「家を失った。でも、これでよかった」…購入から21年、“住宅ローン完済”を断念した66歳男性がポツリ。移り住んだ〈家賃3万7,000円・都営住宅〉の一室で【FPが解説】
年金生活が始まったというのに、重すぎる住宅ローンで老後が不安な日々。「退職金を増やして完済したい」――そんな思いが、人生を大きく変えてしまったとしたら? 当時65歳の男性がはまった泥沼の事例から、老後資金を「増やす」ことより「守る」ことが大切な理由を、FPの三原由紀氏の解説とともに見ていきましょう。
「住宅費用が重すぎる」…年金暮らしが始まった65歳男性の強い焦燥感
「家を買った時には、退職金で住宅ローンを繰り上げ返済できると思っていたんです」
そう振り返るのは、年金暮らしを送る佐々木修一さん(仮名・66歳)です。 大学卒業後、住宅設備メーカーに入社し、営業一筋42年。営業課長まで務め、60歳で定年退職。その後は4年間再雇用で働き、64歳で会社を離れました。2年前に妻を亡くし、現在は一人暮らし。長男は都内で家庭を持ち、長女は関西で暮らしています。
65歳から受け取り始めた老齢基礎年金と老齢厚生年金は月約20万5,000円。さらに、定年時に受け取った退職金は約1,800万円。預貯金約350万円を合わせると、65歳時点で老後資金は約2,150万円ありました。
年金も貯蓄も、一般的に見ても決して少ない額ではありません。しかし、佐々木さんには一つ大きな誤算がありました。2005年、45歳で購入した4,600万円のマンションの住宅ローン返済です。
頭金800万円、借入3,800万円で組んだ住宅ローンを、「少しずつ繰り上げ返済をして、定年時に出る退職金で一括返済すればいい」と、当時は楽観視していました。しかし現実には、そううまくはいきませんでした。
当初はボーナス返済なしの毎月均等払いで、返済額は約14.6万円。2015年に低金利を受けてローンを借り換えると、返済額は一時的に約10.8万円まで下がったものの、2025年、固定金利の適用期間が終わると月約11.9万円に上昇しました。
繰り上げは思うようにできず、住宅ローンの残債は約1,850万円。修繕積立金の値上がりも重なり、65歳で年金暮らしが始まった時点で、住居関連支出が毎月約16万円に達していたのです。
「ここまで厳しい返済になるとは思わなかった……。退職金を全額つぎ込んで住宅ローンを完済すれば、楽になる。でも、そうすると手元には300万円くらいしか残らない。退職金を少しでも増やしてから返済したい」
そんな老後への強い焦りと孤独が、人生の歯車を狂わせます。結論から言えば、佐々木さんは大切な資金の大半を失うことになったのです。
お金を増やせるはずが…息子に「300万円貸してくれ」
きっかけは「初心者でも資産運用」「プロが銘柄を教えます」というSNS広告でした。
「自分でもお金を増やせるのではないか、でも、そんなうまい話があるか?」
半信半疑でLINEグループに参加し、最初は試しに数万円だけ。確かに利益が出て、それを引き出すこともできました。今度は数十万円。画面上の数字は日を追うごとに増加します。「本当に増えている」――そう信じ込んだ佐々木さんは、その後も勧められるまま送金を重ね、気付けば総額は約1,900万円にのぼっていました。
しかしある日、「利益を引き出すには、あと300万円の保証金が必要です」というメッセージが届きます。焦った佐々木さんは、すがるような思いで長男へ電話をかけました。
「300万円だけ貸してくれないか……」
長男は、何かを感じ取ったのでしょう。自分の父は、そんなことをお願いするような人ではないと知っていたからです。夜中にも関わらず佐々木さんの元に駆け付けた長男は、送金履歴を確認。佐々木さんのスマートフォンに残るLINEのやり取りを見た瞬間、静かに言いました。
警察庁によると、2025年のSNS型投資詐欺の認知件数は9,523件、被害額は約1,288億円に上り、いずれも過去最多となりました(※)。利益が出ているように見せかけ、追加送金を繰り返させる手口が特徴です。
もし入金をする前に、「これどう思う?」と長男に聞けていたら、その場であっさり詐欺だと言われ、被害を回避できていたかもしれません。しかし、普段は別々に暮らす長男や長女と、そんな会話をするタイミングはありませんでした。妻を亡くし、退職後は人と会う機会もほとんどなくなったなかで、佐々木さんを止める人は、いなかったのです。
残金わずか「250万円」――金融機関に相談をした結果
