「点状石灰化骨異形成症」という、日本で1人しかいない先天性の障害を背負って生まれたさしみちゃん(30)。骨に軟骨のままの部分があり、生まれた時に医師から下半身不随や呼吸停止の可能性を告げられていたという。

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車椅子ギャル”として情報発信を行うさしみちゃんに、どうにか歩けた幼少期、両親の喧嘩がきっかけで家を飛び出してアパートの外階段から転落した事故、そして9歳で決断を迫られた「3割の確率で失敗する」手術について話を聞いた。(全4回の1回目)


「点状石灰化骨異形成症」という日本で1人しかいない難病の診断を受けたさしみちゃん ©文藝春秋 撮影・橋本篤

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──「点状石灰化骨異形成症」は先天性とのことですが、最初に「自分が他の子と違う」と気づいたのはいつ頃ですか。

さしみちゃん 5歳くらいですね。最初に入った障害児向けのプレ保育園から一般の保育園に転入したら、明らかにみんなと歩き方が違ったんですよね。足が花魁みたいな感じで外回りにしか動かせないし、クロスしてしまう。背骨も反ってるので周りの子からも一目瞭然で、「変な歩き方の子が来た」って騒がれて、私はみんなと違うんだって自覚しました。

──どんな風に騒がれたんですか。

さしみちゃん 登園すると周りにみんなが集まってきて、「なんでまっすぐ歩けないの?」「それ治るの?」「何の病気?」って質問攻めなんですよ。でも私は生まれたときからこの歩き方だったから治るかどうかなんて考えたことがなかったし、障害について誰かに説明したこともなかったから、ぽかんとして「治らないと思うよ」って答えてました。

医者には「歩けない」と言われたが猛特訓で…

──歩けるようになるのに苦労はあったんですか?

さしみちゃん お医者さんからは「この子は歩けないだろう」と言われてたらしいです。でも母親は浴槽の壁を力強く蹴る私を見て歩けるんじゃないかと思ったようで、それで「こっちまで歩いて来い!」と言われて特訓してたら、2歳半頃と遅かったですがよちよち歩きができるようになったそうです。

──ご両親に障害について聞いたことはありますか。

さしみちゃん なかったですね。そもそも親から「あなたはこういう障害だから」って話をされた記憶が全くないんです。たぶん前例がない障害だからお医者さんも予測できず、親も今後どうなっていくかわからないから説明できなかったんでしょうね。

──小学校は普通学級に入ったんですよね。

さしみちゃん 「保育園のお友達と一緒にいたいよね」という母の考えで普通学級に入ったんですけど、学校が出した条件が家族が送り迎えすることでした。なので通学班でもいつも母と一緒でしたし、どこかに泊まる林間学校みたいな時も私だけ母親が8歳下の弟を抱えてついてきて、「なんか思ってたのと違う」っていつも思ってましたね。

──体育の授業はどうしていたんですか?

さしみちゃん 当時はまだアスレチックに登ったりもできてて、車椅子も使ってなかったので普通に参加してました。運動会のリレーメンバーにも入ってて、クラスも「走るの速い子ががんばってカバーしよう」って空気だったので、内心では「ごめんね」って思いましたけど、そこまで引け目を感じることはなかったです。むしろ運動会での保護者の反応がいやでしたね。

──何があったんでしょう。

さしみちゃん 走れるとは言ってもどうしてもダントツのビリになっちゃうんです。他の子が先にゴールして私だけが走ってる状態になっちゃって、やっとゴールが見えてきたら「がんばって!」って声が聞こえて。それで顔を上げたら知らないお母さんたちが泣きながら応援してるんですよ。

 クラスの子にとっては私が遅いのは日常の風景だし、私自身も「だるいなー」って走ってるけど、大人からしたら「障害のある子が最後まで諦めずに頑張ってる」に見えたんでしょうね。それは子どもながらに気持ち悪さを感じました。

アパートの階段から滑り落ち「足がふにゃっとなって、なぜか立てない」

──車椅子などを使い始めたのは何歳頃からだったんですか?

さしみちゃん 小4のときの事故がきっかけですね。うちの両親はやんちゃだったので、物を投げたり手が出る激しめの喧嘩は日常でした。でも子どもからしたら狭い部屋で両親が殴り合いをしてるのって怖いので、その日も友達のいる公園に逃げようと思って家から出たら、アパートの2階の階段を降りようとした瞬間につまずいて、そのまま下まで滑り落ちちゃったんです。

──大変です。

さしみちゃん 体を強く打った衝撃でしばらく動けず倒れてたらお母さんが気づいて、「何があったの!?」って慌てて駆け寄ってきました。とりあえず起こそうとしてくれたんですけど、足がふにゃっとなって、なぜか立てない。右手はめちゃくちゃ痛かったから骨が折れてるかもしれないと思ったんですけど、足は痛くもないからどうして動かないのかわからなくて、痛みより疑問が強くて変に冷静になってたのを覚えてます。

──それで病院へ?

