真っ赤な炎と灰煙が立ち上り→鶏舎2棟が全焼…G7サミットで採用の濃厚たまご 有名養鶏場「ブラウンエッグファーム」を襲った火災 社長が訴える再建への壁

立ち上る炎と灰色の煙。空が見えなくなるほど、あたり一面に煙が上がっていた──。5月25日の夕方に、長野県佐久市の養鶏場で火災が発生。火は12時間以上燃え続け、この火災により鶏舎2棟が全焼、ニワトリ約2万2000羽が死亡した。
火災にあった養鶏場「ブラウンエッグファーム」は、長野県知事賞受賞の卵を生産し、この卵で作ったスイーツは三越や大丸といった有名百貨店でも取り扱いがある、地元が誇る人気企業だった。
ブラウンエッグファームの滝沢栄喜社長はXで「ご迷惑をおかけする心苦しさの反面、勇気の出るお言葉に感謝してもしきれない限りでございます」とコメントしている。
火事発生から3週間が過ぎ、養鶏場はどうなっているのか。現場へ向かうと、復旧作業はまだ進んでいない状況だった。火災当時、養鶏場には誰もいなかったそうで、滝沢氏は「向こう側から燃えてきて、消防署に連絡して消防車が来ている間に真ん中くらいまで火が来た。消火中にこっちまで火が来てしまって、2つの鳥小屋が全焼」と説明し「いろいろな方に迷惑をかけるのは分かりきっているし、これからどうなっちゃうのか。正直言うと立ってるのがやっとだった」と振り返った。
火が消し止められたのは12時間以上経った翌日の午前5時半ごろ。火事の原因は漏電の可能性があるという。
「実際にいたニワトリは2万2000羽。その子たちが犠牲になってしまった。こっちは全部ニワトリが入っていたところ。これはエサがここを通ってた、なんの原型もない」「全部『これは何』って言えますから、このがれきでも」(滝沢氏、以下同)
「自分たちがしてきた仕事が0になってしまったというのが、とても寂しい」「辛い。この鶏小屋は私が30代のときに初めて作った鶏小屋。初めて自分で借金をして、初めて自分で設計をして、初めて作り上げた鶏小屋になりますので、言葉もない。こんな風になってしまうのか」と、ショックを隠し切れない様子だった。
ブラウンエッグファームは1970年に先代の父・憲次郎さんが創業。1992年に東京農大で畜産を学んだ滝沢氏が継承した。滝沢氏は養鶏場を継ぐ際にアメリカへ視察し、エサの提供や生んだ卵を集める自動化を導入。養鶏場経営に生涯を賭けた。
「(鶏舎)2つで1億5000万円かかっている。作る時は自分が借金をしてやれるのか、できるのかって。自問自答を半年ぐらいして『よし、いくぞ』ってなって、そこからお金を借りに行ったのは今でも覚えています」
安い卵を作る養鶏場が増えていく中で、こだわったのは安全でおいしい卵づくり。美味さのポイントはエサで、トウモロコシと大豆が主な飼料。さらに魚、ごまを組み合わせて滝沢氏自らが配合を考えて誕生したのが「浅間小町」だった。2023年のG7外相サミットの晩餐会で浅間小町は茶碗蒸しに使われ、信州を代表する食材として世界へ発信された。
しかし今、中東情勢の影響などによる物価高に苦しめられているという。滝沢氏は「原油高の問題でどんどん高くなって、一番てきめんにダメなのが船運賃。ニワトリを飼う設備、建物、すべて値上がりしています」「うちは建物自体は木造なんですよ。(温度管理の)暑さ寒さのために断熱材を入れます。それはすべて石油製品」と説明。
そこに追い打ちをかけたのが今回の火事。全焼した2つの鶏舎の再建の可能性については「当時、鶏小屋2つで1億5000万円。今だと4億円くらいかかってしまう。とても厳しい」と語った。
鶏舎内の入れ替え準備で火事が起こる前に偶然別の鶏舎に移動させていたことから、かろうじて難を免れたニワトリもいた。
そして今、この養鶏場を卵を買って支援しようとする動きが始まっている。
「貢献しにきた」と、卵を買いに来た地元住民の姿も。「残った鶏がいるからお店も開けられる」と語る滝沢氏に、住民は「頑張ってもらわないと。変わらずお元気で安心しました」と激励。東京からの移住者は3キロの卵を購入していた。「みんなに愛されているお店だし、心配していた。でも営業してらっしゃるから良かった」とコメント。県外からも来店する客もいるという。
地元の商工会は支援を募る口座を開き佐久市も呼びかけをしており、支援の輪が広がっている。
「火事に遭われたことのない方は、どれだけみじめな気持ちになるのか実感できないと思う。自分たちも分からなかった。実際になってみると、自分たちが使っていたもの、ニワトリが住んでいた場所。それが全部、がれきになってしまう。惨めだけど、当事者でないと分からない部分」
しかし「時間は待ってくれない」と続けると「大丈夫だったニワトリたちは頑張って卵を産んでくれてる。お客様には届けられますし、お客様から『がんばれ』って声もたくさんいただきますので。自分自身が感じていた『辛い』『苦しい』とか『迷惑かける』『惨め』だという気持ちが薄れる。これが体験しないと分からない。弱気なことを言っている状況ではない。これだけの方々が応援してくれているんだから、私が弱気になってたら話にならない。待っている方々がおられる。それが励み、やりがい」と、前向きに語った。
(『ABEMA的ニュースショー』より)