長男の勧めで、佐々木さんは警察や消費生活センター、送金先の金融機関に相談しました。しかし、送金した約1,900万円が戻る見込みはありませんでした。
「なんてことだ……」
手元に残ったのは、わずかに約250万円。月約16万円に及ぶ住居関連支出を捻出することは難しく、住宅ローンの返済猶予や条件変更の相談をすることになりました。
毎月の返済額を少なくして返済期間を延ばすという方法は、佐々木さんの年齢的に厳しいという結果。もう1つ提案されたのが、高齢者向け住宅ローン「リ・バース60」という選択肢でした。
これは、通常のローンのように元金と利息を毎月返すのではなく、生きている間は利息のみを支払い、本人が亡くなった後に自宅を売却して元金を一括清算するという制度。利息を払い続けている限り、自分の家に住み続けられることが大きなメリットです。
しかし、本当に自宅を残すことが最善なのか――。長男の勧めもあり、佐々木さんは住宅と家計に詳しいファイナンシャル・プランナー(FP)へ相談することにしました。
FPの助言「リ・バース60は有効な制度です。でも…」
「大変でしたね。そもそも年金暮らしになって『住宅費が重すぎる』と感じた時点で、売却などを検討できたらよかったのですが。ただ、失ったものを嘆くよりも、これからのことを考えていきましょう」
佐々木さんの話を聞いたFPは、金融機関が試算したリ・バース60の結果を見ながら、こう続けました。
「リ・バース60は毎月の返済負担を軽くできる有効な制度です。ただ、管理費や修繕積立金、固定資産税などの負担は続きますし、金利が上がれば利息の負担も増えていきます」
実際に試算すると、リ・バース60を利用した場合の住居費は月々約9万円。一方、公営住宅なら約3万7,000円です。この差は年間で60万円以上、老後20年と考えれば1,200万円以上にもなります。退職金の大半を失ったばかりの今は、家を残すことよりも、住居費全体を下げて生活に余裕を持たせる方が合理的だといえるでしょう。
「佐々木さんの場合は、そうした視点でこれからの生活を考えてみてはどうですか?」
最後にFPはそう言いました。
「家を守る」より「生活を守る」――公営住宅で気付いた、本当に大切なこと
FPの助言を受け、佐々木さんは金融機関と協議のうえ、住み慣れたマンションを任意売却する決断をしました。築約21年のマンションは約2,700万円で売却され、住宅ローンを完済。諸費用を差し引いて、今後の生活資金として約700万円を確保できました。
その後、入居条件を確認したうえで東京都営住宅へ応募し、単身向け住宅への入居が決まります。家賃は約3万7,000円となり、住居費は大幅に減りました。
民間の賃貸物件も検討しましたが、単身の高齢者は保証人や審査のハードルが上がりやすいのが実情です。また、都営住宅の単身者向けには60歳以上の世帯を対象とした所得基準(年間257万円程度以下)があり、年金収入は税制上の控除により額面よりも低く算定されるため、佐々木さんの年金収入(額面年246万円)もこの基準の範囲内に収まりました。
家賃を抑えて固定費を圧縮し、少しでも今後の生活資金を厚くしたいという思いもあり、佐々木さんは都営住宅を選んだのです。
「あのとき『退職金を増やそう』と思ったことが、すべての間違いでした。マンションを手放したときは人生が終わったと思いました。でも今は、あの決断をしてよかったと思っています。毎月の支払いを心配せず暮らせることが、一番の安心ですから」
家を手放すことが、人生を諦めることではない
今回、佐々木さんは任意売却と都営住宅という選択肢にたどり着けました。しかし、資産や収入の状況によっては、これだけがゴールではありません。支出を見直す、働き方を調整する、あるいは生活保護をはじめとする公的な支援制度を利用する――お金や住まいに困ったときの選択肢は、一つではないのです。
「貯金も家も失ったら、もう終わりだ」と一人で思い詰める前に、まずは声を上げてみることが、次の一歩につながります。
老後は、「家を守ること」と「生活を守ること」が同じとは限りません。家を手放すことが、人生を諦めることではありません。判断に迷ったときは、一人で抱え込まず、警察や消費生活センター、金融機関、FPなどへ早めに相談することが、生活を立て直す第一歩になるのではないでしょうか。
出所:警察庁「令和6年におけるSNS型投資・ロマンス詐欺の情勢について」https://www.npa.go.jp/bureau/criminal/souni/tokusyusagi/hurikomesagi_toukei2025.pdf
三原 由紀
プレ定年専門FP®