さしみちゃん すぐに連れていかれたんですけど、足に力が入らない原因がわからなかったんです。親も「点状石灰化骨異形成症」のことを伝えたんですけど、そもそも前例がないし、それまで歩けてた人が突然歩けなくなるケースなんてもっとない。そこから「あの先生ならわかるかもしれない」という噂をたよりに全国各地の大学病院を回る生活が続きました。

 数カ月経ってやっと脊髄に詳しい先生に出会うことができて「軟骨のまま成長していた首の骨が転んだ衝撃で圧迫されて、下半身を司る部分にダメージを与えてしまった」ことがようやくわかったんです。

「もう9歳だから手術するかしないか自分で決めたほうがいい」

──治療法はあったんですか?

さしみちゃん その時わかってたのは、このまま放っておくと悪化してほぼ確実に下半身不随になって、最悪だと植物状態の可能性もあることだけでした。それで手術してくれる病院を探したんですけど、手術法も確立されてないのでなかなか引き受けてくれるお医者さんが見つかりませんでした。

 ようやく見つけた横浜の先生が手術してくれることになったんですけど、その先生にも「3割の確率で失敗して、もしかしたら全く歩けなくなるかもしれないし意識が戻らないかもしれない」と言われました。親も「もう9歳だから手術するかしないか自分で決めたほうがいい」という感じだったので1人で診察室に入って、先生に手術するか聞かれて。

──9歳には難しすぎる決断だと思うのですが……。

さしみちゃん 9歳ってまだまだ子どもじゃないですか。当時の私も正直あまりピンときてなくて、でも「わかんないけど、やる」って言いました。診察室を出たら母親がギャン泣きしながら「どっち? 手術するの?」って聞いてきたので、そんなに大きなことだったんだって。

──手術自体はどんなものだったんでしょうか。

さしみちゃん 足の骨を首の軟骨だった部分に移植する手術でした。移植した部分がくっつくまでは重力がかかるとダメなので、頭を持ち上げる感じで胴体と頭の固定具をつけられました。1回の手術では終わらず補強とかで合計3回手術したので、1年半くらい入院してました。

──子どもの1年半は長いですよね。

さしみちゃん 入院してる時、クラスの子たちから寄せ書きが届いたことがあって、嬉しいはずなんですけど「早く元気になってね」って書かれてるのを見てみんなとの距離を感じちゃいました。この間まで当たり前に一緒に生活してたのに、「私って元気じゃない側の人なんだ」って突きつけられる感じがしたんですよね。

──小学校に戻ったのは6年生の頃?

さしみちゃん 復学したんですけど元々私がいたポジションには別の子がいるし、輪に戻れないというか1年半で自分の場所がなくなっちゃった感覚はありました。それに転んだら骨がずれちゃうから絶対に転べなくなって、体育も見学でレポートを書いて参加するだけ。その頃から車椅子を使い出して、人に押してもらったり助けてもらうことも増えました。

──それでも中学も普通校に進学したんですよね。

さしみちゃん 車椅子も使ってましたがなんとか歩けたので、通学は親とヘルパーさんに交代で送り迎えしてもらって、学校の中は歩いて移動してました。でも階段しかないから移動教室だと10分休憩では全然間に合わないし、日替わりで私のサポート係の子を付けてくれてたんですけど、気をつかわれてるのもわかるし、微妙な空気が流れて気まずかったですね。

──中学生になると人間関係も変わりそうです。

さしみちゃん 中学ってやっぱり部活が中心じゃないですか。小学校で仲良しだった子たちがみんな運動部に入ったので、昼休みとか放課後に一緒に過ごすことも圧倒的に減っちゃって、孤独を感じることは多かったです。

──行事にも参加はできたんですか?

さしみちゃん 山へ行くハイキングとか参加できないこともありました。修学旅行の時も私だけ保健室登校の子とか特別支援学級の子とかがいるグループに入れられたのが辛かったですね。仲がいい子はバスも別だし、「なんで私だけ」ってずっと不満でした。

「あんなに手術や入院で頑張ったのに、なんで知らない人たちに…」

──学校以外の場所でも生活は変わりましたか?

さしみちゃん 外出時にジロジロ見られるのは日常でしたし、勝手に写真を撮られることもありました。スーパーに行っても同い年くらいの子どもが微妙な距離感でずっとついてくるんですよね。何をするでもなくただ無言で見つめてくるんですが恐怖感はありました。

──自分としては普通に生活してるだけなのに。

さしみちゃん そういう経験が重なるとやっぱり私って変なんだって思っちゃいますし、だんだん「恥ずかしい」って思うようになってきて。あんなに手術や入院で頑張ったのに、なんで知らない人たちに興味本位で見られなきゃいけないんだろうって悔しい気持ちも湧いてきて、思春期くらいから気分の浮き沈みが激しくなっていきました。

──そういう悩みを親に相談したりはしなかったんですか?

さしみちゃん 全然話してなかったですね。気持ちの面であまり寄り添う雰囲気がない家庭で、「障害があっても気合いで頑張れ!」って感じで。親と喧嘩したときなんて「お前は一人では生きていけないから言うことを聞け」って言われる環境で、つらいことがあっても一人で抱え込んでました。

母親に「お前は私がいなきゃ生きていけない」と責められ、「歩けない私が悪いです」と謝ることも…車椅子ギャル・さしみちゃん(30)が苦しんだ“家族の無理解”〉へ続く

(雪代 すみれ)