上皇さまのご意向とは(時事通信フォト)

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 宮内庁が上皇の意向を踏まえ、将来の葬儀を大幅に縮小する方向で検討していると一斉に報じられた。象徴天皇としての務めを全うし、常に国民に寄り添ってきた上皇らしく、「国民生活への影響を極力少なくしたい」という思いが背景にあるとされる。上皇がそうした思いを抱くに至った「天皇の葬儀」をめぐる歴史を紐解く──。【全3回の第1回】

【写真】昭和天皇の「大喪の礼」。“八瀬童子”の装束を身に着けた皇宮護衛官に担がれ葬場殿へ向かった

明治以来の皇室像を大きく転換させようとしてきた

 第一報となったNHKの報道は具体的だった。昭和天皇崩御の際には新宿御苑に特設した総檜造りの葬場殿で本葬にあたる「葬場殿の儀」が行なわれたが、上皇、上皇后の意向を受けて〈皇居宮殿の「松の間」に「殿舎」を設け、宮殿の各部屋や廊下なども使って行う方向で調整〉、参列者も昭和天皇の大喪の礼の約1万人から〈2500人程度へと大幅に縮小する方向〉と報じている。

「上皇さまはかねて、葬儀の縮小への強い思いをお持ちでした。生前退位されたこととも深くつながっています」

 そう指摘するのは神道学者で皇室研究者の高森明勅氏だ。

「その生涯をかけて象徴天皇のあり方を深く考えてこられた上皇さまは、明治以来の皇室像を大きく転換させようとしてきた。葬儀の縮小もその重要な一つです。父の昭和天皇の容体が悪化してから崩御までの半年近く、日本全国が自粛ムードに覆われ、祭りやクリスマスイベントテレビのお笑い番組まで中止が相次いだ。皇太子だった上皇さまはそうした状況を非常に憂慮し、『自粛の行き過ぎは陛下のお心にかなうものではない』という趣旨のメッセージを出された」

 即位後の2013年には宮内庁を通じて葬儀をそれまでの土葬ではなく火葬にする方針を発表。

「そして2016年に国民に向けて発表したビデオメッセージのお言葉のなかで、『天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます』と述べられ、『こうした事態を避けることはできないものだろうか』と生前退位を望む思いを語られた。上皇なら自粛による影響もある程度小さくできる。それを縮小していくことでより国民に寄り添った象徴天皇像をつくっていきたいという強い願いが感じられます」(高森氏)

 天皇の葬儀は天皇制とどう関係してきたのか。

 上皇は前述のビデオメッセージのなかで、「殯(もがり)」の儀式について具体的にこう述べている。

「天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ2か月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません」

「殯」とは通夜にあたる儀式で、昭和天皇の「御大喪」の際には、殯が1月7日の崩御から2月24日の大喪の礼まで48日間行なわれた。

極度の緊張感に包まれた儀式が40日間近く続く

 まず仮通夜にあたる「しん殿祗候(しんでんしこう。「しん」は木偏に親)」という儀式で遺体を住居であった吹上御所に14日間仮安置し、皇族や旧皇族が24時間体制で付き添った。

 そして皇族方が最後の別れを告げる「拝訣(はいけつ)の儀」を経て、遺体を木製絹張りの内棺に納める「御舟入(おふないり)の儀」、さらに内棺を銅製の外棺に納める「斂棺(れんかん)の儀」が行なわれた。

 次に霊柩は「殯宮移御(ひんきゅういぎょ)の儀」で皇居正殿の松の間に設けられた仮の御殿「殯宮」に安置され、本通夜にあたる「殯宮祗候」という儀式が行なわれ、皇族などの礼拝を受ける。この殯宮祗候は殯宮二十日の儀、殯宮三十日の儀、殯宮四十日の儀など多くの儀式が続き、皇族をはじめ旧皇族、首相、国会議員、皇宮護衛官、宮内庁職員などが交代で棺に付き添った。

 昭和天皇の殯宮祗候に参列した宮内庁関係者の話だ。

「殯宮は20×30メートルほどの照明がない真っ暗な部屋で、棺の前に椅子が20脚ほど並んでいました。皇族代表、旧皇族、国会議員、皇宮警察、宮内庁職員ら関係者らが交代で入り、それぞれ45分間着席したまま動かない。隣の人の心臓音が聞こえるほどの静けさ、咳き込むこともできないほどの重々しい雰囲気、極度の緊張感に包まれました。これらの儀式が40日間近く続きました」

 殯が終わると本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」になる。昭和天皇の葬儀は新宿御苑に特設された総檜造りの「葬場殿」で営まれたが、憲法の政教分離の観点から、皇室の私的な宗教行事としての「葬場殿の儀」と、国家行事(国葬)の「大喪の礼」とに分けて行なわれた。

 当日は早朝から皇居で「殯宮祭の儀」を終えると、霊柩を殯宮から轜車(専用の霊柩車)に乗せて運び出す出棺は「轜車の儀」と呼ばれ、新宿御苑までの沿道では冷たい雨の中、約20万人の国民が見送った。

 そして新宿御苑に着いた霊柩は「葱華輦(そうかれん)」と呼ばれる輿に乗せられ、雅楽を演奏する楽師たちに先導され、古装束に身をつつんだ皇宮護衛官たちに担がれて「葬場殿」に安置された。この時、歴代天皇の輿や棺を担ぐ役目を負ってきた京都の八瀬童子(やせどうじ)たちも随伴した。

 葬場殿に霊柩が安置されると、先に皇室行事の「葬場殿の儀」が行なわれた。その後、政教分離のために葬場殿正面に設置されていた鳥居が撤去され、告別式に当たる「大喪の礼」となった。霊柩は新宿御苑から陵墓である武蔵野陵に運ばれて土葬されたが、ここでも沿道で約33万6000人が見送った。

「大喪の礼」には米国のブッシュ大統領やフランスのミッテラン大統領はじめ164か国から40人以上の国王、大統領などの国家元首が参列、首脳外交の場にもなった。

 警備に動員された警察官はのべ約3万2000人、陵墓の造営まで含めて投じられた国費はざっと100億円だった。

 こうした儀式や行事と「新時代に関わる諸行事が同時に進行すること」の負担の大きさを上皇は危惧し、"お気持ち"をビデオメッセージで国民に伝えたわけだ。

(第2回に続く)

週刊ポスト2026年9月25日・10月2日号