本能寺の変(写真:akg-images/アフロ)


 2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にスポットライトが当てられ、そのユニークな視点で話題を呼んでいる。天下人となる秀吉(演:池松壮亮)を、秀長(演:仲野太賀)は右腕としていかに支えたのだろうか。第27回「本能寺の変」では、織田信長の甥・信澄が父の仇をうつべく、信長の命を狙っていると、明智光秀にその胸中を明かす。光秀は表沙汰にしないことを決めるが……。今回の放送の見どころについて、『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

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「黒幕」ではなかった信澄、自ら仕掛けた信長毒殺計画

 まさに「圧巻」の一言だ。第27回「本能寺の変」では、小栗旬演じる織田信長が壮絶な最期を迎えることになり、大きな話題を呼んだ。

 私は大河ドラマの解説動画をYouTubeとTikTokで配信しているが、「本能寺の変」を解説した回は、若いユーザーが多いTikTokで、いいねやコメントの数において、これまでにない反響があった。やはり日本の歴史上屈指の大事件とあって、老若男女が注目する中、見事にその期待を上回ったといえそうだ。

 前回の記事では、「本能寺の変」に至った明智光秀の動機について、近年の大河ドラマがどう描いてきたかを解説した(大河ドラマ『豊臣兄弟!』が本能寺の変で驚きの新解釈、織田信澄の告白に戦慄した「まさかの黒幕説」の根拠/2026年7月11日公開)。

 どうも今回の大河ドラマでは、織田信長の弟・信勝の遺児である信澄が、事件の黒幕として描かれるようだ――。そう思わせる前回放送の展開は驚くべきものだった。

 ざっと振り返っておくと、史実において、信長は弟の信勝に二度も謀反を企てられた過去を持つ。最初の反乱で信勝方についた柴田勝家は、その後、信長に帰参。信勝が再び謀反を企てると、その計画を信長に知らせた。密告を受けると、信長は清洲城に弟の信勝をおびき寄せて、家臣に弟を討ち取らせている。

 そんな信勝の遺児が、信澄ということになる。信長からすれば、裏切り者である弟の息子だ。そんな信澄のことをすぐに抹殺してもおかしくなかったが、信長は信澄を重用したという史実にドラマは着目した。

 ドラマでは「信澄は伯父の信長に従順なフリをして、亡き父の仇を討つべく虎視眈々とそのタイミングを狙っていた」という設定になっている。前回放送では、そんな信澄の秘めたる復讐心が、光秀への告白というかたちで明らかになった。

 だが、今回、ふたを開けてみれば、信澄は黒幕というより、みずから実行に及ぶ人物として描かれた。ドラマでは、ある有名な歴史的逸話をうまく使って、信澄の計画が実行されることとなった。

 その出来事とは「腐った魚事件」である。

「腐った魚事件」が暗殺未遂に、信長の膳交換が生んだ新解釈

 一体なぜ、明智光秀は信長を裏切ってクーデターを起こしたのか。

 ドラマで描く際に、事件の背景の一つとして、必ずといっていいほど取り上げられるのが、天正10(1582)年5月に安土城で行われた、徳川家康への接待である。

 饗応役を務めたのは光秀だったが、なんと食事に出た魚が腐っていた──という出来事がよく知られている。後世に成立した『川角太閤記』には、饗応の準備中、用意していた生魚が夏の暑さで傷み、悪臭に気づいた信長が激怒したという逸話が記されており、そこから脚色され流布したようだ。

『川角太閤記』では、準備の様子を信長が見に行ったところ、異変を察知したとして、以下のように続く。

〈夏故用意のなまざかな、殊の外さかり申し候故、門へ御入被成候とひとしく、風につれ悪き匂い吹来候〉
(夏のことで、生魚の用意が殊の外傷んでおり、門を入るやいなや風に乗ってひどい悪臭が吹きつけてきました)

