「遺族だって笑いますよ」27年前に妻を殺された高羽悟(70)さんが「今が一番幸せ」と語る理由…長男が出会った“奇跡の結婚相手” 《名古屋主婦殺人のいま》
1999年11月に名古屋市西区のアパートで主婦の高羽奈美子さん(当時32歳)が殺害された事件。犯人の安福久美子被告(逮捕当時69歳)が2025年10月末に逮捕され、今年3月上旬には殺人罪で起訴されたが、依然として詳しい犯行動機は分かっていない。
【写真を見る】28歳になった息子・航平さんの現在。古希の祝いにもらったネクタイを身に付け、笑う高羽さん
犯人逮捕のために26年間闘い続けた奈美子さんの夫・高羽悟さん(70)は、逮捕直後から現在に至るまで、報道陣の取材対応に追われている。そんな多忙な日々を送るなか、束の間の休息に漏らした現在の「偽らざる心境」とは--事件の取材を続けるノンフィクションライターの水谷竹秀氏がレポートする。【前後編の前編】
「遺族が明るく振る舞うと叩かれるような気がする」
「今が一番幸せですよ」
生ビールのジョッキを手に、高羽悟さん(70)がしみじみ語った。6月下旬、都内にある居酒屋でのことだ。翌日から、息子の航平さん(28)、その妻の咲月さん(29)と3人で北海道へ旅行に出かける予定だった。
「古希を迎える私の誕生日祝いと父の日を兼ねて、息子夫婦が旅行に誘ってくれたんです。飛行機に乗るのなんて20何年ぶりで、搭乗手続きとかわからない。だから行きだけは息子夫婦に一緒に行ってもらいたくて、羽田空港で待ち合わせです」
そう語る高羽さんは嬉しそうに、北海道での旅程表を見せてくれた。
「咲月さんがこんなに丁寧に作ってくれたんです。すごいですよね」
そこには時間ごとに行き先がわかりやすく表にまとめられていた。その晩、高羽さんは羽田空港近くのホテルに宿泊し、翌朝、北海道へと旅立った----。
高羽さんの妻、奈美子さん(当時32)が自宅アパートで首などを刃物のようなもので刺されて死亡してから約26年、現場近くに住む主婦の安福被告が殺人容疑で逮捕された。以来、高羽さんはメディアの取材が殺到し、テレビにも引っ張りだこで、講演依頼も舞い込むなど多忙な日々が続いている。そんな中で自然に口から出た「幸せ」という一言だった。
事件の遺族が新聞やテレビに登場する時、その姿はどこか悲しげだ。辛い過去を思い返して涙を流す時もある。そこには、被害者の無念や遺族の思いを伝えたいというメディア側の意図も反映されているだろう。
だが、一旦カメラを離れれば、遺族が見せる素顔は、悲嘆に暮れてばかりいるわけではない。時間の経過とともに少しずつ笑顔を取り戻し、酒を飲むこともあれば、歌う時もある。彼らは遺族である前に、喜怒哀楽を持った1人の人間のはずだ。
そんな問いかけをすると、高羽さんは「自分が特殊なのかもしれませんが」と前置きした上で、こう語った。
「遺族が泣いていなきゃいけないというのは、僕はないと思います。遺族だって笑いますよ。でもネットなど世間一般は、遺族にはいつも泣いていてほしいのではないかと感じます。だから明るく振る舞うと叩かれるような気がします。
ただ、僕らから言えば、奈美子は殺されたけど、僕と航平の人生まで突き落とされ、家族がバラバラになるなんて、奈美子は望んでいないと思う。やはり親子で元気な姿を見せることが奈美子への供養にもなる。残された人だけは幸せに生きて欲しいと思っているはずです」
高羽さんが抱えていた「不安」
もっとも高羽さんとて、事件直後は涙を堪えながら生きてきた。当時、1人息子の航平さんは2歳。物心がつく前に母親を殺害され、その将来を考えると不安に押しつぶされそうだった。
「片親で航平がちゃんと育つかどうかも心配だったし、僕の両親が元気だったから航平の面倒をみてくれるかなと思いながら、自分は仕事を続けられるかどうかも不安だった。毎日頭の中がぐるぐる回っていて、あんなに心配したことはなかった。早く大人になってくれないかなという気持ちでした」
