【戦後81年】「国がやらないなら私が」日本人女性の執念、51年ぶり台湾での遺骨発掘調査を実現 国を動かした7年にわたる聞き取り調査『every.特集』
7月、台湾で51年ぶりに戦没者の遺骨発掘調査が行われました。
その実現の背景には、台湾で暮らす1人の日本人女性、舘量子(たち・かずこ)さん(44)の7年にわたる執念と強い思いがありました。
■51年ぶりとなった日本政府による台湾での遺骨発掘調査

台湾南部の恒春半島。
白い砂浜が広がる海岸からほど近い場所で、7月20日、戦没者の遺骨を探す発掘調査が始まりました。
日本政府による遺骨の発掘調査が台湾で行われるのは、1975年以来、51年ぶりです。
日本戦没者遺骨収集推進協会 井上達昭団長
「近くの海で沈没した船からの遺体が流れ着いて、火葬してこの場所に埋めたという証言を得まして」
その様子を見守っていたのが、今回の発掘調査につながる重要な証言を集めた舘量子さんです。
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舘さん
「誰もやってないからこそ、私は絶対にやろうっていう、国がやらないなら私が」
舘さんが7年にわたり台湾で続けてきた活動が、およそ半世紀ぶりの調査につながりました。
■10万人以上が犠牲になったともいわれるバシー海峡

太平洋戦争末期、台湾とフィリピンの間に位置するバシー海峡では、兵士や物資をのせ日本と東南アジア方面を結んでいた輸送船がアメリカ軍の攻撃で相次いで沈没しました。
バシー海峡周辺では、10万人以上が命を落としたともいわれています。
海に投げ出された人々の中には、海流に運ばれ、台湾南部の海岸に流れ着いた人もいたとみられています。
舘さんは、漂着した遺体がどこに埋葬されたのか、その場所を探し続けてきました。
■台湾出身の元日本兵との出会いが遺骨探しのきっかけに

19年前に日本語教師として台湾に渡った舘さん。
遺骨探しのきっかけとなったのは、台湾出身の元日本兵たちとの出会いでした。
舘さん
「台湾出身の元日本兵のおじいさんたちが、このバシー海峡にずっと手を合わせてくださっていて」
交流を重ねる中で、「戦争で亡くなった方々のことを大切にしなければいけない」という思いが膨らんでいきました。
台湾で暮らす日本人として、慰霊の心を引き継ぎたいと、7年前に本格的に遺骨を探すことを決意しました。
■「証拠が足りない」政府を動かせなかった7年間の苦労

日本政府による台湾での遺骨の発掘調査は、1975年を最後に途絶えていました。
戦没者の遺骨収集の歴史に詳しい帝京大学の浜井和史教授は、その背景として、遺骨の多くはすでに持ち帰られたという政府見解があったことや、1972年に日本が台湾と断交したことも、調査の実施を難しくした要因だと指摘します。
国を動かすためには、埋葬場所を示す具体的な情報が必要でした。
舘さんが聞き取りを始めたその年、海岸近くに住む江新點(コウ・シンテン)さんから重要な証言を聞くことができました。戦時中、海岸で目撃した日本兵がこんな日本語を話していたと証言しました。
江新點さん
「バカヤロー! 頑張れ!ここまで来たら、命があるんだから、頑張れ!」
力尽きそうになる日本兵を、仲間が平手打ちしながら必死に励ましていたといいます。
海岸には遺体も流れ着き、地元の大人たちが火葬し、埋葬する様子を弟と一緒に見ていたとも話してくれました。
そして、弟の新潭(シンタン)さんは、遺体を埋葬したという場所を覚えていました。
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江新潭さん
「日本兵がこのあたりに流れてきて。この岩場のところで」
しかし、重要な証言を得て日本政府に報告しても、調査の実現に向けた動きはなかなか進みませんでした。
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舘さん
「現地のお年寄りの証言だけでは証拠が足りないので、政府は動けませんということで」
「国が相手にしてくれるまでは私が必ず、ずっと続けていこうという」
舘さんは、遺骨を日本へ帰したい一心で、発掘の日を待ち続けました。
■「ちょっとした生きる希望」父をバシー海峡で亡くした船橋美奈子さん

日本には、家族の帰りを待つ人がいます。
バシー海峡で父を亡くした船橋美奈子(85)さんです。
父の小池周一さんは、船橋さんが3歳だった1944年10月、乗っていた輸送船がバシー海峡周辺で撃沈され、29歳で亡くなりました。
戦死の知らせが届いたのは終戦の後でした。
船橋さん
「母が言うのには遺骨はなくて」
「ひと握りの砂が遺骨代わりということでした」
船橋さんは、51年ぶりの発掘調査に希望を感じているといいます。
船橋さん
「もしかしたら、じゃあ私もDNA(登録)しておけば判明するのかなんて」
「ちょっとした生きる希望が、1年くらい寿命が延びた感じがします」
■7年にわたる思い、自ら鍬を握った舘さん

一人の民間人が集めた証言が国を動かす重要なきっかけとなり、およそ半世紀ぶりの発掘調査が実現しました。舘さんも自ら鍬を握ります。
舘さん
「掘れたらいいなとずっと思ってました」
「この下にご遺骨が本当にあるかな、掘り起こしたら出てくるかな、見つかったらいいなというそういう気持ちで」
舘さんは、発掘が始まったことを伝えるため、7年前に埋葬場所を証言してくれた江新潭さんのもとを訪ねました。
95歳になった新潭さんは、今は当時の記憶を言葉にすることが難しくなっていました。
江新潭さんの息子
「女性一人で外国に来て、自分の国の人たちの遺骨を探している。その志を本当に尊敬します」
舘さん
「この7年間、ずっと本当にお二人にお世話になってきたので」
「(江さんたちの)証言がなかったら、そもそもスタートできていないです」
■「焼けた石」発見も遺骨には至らず

発掘が続く現場では、気になるものが見つかりました。
井上団長
「焼けた石と思われるものが出ております」
「もしかしたら戦争中にここで火葬した跡かもしれませんし」
火葬との関係は確認できませんでしたが、舘さんは期待を寄せます。
舘さん
「ここで焼いたと聞いていますので、焼いた可能性があるものが出てきたというのは、どんどん近づいているのかなって思っています」
その後、炭が集中している地層も見つかりましたが、今回の調査では遺骨の発見には至りませんでした。
舘さん
「ご遺骨を残念ながら見つけることはできなかったんですけれども」
「次につなげられる第一歩になったのは、よかったかなと思っています」
■専門家「新しい局面を迎えた」 民間からの情報で実現した調査

51年ぶりとなった今回の調査について、帝京大学 浜井教授はこう評価します。
帝京大学 浜井和史教授
「今回、民間からの情報に依拠するようなかたちで政府による調査が行われたということは、(台湾での遺骨収集は)新しい局面を迎えたなと捉えています」
台湾側は、引き続き調査に協力する姿勢を示しています。
一方、厚生労働省の委託を受けて職員を派遣した団体は、調査結果を検討した上で、今後の再調査については、日本政府が慎重に判断するとしています。
再調査に向け日本政府への働きかけを続けるという舘さんは、決意を語りました。
舘さん
「『一緒に帰りましょう』と亡くなった方々にもずっと約束してきたので、その約束を果たしたいと思います」
