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男は法廷で、人目もはばからず声を上げて泣いていた。

その男、H被告(56)は今年3月下旬の夜、神奈川県内のアパート3階にある被告の自宅で交際していた女性(42)の顔面を拳で複数回殴り、顔面打撲で全治約1カ月の傷害を負わせたとされる。横浜地裁での初公判で、H被告はがっくりとうつむきながら罪状認否で起訴内容を認めた。

誤解を恐れずに言えば、交際相手に対する暴力事案はそれほど珍しいわけではなく、今回の起訴内容そのものもありふれた事件の一つに過ぎないように思える。なぜ、H被告は法廷内で涙にくれたのか。罪状認否に続く検察側の冒頭陳述で、その理由が明らかになる。

「その後、被害女性は何らかの理由でベランダから転落しました。被告人が119番通報して被害女性は搬送されましたが、翌日未明に死亡しました」

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H被告が女性を殴った後、トイレに行って戻ってきたら部屋で倒れていたはずの女性がいなくなっていた。ベランダから下をのぞくと、女性は地上で倒れていた。すぐに駆け下りて女性の様子を確認した後、慌てて3階の部屋に戻り携帯電話から119番通報した。

検察側は、その通報時の音声を証拠として法廷で再生した。

「彼女が飛び降りたんです」

「意識はありますか」

「意識はないけど、息はしています…(救急出動を)お願いします」

「何か反応はありますか」

「反応はないです」

「出血は」

「出血は、ちょっとだけ、後頭部から…お願いします」

「では(救急隊を)そちらに向かわせましたから、今すぐに心臓マッサージをお願いしたいんですよ」

「はい!」

パニックになり声を震わせながら状況を説明するH被告。弁護人の隣の席で緊迫したやり取りを聞きながら、当時の光景がよみがえったのだろう。H被告は下を向いて号泣し始めた。裁判官はその様子をチラリと見て、検察官に「これ、再生する必要ありますか」とたずねた。この問いに、検察官ではなく弁護人が「もう少しだけお願いします」と応じた。再生は続いた。

「息はしてますか」

「してます…ごめんね」

「お腹は動いていますか」

「動いてます、はい……死んじゃイヤだ…」

ここで弁護人は「もう結構です」と再生にストップをかけた。H被告には女性を死なせるつもりなど毛頭なかったことを示したかったのだろう。

手をつないで帰宅後に口論「平手で3、4発、拳で4、5発」

当日は日曜日で、2人は女性の父親を含む約10人で昼過ぎから酒を飲んでいた。19時ごろに解散となり、2人は被告の家へ歩いて帰った。検察側によると、付近の防犯カメラには手をつないで帰宅していく様子が映っていた。

帰宅後、口論となる。H被告は「その日の(飲み会での)出来事で、目上の人に対する彼女の言葉、態度について強めに言って…」。これに対して女性が「あなたもそうしゃべる時あるでしょ」というような反論をしてきたので、H被告が平手打ち。女性も最初は抵抗しようとしたようだが、「どんどんエスカレートして最終的に私が一方的に」(H被告)殴る形となり、女性は仰向けに倒れた。

検察官「何発くらい殴りましたか」

H被告「平手で3、4発、拳では…4、5発」

検察官「被害者が倒れた後は」

H被告「倒れる前に殴って、倒れて…殴りました」

検察官「何発くらい」

H被告「その後は…調書の通りです」

具体的な言及を避けたことからして、1発や2発ではないのだろう。女性を殴った力の程度についても、次のようなやり取りがあった。

検察官「どのくらいの力で殴りましたか」

H被告「力の程度は、覚えていないです」

検察官「思い切り、ですか」

H被告「思い切りは殴っていないです」

検察官「では、どのくらいですか」

H被告「いい加減にしなさいよ、というような力です」

検察官「(逮捕後に)警察で『思い切り殴った』と言ってませんでしたか」

H被告「…」

交際9年、2人で貯めた結婚資金350万円

もともと、H被告は女性の父親と勤務先で同僚だった。その縁で女性と知り合い、交際に至って約9年。この父親は捜査段階で、H被告について「ふだんは普通の男だが、酒乱の気がある」と当局に説明していた。交際当初は女性に「止めた方がいい」と伝えたが、女性は交際を続行。父親は「内心は快く思っていなかったが、娘の交際相手として尊重していた」という。

2人は結婚を約束していた。弁護人によると2人で結婚資金を約350万円まで貯めていた。女性には既に別れた男性との間に小学生以上の長男が1人いて、結婚すればH被告にとっては連れ子になるはずだった。

H被告はこの貯めた資金について「残された子ども(女性の長男)に使います」と話す。ただ、弁護人によると被害者側はこの資金の受け取りを拒否しており、女性の長男も含めて被害者側家族と一切連絡を取らないことを被告に求めている。

弁護人「結果的に彼女が亡くなってしまって、どう思っていますか」

H被告「彼女と一緒に、ずっと一緒にいたかった」

検察側の求刑は罰金50万円。軽いという印象もなくはないが、起訴事実は女性の死と直接の関係はなく、あくまでも女性を殴りけがをさせたことに対する求刑だ。判決も求刑と同じだった。

愛した男から何度も殴られ、絶望して自ら飛び降りたのか。その場から何とか逃げ出そうとしたのか。意識がもうろうとなって誤って転落したのか。今となっては、何が真実かは確かめようもない。最悪の結末と、軽微な刑罰。その大きすぎるギャップが、何とも悲しく虚しい。

文/篠田哉 内外タイムス