事件は未解決のまま時が過ぎたが、航平さんはすくすく育った。地元の大学を卒業後、就職のために上京した。
航平さんの成長とともに、高羽さんの胸につかえていたのは結婚のことだ。交際相手ができれば、いつかは「殺人事件の被害者遺族」という事実を相手の両親にも明かさなければならない。それが成婚を阻む要因になりはしないか、という不安も常に頭をよぎっていた。
「母親が殺されたような家の息子と結婚するのはどうなのか。そう思う親がいるのではないかというのは常に考えていました。嫁に出すほうとしては、旦那の母親が殺されて犯人もわかんないから、いつかまた襲いに来るかもしれない。そう思ったらやっぱり、心から祝福して嫁に出せないと普通の親は考えるでしょう。だから理解のある親であってほしいと切に願っていました」
それは2023年秋のことだった。
東京から帰省した航平さんの隣に、1人の女性が寄り添っていた。玄関で出迎えた高羽さんは突然の出来事に動揺してしまい、思わず尋ねた。
「どうした?」
「2人で年末から一緒に暮らすことになったから」
航平さんはそう言い残すと、彼女を連れて2階へ上がった。その女性こそが、後に妻となる咲月さんだった。咲月さんの母は、奈美子さんの親友でもあった。
航平さんと咲月さんは高校時代同級生で、一時期は交際していた。事件のことは当然知っているし、咲月さんの母は何よりも一番の理解者だった。高羽さんが振り返る。
「あの時は本当に嬉しかったなあ。ちゃんとした人と結婚できるかという心配がありましたが、奈美子の友達の娘さんと結婚するなんてもう本当に奇跡じゃないですか。うちの事情を説明する必要もないし、理解もしてくれている。それだけでも本当に幸せなことです」
「よく頑張ったね」
2人は2024年11月に結婚した。その1年後、事件発生から約26年という年月を経て犯人が逮捕された。
「正直に言えば、犯人はもう捕まらないと思っていました。だからせめて犯人にはいつ捕まるかとビクビクしてもらうために、取材を受けたり情報提供を呼びかけるチラシを配ったりして活動を続けてきました。
それがもう青天の霹靂です。知人や周りからは『よかったね』『よく頑張ったね』って言われて、泣けてくる。本当にありがたいなと」
逮捕から3日後に営まれた法要の際、咲月さんから「お父さん、今度70歳を迎えるときに旅行へ行きましょう」と誘われ、今回の北海道旅行が実現した。函館の旅館で、2人からネクタイをプレゼントされ、咲月さんの誕生日も一緒に祝った。高羽さんが感慨深げに語る。
「26年前のことを考えると込み上げてくるものがありますね。なんであんなに苦しくて悩んでいたんだろうって思っていましたが、その当時の自分に『幸せな時が来るから頑張れ』って声をかけてあげたいですね」
プレゼントされたネクタイを巻いた高羽さんは、優しい笑みを浮かべながら、写真に収まっていた。
一方、逮捕、起訴された安福被告は、高羽さんの高校時代の同級生で、高羽さんに好意を寄せていた。警察の取り調べに「子育ての苦労をわからせてあげたかった」などと動機をほのめかす供述をするも、その後は黙秘に転じている。後編ではそんな安福被告側の態度に、高羽さんが抱える葛藤について詳報する。
(後編につづく)
【プロフィール】水谷竹秀(みずたに・たけひで)ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。他に『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)などの著書がある。10年超のフィリピン滞在歴を基に「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材を続け、ウクライナでの戦地ルポも執筆。

