#4 物語を読むように、西田哲学を体験する醍醐味──若松英輔さんと読む、西田幾多郎『善の研究』【NHK100分de名著ブックス】

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若松英輔さんによる西田幾多郎『善の研究』読み解き #4

西田幾多郎の『善の研究』は、日本初の哲学書とされ、難解な名著として知られています。しかし、批評家・随筆家の若松英輔さんは、「4つの章を逆から読む」と、その思想は驚くほど身近なものになるといいます。

『NHK「100分de名著」ブックス 西田幾多郎 善の研究』では、「知と愛」「善」「純粋経験」などの5つのキーワードを手がかりに、西田哲学を私たちの日常へと引き寄せながら、「生きる」ことの本質を見出していきます。

2026年7月~9月に開催の「100分de名著」シリーズ・図書カード全員還元キャンペーン対象書籍でもある本書より、「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第4回/全5回)。

第1章──生きることの「問い」 より

『善の研究』を読む態度

 本を読むときに、ある人は概略や結論、あるいは要点を知ろうとします。しかし、たとえば好きな小説家の作品を読むとき、私たちはそうした道を選びません。「物語」を追体験しようとします。主人公が経験する困難に思いを馳(は)せ、想像力をはたらかせて、「わがこと」として考えます。

 書物に「物語」を読む。このことが本書で、皆さんと試みてみたいことなのです。ここでいう「物語」とは、単なる事実の列挙ではなく、考えが深まっていく道程であり、展開であり、終わりなき持続でもあります。それは、早急に結論を求めるのではなく、西田が考えつつ歩いた道を私たちもまた、私たちなりに歩いてみることです。

 重要なのは、彼が何を見たのかに「ついて」知るのではなく、彼が見たもの「を」、私たちもまた、自分の人生を反芻しながら発見していくことです。『善の研究』を書いた動機をめぐって西田は、この本の「序」で次のように述べています。

 この書は余が多年、金沢なる第四高等学校において教鞭(きょうべん)を執って居た間に書いたのである。初はこの書の中、特に実在に関する部分を精細に論述して、すぐにも世に出そうという考であったが、病と種々の事情とに妨げられてその志を果すことができなかった。かくして数年を過して居る中に、いくらか自分の思想も変り来(きた)り、従って余が志す所の容易に完成し難きを感ずる様になり、この書はこの書として一先ず世に出して見たいという考になったのである。

(序)

 まず、この本の実在に関する部分の構想が生まれた。しかし、本を書きたいと思ったけれど病気やいろいろな事情で、このままだと完成しないかもしれない。だから試論の形ではあるけれども、まずは世の中の人に読んでもらって、人々と一緒に哲学を掘っていくことを決めたというのです。つまり、『善の研究』を書くにあたり、結論が出ないことを承知で論を進めているのです。

 この「序」は、『善の研究』の冒頭にありますが、書かれたのは本文が確定してからです。つまり西田は、この本には「問い」と「問いの深まり」があるだけで、「結論」は示されていない、というのです。

『善の研究』を読むという経験は、山頂を目指していくというよりも、西田と一緒に山中を迷いながら歩くことにほかなりません。暗い道を、微かな光に導かれつつ、彼が歩く。私たちもその道を歩いてみることで、西田と一緒でなければ見ることのできない存在の深みを垣間見ることができる。それがこの本を読む醍醐味(だいごみ)です。

 そもそも真の意味での読書とは、言葉という船に乗って、「問い」という大海を旅することです。プールのような狭い場所で物を眺めることもできます。しかし、そこには生きたものはないのです。

全体像を把握する

 さらに西田は、この本の成立に関してこうも記しています。

 この書は第二編〔実在〕第三編〔善〕が先ず出来て、第一編〔純粋経験〕第四編〔宗教〕という順序に後から附加(ふか)したものである。

(同前、〔 〕内は著者注)

 この本は書かれた順番に章立てが作られているわけではありません。第一編は三番目に書き上がった。最初に完成したのは第二編にあたる実在論だったというのです。

 完成の経緯だけでなく、西田は読み方をめぐっても興味深いことを書いています。第一編は自分の思想の根本をなすものであるが、初めて読む人はここを読まなくてもよいというのです。

第一編は余の思想の根柢である純粋経験の性質を明にしたものであるが、初めて読む人はこれを略する方がよい。

(同前)

 第一編「純粋経験」には、この本の試みがもっとも大胆に語られている。哲学的素養のある人は、ここから読み始めてもよいが市井の人にはむずかしいかもしれない。だから次の「実在」を論じた章から読んでほしいというのです。

 もちろん、西田の提案通りに読んでもよいでしょう。しかし、これはあくまでも参考意見の一つです。作者はいつも、自分が何を書いたかをすべて認識しているわけではないからです。ことに『善の研究』のような創造的な著作はそうです。

 さて、第三編の「善」に関して西田はこのように述べています。

第三編は前編の考を基礎として善を論じた積(つもり)であるが、またこれを独立の倫理学と見ても差支ないと思う。

(同前)

