ダウン症の息子の6年の生涯、「幸せな瞬間あった」と知ってほしくて…母の写した命の証しがCMに
決して離すまいと固く我が子を抱きしめる父親。
身を委ねる男の子の表情は幸せに満ちていながら、どこかはかなげだった。
「しあわせな瞬間(とき)」。そんなテーマで募った写真をつなげた「明治生命」(現明治安田生命)のテレビCMが放映されたのは2000年9月。シンガー・ソングライター小田和正さん(78)が歌うヒット曲「言葉にできない」に合わせて映し出された父子の1枚は、大きな反響を呼んだ。
写っていた加藤秋雪君は、CM放映の時には亡くなっていた。ダウン症の合併症で心疾患を患っていた。わずか6年の生涯だった。

それでも、撮影した母・浩美さん(62)=当時36歳=は幸せな時間があったことを知ってほしくて応募した。「たったひとつのたからもの」。写真のタイトルにそう名付けて。(社会部 坂本早希)
心臓病抱えた我が子との日常、カメラに収める
1992年10月19日、結婚1年で生まれた待望の第1子は、体重2414グラムの小さめな赤ちゃんだった。産院から自宅に連れ帰ってからもずっとぐったりしていた。心配になって加藤浩美さん(62)が産院に相談したのは、秋雪君が生まれて1週間がたった頃。大きな病院の受診を勧められた。
その年の末、自宅のある埼玉県の県立小児医療センターでダウン症と診断された。心臓に穴が開く合併症も抱えていた。「1歳の誕生日は迎えられないかもしれない」。医師の言葉に打ちのめされた。
ダウン症は本来2本の21番目の染色体が3本ある疾患だ。発達の遅れや筋力の弱さのほか心疾患を伴うことも多い。「染色体が1本多いだけで、命まで奪われないといけないのか」。認めたくなかったが、やらなければならないことは多かった。

とにかく体に負担をかけてはいけない。風邪に気をつけ、自宅の室温や湿度の管理を徹底した。虫歯による細菌の侵入も恐れ、嫌がるのを押さえつけて歯を磨いた。「体力を奪うから泣かせないように」と医師に言われて困った。
「うちの家系にそういう病気はなかったのに」「節目のお祝いはしなくていいんじゃないかしら」。親戚から心ない言葉を浴びるたび、悔しさを押し殺した。
幸い、秋雪君はすくすくと育った。3歳になると、障害を持つ未就学児が通う「いずみの学園」(埼玉県桶川市)に通い始めた。「1人では歩けない」と言われたが、訓練して7歩まで歩けるようになった。
言葉を発しなくても感情表現は豊かだった。風呂上がりには自分の腕をさすりながら保湿クリームを差し出す。腕に塗ってあげると、「キャッ」と笑った。園でお気に入りの女の子の近くにいる時は、何とも言えない満足げな顔になった。
そんな我が子の姿を残したいと、浩美さんは写真を撮り続けた。カメラは高校時代からの趣味だった。週末には夫の正さん(69)も一緒に遠出し、行く先々でシャッターを切った。
「このままずっと生きてくれるのでは」。淡い期待は、はかなく消える。
6歳になった98年秋頃から秋雪君の体力は徐々に落ち、寝ている時間が多くなった。鼻水やたんには血が混じるようになった。ブロッコリー以外は何でも食べたのに、プリンやヨーグルトしか口にできなくなった。
99年1月3日昼、県立小児医療センターに連れて行った。検査を終え処置室に行くため担架に寝かせた直後だ。起き上がろうとした秋雪君の全身から力が抜けて倒れ込み、そのまま動かなくなった。「廊下で待っていてください!」。急いで処置室に運ばれる担架を見送り、床に崩れ落ちて嗚咽(おえつ)した。「ついにこの日が来た」。40分ほど後、死亡の診断が下された。
西日の強い夕方だった。自宅に連れ帰る車内で、冷たくなった我が子に語りかけた。「まぶしいね、秋ちゃん」。遺骨は3人でよく行った茨城・大洗の海に船からまいた。
秋雪君の担当だったセンター遺伝科の大橋博文医師(66)は、「心疾患も重く、かなり重症のダウン症患者だった」と明かす。
幸せな瞬間、確かにあった
「きょうも生きてくれた」。そうかみしめながら眠りに就いた日々が突然終わり、心にぽっかり穴が開いたようだった。振り返ってもほとんど記憶がない。何もする気になれず、ただ食べて寝るだけの毎日だったように思う。
カメラ雑誌で明治生命(現明治安田生命)の写真コンテストを知ったのは、1年がたった頃だ。テーマは「しあわせな瞬間(とき)」。「あなたが撮った写真がCMになります」との見出しが目を引いた。
ダウン症の「秋ちゃん」、父に抱きしめられ
子育てをしている時、「かわいそう」と周囲に気遣われるのが嫌だった。楽しい時間、幸せな思い出もたくさんあったと知ってほしくて、アルバムを見返した。
1枚の写真に目が留まった。亡くなる前年の98年8月19日、大洗海岸で撮ったものだった。ひとしきり遊んで帰ろうとしていた時、夫の腕の中でもぞもぞする息子がかわいくて思わずシャッターを切った。「また来られるかな」。祈るような気持ちだった。
保険会社が起用…反響メール続々「涙あふれた」
