負担も緩和できるというお考えがあったように思われます」
しかし、そうした思いは政府に届かなかった。
現上皇の生前退位を可能にするために作られた退位特例法には、上皇の葬儀について、「喪儀及び陵墓については、天皇の例による」(第三条の3)と天皇と同じ規模にすることが盛り込まれたのだ。
「そこで上皇さまは今回改めて、宮内庁を通じて昭和天皇のように大々的な葬儀は必要ないだろうというご意思を示されたのでしょう」(久禮氏)
宮内庁担当記者は今回の宮内庁の方針をこう見ている。
「葬儀の縮小が上皇のご意向であることは宮内庁もわかっていましたが、注目されていたのはその規模をどの程度にするかでした。それは『葬場殿の儀』の場所をどこで行なうかによって変わってくる。宮内庁内部には皇居宮殿ではさすがに狭いので即位の礼を行なった東御苑で行なうという案もあったが、今回、宮殿で参列者も2500人と昭和天皇の4分の1に大幅に縮小するのがご希望だとわかった。これは皇室の葬儀の大改革といっていいでしょう」
だが、皇室行事である「葬場殿の儀」は上皇の意向で大幅に縮小できても、国家行事である「大喪の礼」の規模を決めるのは政府だ。
果たしてこの国の政治は、上皇の思いを汲み取って「大喪の礼」を縮小する方針を打ち出せるか。
(第1回から読む)
※週刊ポスト2026年9月25日・10月2日号