 第三編の「善」は、第二編「実在」の延長ではなく、「独立」した一書たり得る、というのです。「倫理学」というと、世の善悪を論じる学問というイメージがあるかもしれません。しかし、西田がいう「倫理」は、少し語感が異なります。それは「人生学」くらいに考えた方がよいでしょう。

 最終編にあたる第四編「宗教」に関しては次のように述べています。

第四編は余が、かねて哲学の終結と考えて居る宗教について余の考を述べたものである。この編は余が病中の作で不完全の処も多いが、とにかくこれにて余が云おうと思うて居ることの終まで達したのである。

(同前)

 哲学は、宗教を語ることによって帰結する、と西田はいいます。先ほど第一編の「純粋経験」にふれたとき、西田は自分の「根柢」の問題だと述べていました。「実在」の編は、哲学の始まりでした。「善」の編は、自己が開花する道程を論じたものであり、「宗教」は、帰着点を示したものだというのです。

 この一節は、彼の生涯にわたる哲学者としてのあゆみを暗示しています。第4章で詳述しますが、西田は最後の論考(発表は没後)となった「場所的論理と宗教的世界観」でも同じことを述べています。『善の研究』が刊行されたのは、彼が四一歳になる年です。彼は同質のことを亡くなる七五歳のときにも綴っているのです。

 ここで注意したいのは、彼が考えている「宗教」が、現代人が考えている宗派的宗教とは異なるものである、という点です。

「宗」という文字は、人間を超えた大いなるものを意味しています。東洋哲学や仏教の研究において大きな業績を残した中村元(なかむらはじめ)は、「人間の究極のよりどころである真理、実在、を『宗』とよび、それは言語で表現できず、人間の思考を超えたものである。これを言語表現をかりて説かれたものが『教』である」(「靖国問題と宗教」『中村元仏教の教え人生の知恵』河出書房新社)と述べています。

 少し矛盾を感じるかもしれませんが、宗派的宗教の姿を取らない「宗教」──人間と大いなる存在をつなぐもの──も存在します。西田にとって、哲学はその典型でした。哲学は、西田にとって出発の時点から最後まで、「宗教」と不可分の関係にありました。この「宗教」については主に第2章で詳述します。

 のちにふれますが、西田の影響を大きく受けた哲学者であり、「民藝(みんげい)」の提唱者でもある柳宗悦(やなぎむねよし)にとって「美」にふれることは、西田のいう「宗教」と深く関係していることでした。

 また、西田の生涯にわたる友だった鈴木大拙(すずきだいせつ)という仏教哲学者がいます。世界に禅を広めた人物でもありますが、禅と浄土、仏教とキリスト教、あるいは仏教と心理学などさまざまな分野、世界を架橋(かきょう)した人でもありました。

 大拙の思想を考えるとき、宗教を無視する人はいません。まったく同質なことが西田にもいえます。戦後日本における「哲学者」という呼び名が、西田のなかにあった宗教的問題に覆いをかけることになっていったことは否めません。

 哲学は人間を救い得るか。あるいは、哲学は人間を救いへの道に導くことができるか。これが西田の生涯を通じた問題だったのです。こうした問いを内包した哲学だったからこそ、戦後の人々の心の飢えを満たす波及力があったのではないかと思います。

『善の研究』を読む順序

『善の研究』を繰り返し読むなかで、あることに気がつきました。この本は、編を追うごとに平易になっていきます。つまり、最後の第四編が私たちにとっていちばん読みやすくなっているのです。それだけでなく、各編でも最後に近づくにつれ、読者に親しみやすくなっています。

 そこで、本書では次のように逆の順序で『善の研究』を読み解いてみたいと思います。

  第四編「宗教」→第三編「善」→第二編「実在」→第一編「純粋経験」

 このように読むことで、『善の研究』で語られた問題を私たちの日常生活により近しいかたちで感じることができるのではないかと考えています。

 哲学は、「彼方(かなた)の世界」を認識しようとする試みでもあります。この「彼方の世界」は西田のいう「宗教」と同質のものです。そして西田が考えた哲学は、彼方の世界への理解は日常生活のただなかで深められることを証明しようとしたものでもあったのです。

著者

若松英輔(わかまつ・えいすけ)
1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016 年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018 年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33 回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16 回角川財団学芸賞受賞。著書に『イエス伝』(中公文庫)、『生きる哲学』(文春新書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社/文春文庫)、『詩集 見えないものを探すためにぼくらは生まれた』『探していたのはどこにでもある小さな一つの言葉だった』(亜紀書房)、『詩と出会う 詩と生きる』『14歳の教室 どう読みどう生きるか』『考える教室 大人のための哲学入門』『はじめての利他学』(NHK出版)など多数。
※刊行時の情報です。

■『NHK「100分de名著」ブックス 西田幾多郎 善の研究 日常で深める哲学』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。

※本書における『善の研究』の引用部分は、岩波文庫(二〇一二年改版)によります。

※本書は「NHK100分de名著」において、2019年10月に放送された「西田幾多郎 善の研究」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「現実の奥にある『真の現実』を求めて~西田幾多郎『絶対矛盾的自己同一』を読む」を収載したものです。