58年間、諦めなかった姉がいた--袴田事件が突きつける「冤罪は他人事か」という問い
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58年間、諦めなかった姉がいた--袴田事件が突きつける「冤罪は他人事か」という問い
1966年、静岡県で起きた強盗殺人放火事件で死刑が確定した袴田巖さんは、2024年、再審※1で無罪が確定した。58年にわたる戦いを支え続けた姉・袴田ひで子さん、弁護士・元衆議院議員の山尾志桜里さん、笑下村塾代表取締役・たかまつななが、事件の経緯と再審制度をめぐる課題について語った。
※この記事は、YouTubeチャンネル『たかまつななのSocial Action!』のために2026年5月25日に収録した内容を元に作成しました。
■冤罪はこうして作られた
1966年8月、袴田巖さんは静岡県内の強盗殺人放火事件の容疑者として逮捕された。姉のひで子さんには確信があった。逮捕前日、自転車にまたがって近所の人とニコやかに話していた弟の姿を見て、「関係ないようだ、大丈夫だな」と感じていたからだ。「そんな、4人も人を殺して、3日後に行き合って、何にも変わらんということはない。もし犯人で、4人も殺しているなら、なんか変わったことがある。それが全然なかった」。
逮捕後、取り調べは長時間に及んだ。後に支援者や弁護士が調べたところによれば、水も飲ませない、トイレにも行かせないような状況が続いていたという。当時の警察の内部報告書には、「水を一杯だけくれ」と求めた巖に水を与えたところ「元気になってしまった」と記されていたとされる。45通にのぼる自白調書※2のうち、裁判で証拠として認められたのは1通のみだった。それでも死刑判決が下った。
山尾弁護士はこう指摘する。「客観的な証拠もおかしくて、自白も信用できない。これでやっぱり有罪は普通書かない」。証拠の経緯についても疑問が残る。当初「パジャマで犯行に及んだ」という筋書きだったものが、裁判開始から1年後に突然覆された。味噌工場の味噌樽の中から別の衣類が見つかり、それが犯行着衣だという主張に切り替わったのだ。山尾弁護士は「突然、裁判が始まって1年経ってから、別の下着でした、犯行着衣が出てきたという話になった」と述べた。
冤罪の苦しみは、巖さん一人にとどまらなかった。「警察に調べられるものはろくなもんじゃないと思って、身内でも『あんなものは俺の親戚じゃない』と関わり合いにならないように避ける」とひで子さんは語る。逮捕されただけで周囲が離れていく。それが冤罪被害をさらに深める構造だとひで子さんは言う。
■「50年でダメなら100年戦う」
「今まで冤罪事件はたくさんあったと思う。だけどみんな諦めちゃってる」。ひで子さんはそう語る。では、なぜ自分は諦めなかったのか。その問いへの答えはシンプルだった。「性分です。性格です」。
死刑判決後も、ひで子さんは戦い続けた。再審開始決定※3が却下されること13年。一度は「やり直し」が認められながら、高裁※4で覆されたこともあった。弁護団が落胆するなか、ひで子さんは「巖の身柄はそのままだから大丈夫だ」と周囲を励ました。「50年でダメなら100年戦う」という言葉は、この時期に口にした言葉だという。
転機のひとつは、死刑判決を下した裁判官の一人が数十年後に「自分は無罪だと思っていた」と公表したことだった。ひで子さんは「それが世間の人をこちら向きにしてくれた」と振り返る。もうひとつの転機は2010年前後、約600点の証拠が新たに開示されたことだった。ひで子さんはその時のことをこう振り返る。「証拠が出てきたらもう弁護士さんが色めき立って。『巖さんの無罪の証明の証拠ばっか出てくる』って言って喜んで」。この中には、後に裁判所によって捏造と認定される証拠も含まれていた。
2024年、静岡地裁※5の再審で無罪が確定した。検察は抗告※6しなかった。再審開始が決まった時のことを、ひで子さんはこう振り返る。「57年の苦労が本当に吹っ飛んじゃった。それぐらい嬉しかった」。