(共同出版株式会社編輯局編、共同出版/国立国会図書館デジタルコレクションより)


 激怒した信長は料理しているところに入っていき〈此様子にては家康卿御馳走は成間敷と御腹立被成候て〉、つまり、「この様子では、家康卿をもてなすことはできまい」と、宿を堀久太郎(堀秀政)の屋敷に変更させている。

 同じ饗応を巡る逸話として、宣教師ルイス・フロイスも、「人々が語るところによれば」と伝聞であることを断ったうえで、光秀が言葉を返した際、信長が「一度か二度、明智を足蹴にした」と記している。

 この饗応は、信長と家康、そして光秀の3人がそろうシーンとして、大河ドラマでも数多く描かれてきた。今回の『豊臣兄弟!』でも、接待役となった光秀が信長に叱責される展開は変わらないが、その経緯は従来の描き方とだいぶ異なる。

 大きな違いは、一つには、食べる前に信長が鯉の煮つけについて「わしの方が大きいのはどういう了見じゃ」と言いだして、客人である家康と膳を交換していること。そして、もう一つは、異臭の原因を毒物だとしていることである。

 つまり、今回の大河では、魚が異臭を放った家康の膳は、もともと信長が食べる用に置かれていたもの。その膳に毒物が含まれていたとなると「狙われたのは信長」ということになる。

 従来のフィクションでは「家康に腐った魚を出したことで、顔をつぶされた信長が光秀に激怒する」と描かれることが多かったが、今回は「毒物を混入させた犯人に心当たりがあるならば白状しろ」と光秀が詰められることになった。

 信長が自分の膳を家康と交換することで、魚の異臭に全く違う意味を持たせたのは、なかなか工夫された展開だ。

“織田兄弟”の悲劇が本能寺へ、信澄の復讐が光秀を揺らす

 ドラマでの光秀は、すでに信澄から信長への殺意を打ち明けられている。そのため、鯉に毒を仕込んだのが誰の仕業か分かっている。

 それでも、信長に執拗に迫られても、決して口を割らなかった。その理由は、信澄から真意を明かされたときに、光秀が放った次の言葉に凝縮されている。

「娘を悲しませとうない。こたびのことは何も聞かなかったことにいたしまする」

 信長は信澄に重臣の明智光秀の娘を娶らせている。つまり、信澄は明智光秀の娘婿にあたる。もし、信澄に逆心ありと信長に知られれば、自分の娘もただでは済まない……という状態に光秀は陥ったことになる。

 史実において光秀は「本能寺の変」を起こして信長を討つことには成功したものの、間もなくして秀吉に討たれてしまい、光秀の家族は地獄を見ることになる。

 光秀の娘で、のちに「細川ガラシャ」として知られる玉(または玉子)は、一夜にして「謀反人の娘」となり、夫の細川忠興や子どもたちと離れて暮らさざるを得なくなった。丹後国の味土野(みどの)で約2年にもわたって、幽閉生活を送ることになる。

 そして光秀の娘婿にあたる信澄にいたっては、暗殺への関与を疑われて、信長の三男である信孝と、重臣の丹羽長秀にいち早く討たれている。

 クーデターを起こしたことで、結果的に家族を悲劇のどん底に叩き落とした光秀だったが、今回のドラマでは、むしろ光秀が信澄に翻弄されたといえよう。偽りの顔で織田信長に仕える光秀は自分と同じだ、と話した信澄。こんな言葉で呼びかけている。

「時は今じゃ。共に立ち上がってくだされ。我らの手で信長を討つのです!」

 先んじて行われた信澄の毒殺計画は失敗に終わったが、この言葉が光秀の心を何度となくざわつかせたことだろう。特に自身の置かれた状況が厳しいときほど、こうした言葉が大きな意味を持つ。

 四国政策における信長の方針転換で生じた長宗我部との板挟み、そして、家康の接待をめぐる不始末への激しい折檻──。

 さらに、足利義昭に書状を出すも、家臣から伝えられた返答は「もう、わしを巻き込むな」という衝撃的なものだった。「ああ!」と絶叫した光秀は、有名なあのセリフを口にする。