「たったひとつのたからもの」とのタイトルには、あの子だけを大切にしてきたという夫婦の思いを込めた。応募から約2か月後の2000年春。入賞とCM起用を知らせる連絡があった。
応募書類には、ダウン症のことや亡くなったことは書かなかった。重い障害を抱える人は生命保険に加入しづらいと聞いたこともあった。
「うちの子が保険会社のCMに出ていいのでしょうか」。CM制作を担う広告会社「アサツーディ・ケイ」(ADK、当時)の担当者が自宅を訪ねてきた時、不安を打ち明けた。
「家に帰って家族を抱きしめたくなるようなCMにしたい。問題ありません」。力強い返事に安堵(あんど)した。
ADKのクリエイティブディレクターだった江村浩一さん(65)は明かす。「我々も視聴者の反応を心配して明治生命に伝えたが、『これだけ良い写真を世に出さないわけにはいかない』と明治生命の意志は固かった」
コンテストには1万6537点の応募があった。ほかには結婚式で笑顔を見せる新郎新婦、生まれたばかりの弟を見つめる男の子などの写真が選ばれた。それら11枚をつなぎ、「あなたの守りたい人は誰ですか」と問いかける30秒のCMが作られ、00年9月から01年8月まで放映された。
父子の写真の反響は大きかった。「涙があふれた」「守りたい人のことを考えた」。消え入りそうな命を必死に守ろうとする両親の思いが伝わったのか、明治生命には大量のメールが寄せられ、秋雪君の一生を複数枚の写真でたどる90秒の特別編が制作された。
シンガー・ソングライターの小田和正さん(78)は以来、26年にわたり明治安田生命のCMに楽曲を提供し続けている。所属事務所は「ご縁が続いているのは、加藤さん一家との出会いがあったから。明治安田生命のCMが流れる度にご家族のことを思い出します」とコメントした。
浩美さんの元には出版社から手記の執筆依頼が舞い込んだ。コンテストの応募作と同じタイトルを付けて03年に刊行した手記には、新たに100枚以上の写真を添え、一家の6年間を丁寧につづった。
保育士の誘いでボランティア、心の傷癒える
「子どもたちを撮影するボランティアをしてくれないかしら」。CM制作の話と前後して、いずみの学園の保育士に声を掛けられた。
久しぶりに園を訪れると、秋雪君が使っていたロッカーには新たに入園した男の子の荷物があった。つらい気持ちがよみがえったが、お誕生日会や七夕会、クリスマス会といった園の行事に参加し、無心でシャッターを切った。
現像した写真は園内に掲示したり、母親たちにプレゼントしたりした。「こんな笑顔、家でも見せない」。感謝される度に心の傷が癒えていくのを感じた。
しばらくたった頃、卒園した母親も含めて保護者の交流会を作った。ランチをとりながら、日々の生活や進学の悩みを打ち明け合う場にした。園の保育士・山田幸子さん(49)は「浩美さんが教室にいてくれると見守られているようで、みんな安心できた」と振り返る。
夫婦で秋雪君と訪れた地を巡る旅も始めた。あの子の人生を背負わせてしまう気がして、第2子を作る気にはなれなかった。口数の多くなかった夫はますます寡黙になった。殺伐とした家の雰囲気を少しでも変えたかった。
あの一枚を撮った大洗海岸、栃木の那須高原や日光……。月命日などに合わせ、夫の運転で巡った。訪れた先では、春夏秋冬で違った美しさを見せる景色をカメラに収めた。夫は3人で来た時の思い出をぽつりぽつりと語り始め、ほつれた夫婦の絆が徐々に結び直されていくのを感じた。
悲しみを癒やしてくれた時間の経過は、図らずも周りの環境を変えていく。
いずみの学園に息子を知る保育士や母親はいなくなり、子どもの写真を撮らないでほしいという親の声を聞くようになった。保護者の交流会でも、子どものいなくなった自分と、子どもを支え続ける母親たちとで悩みを共有できないと感じることが多くなった。園から足が遠のいた。
6年間の手記、今も誰かの力に
「もう当事者じゃない」。寂しさを感じていた24年末のことだ。ダウン症の家族を持つという20歳代の女性から、手記の感想をしたためた手紙をもらった。
手紙は「今の命を精一杯」という手記の記述に触れ、「自死を考えた私には宝物のような大切な言葉です」と書かれていた。手記はその翌年、中学校の道徳の教科書にも採用された。あの日々が今も誰かの支えになっていることが、素直にうれしかった。
今年に入り、撮りためた数万枚の写真の整理を始めた。異動で園に戻ってきた旧知の保育士から「今のお母さんたちの励みにもなる」と、写真展を開くよう勧められたからだ。
生き生きした顔を眺めていると、大変だったけど楽しかった日々が鮮明によみがえる。つらい別れから立ち直れたのは、あの子が作ってくれた人とのつながりのおかげだった。自分もまだ、誰かを支えることができるかもしれない。そう思いながら、写真を一枚、一枚見返している。
さかもと・さき 2014年に入社。青森支局などを経て、現在は東京本社社会部。加藤秋雪君とは1歳違い。明治生命のCMは小学3年生の頃、実家のテレビで見て以来、ずっと心に残っていた。35歳。

