KNB北日本放送

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2700人余りが犠牲となった「富山大空襲」から、あさって8月2日で81年です。先週、富山市で空襲の犠牲者をしのぶ灯籠流しが行われました。30年あまり続いてきましたが、担い手の高齢化などを理由にことしで幕を下ろします。清水記者がお伝えします。

灯籠の淡い光が、水面を幻想的に照らします。
今月24日、富山市のまちなかを流れる「いたち川」で行われた灯籠流しでは、地元の人たちがおよそ500個の灯籠を流しました。この光景が見られるのはことしが最後です。

参加した人
「最後なんてね、寂しいちゃね」

いたち川の灯籠流しは、富山大空襲の犠牲者への慰霊の思いを込めて戦後50年の1995年に始まりました。地域で亡くなった人をしのぶ地蔵祭りの一環として、いたち川沿いの町内会や地蔵奉賛会の住民などが運営してきました。

1945年8月2日未明、アメリカ軍の爆撃機B29が富山市中心部を襲った「富山大空襲」。56万発の焼夷弾が投下され、一夜にして市街地の99.5パーセントが焼失。2700人余りが命を落としました。

当時、いたち川にもたくさんの人が逃げ込み、亡くなったとされます。

富山大空襲を経験した94歳男性
「私の兄弟も、私の2つ上かな、中学3年生のときに、富山大空襲で、胸に焼夷弾の直撃を受けて、死亡したんですよ。そういう気持ちを私持ってるわけですから、世話しとるんです」
「やっぱり忘れませんね。供養のために、この川で死んだ方も含めて、供養のために一生懸命になったわけです」

灯籠流しが始まって30年余り。ことし限りで中止を決断した背景には「担い手の高齢化」があります。川の岸にはろうそくを並べて明かりを灯しますが、準備するのはひと苦労です。また灯籠を浮かべる際には道具を使う必要があり、負担が増えていました。さらに、地域の子どもや若者が減り後を継いでもらうことが難しくなりました。

最後の灯籠流しに参加した人たちは…

参加した女性
「まさかなくなることがあると思わなかったので、寂しい話です」
参加した男の子
Q願いごとはなんて書いた
「世界平和」「いろんな場所で戦争とか紛争とか起きてて、そういうののせいで物価とか上がって、そういうのがなくなったらいいなって思いました」

富山大空襲から81年。参加した人たちはそれぞれの願いを書き込んだ最後の灯籠に祈りを込めました。

地元の人からは後を継ぐ人が現れることを期待する声もあがっていました。戦争体験者が年々少なくなる中、戦災資料だけではなくこうした慰霊の行事も、どう受け継いでいくかが課題です。