「出陣じゃ。これは上意である。敵は本能寺にあり!」

 最終的に引き金となったのは義昭の非情なハシゴ外しだが、「信長に対して謀反を起こす」という選択に、現実味を与えたのは信澄だといえるだろう。

 思えば、今回の大河ドラマは『豊臣兄弟!』のタイトルどおり、兄弟のストーリーである。秀吉を支えた秀長のように、兄の武田信玄を支えた弟の信繁もクローズアップされるかと思いきや、武田氏の滅亡は比較的短く描かれた。むしろ「信長兄弟」の方が重点的に描かれて、その因縁が「本能寺の変」にまで絡んでくるとは、想像していなかった。

「本能寺の変」では、信長が死を覚悟した瞬間に、信勝の幻影が現れて「我らの一生、ろくなものではござりませんでしたな」と語りかけてくる場面もあった。このシーンについて、演じた小栗旬は自身でこうコメントしている。

〈お前はそう思っているかもしれないけど、俺は違うんだと。未来を託せる人間が俺には1人いるから、余裕で死んでやるよっていう気持ちで最期を迎えたつもりです〉

 この託せる人間こそが、豊臣秀吉である。織田兄弟から豊臣兄弟の物語へ。大河ドラマが後半戦を迎えるにあたって、見事な転換が行われたといえるだろう。

秀吉はなぜ即座に動けた? 「中国大返し」を支えた水攻め

「本能寺の変」の背景が重点的に描かれたため、今回の放送ではそれほど触れられなかったが、光秀が決起したとき、秀吉は備中高松城を攻めていた。

 城主の清水宗治は早くから毛利氏に従い、周辺地域にも大きな影響力を持つ。また、備中高松城は備中と備前との国境にあり、いわば毛利勢の防衛ラインの要となっている。

 是が非でも落としておきたいところだが、低湿地の微高地に築かれ、三方を深い沼地に囲まれた備中高松城は、攻めにくい堅固な平城だった。秀吉は「力攻めでいくのは容易ではない」と考えたのだろう。黒田官兵衛の献策によって「水攻め」に踏み切ったようだ。

 水攻めとは、城の周りに巨大な堤を築いて近くの川の水を引き込み、城を人工の湖の中に沈める作戦のこと。敵は水に囲まれて孤立し、食料や援軍が届かなくなる。一種の兵糧攻めだ。

 備中高松城に籠城する数千の兵を、数万の秀吉軍が囲んだ時点で、もはや勝敗は決したといえよう。毛利輝元や吉川元春らも救援に駆けつけたが、水攻めによって有効な打開策を見いだせない。両軍の間で和議交渉が進むさなかに起きたのが、「本能寺の変」だった。

 もし、備中高松城に本格的な力攻めをしていれば、撤退にも時間を要する。秀吉がすぐさま京へと駆けつけて光秀を討った「中国大返し」は難しかっただろう。

 結果的にファインプレーを行った官兵衛が「本能寺の変」のあと、名軍師としてどんな活躍を見せるのかにも注目したい。

 次回の「急げ!秀吉」では、「本能寺の変」での信長の死を知った徳川家康や柴田勝家らがそれぞれの思惑で動く。そんな中、秀吉だけは信長の生存を信じ、毛利との和睦を急ぐ。

【参考文献】
『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、中川太古訳、新人物文庫)
『川角太閤記 上』(共同出版株式会社編輯局編、共同出版)
『完訳フロイス日本史』(ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太訳、中公文庫)
『信長と消えた家臣たち 失脚・粛清・謀反』(谷口克広著、中公新書)
『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(河内将芳著、戎光祥出版)
『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(柴裕之編、戎光祥出版)
『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社編、新人物往来社)
『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)

筆者:真山 知幸