■58年かかった。次の人に、同じ時間をかけさせないために
なぜこうした問題が長年放置されてきたのか、ひで子さんはこう語る。「役所というところは自分たちのやったことを守ろうとする。本当のことを見つめるんじゃなくて、ここで負けちゃいかんと思うから、遮二無二しがみつく」。証拠捏造についても検察庁は正式には認めていないとひで子さんは言う。「世間ではみんな捏造だと言っているだもの。それでも検察庁や法務省は曲げない。それが役所の仕事なの」。
制度上の問題も指摘されている。現在の再審制度には、証拠開示※7を義務づけるルールがない。山尾弁護士は「弁護士が『証拠を出してくれ』と言っても、検察が『ありません』と言ったら、裁判官が何もしないで13年経って却下、ということができてしまう」と指摘する。さらに、裁判所が「再審を開始する」と決定しても、検察が抗告を行うことで何年も長引く構造がある。山尾弁護士が指摘する改正の焦点は2点だ。「弁護士が求めた証拠は検察は出さなければいけないという証拠開示のルールをつくること」、そして「検察の抗告を禁止すること」。
袴田事件の無罪確定を受け、与野党を超えて法改正の機運が高まっている。一方で、法務省・検察庁は自民党議員に対し改正への反対意見を伝えていると山尾弁護士は述べた。「国会議員が法務省の言うことを聞いちゃうのか、それとも、袴田さんのこの58年を見て、国民の味方になって法律を通すのか。ここがまさに今国会の一番の勝負どころだ」。
ひで子さんは今も訴え続ける。「二度と、巖のような者を出さないようにしていただきたい。そのためには法律を作ってもらわなければならない」と。
■用語解説
※1 再審 確定した判決に対して、新たな証拠などをもとにやり直しを求める裁判手続き。
※2 自白調書 被疑者が自白した内容を警察や検察がまとめた書面。裁判では証拠として扱われるが、任意性(自らの意志で述べたかどうか)が認められない場合は証拠から除外される。
※3 再審開始決定 再審は申し立てれば自動的に始まるわけではなく、まず裁判所が「やり直す価値がある」と判断する必要がある。その判断のことを再審開始決定という。
※4 高裁(高等裁判所) 地方裁判所(地裁)の上級にあたる裁判所。地裁の判決や決定を審査する。
※5 地裁(地方裁判所) 一審として多くの刑事・民事事件を扱う裁判所。
※6 抗告 裁判所の決定に対して、上級裁判所に不服を申し立てること。再審開始決定が出ても検察が抗告することで、手続きが何年も長引く場合がある。
※7 証拠開示 検察が捜査の過程で収集した証拠を弁護側に示すこと。現行の再審制度では検察に証拠開示を義務づけるルールがなく、弁護側が求めても応じないケースがある。
1966年、静岡県で起きた強盗殺人放火事件で死刑が確定した袴田巖さんは、2024年、再審※1で無罪が確定した。58年にわたる戦いを支え続けた姉・袴田ひで子さん、弁護士・元衆議院議員の山尾志桜里さん、笑下村塾代表取締役・たかまつななが、事件の経緯と再審制度をめぐる課題について語った。
※この記事は、YouTubeチャンネル『たかまつななのSocial Action!』のために2026年5月25日に収録した内容を元に作成しました。
■冤罪はこうして作られた
1966年8月、袴田巖さんは静岡県内の強盗殺人放火事件の容疑者として逮捕された。姉のひで子さんには確信があった。逮捕前日、自転車にまたがって近所の人とニコやかに話していた弟の姿を見て、「関係ないようだ、大丈夫だな」と感じていたからだ。「そんな、4人も人を殺して、3日後に行き合って、何にも変わらんということはない。もし犯人で、4人も殺しているなら、なんか変わったことがある。それが全然なかった」。
逮捕後、取り調べは長時間に及んだ。後に支援者や弁護士が調べたところによれば、水も飲ませない、トイレにも行かせないような状況が続いていたという。当時の警察の内部報告書には、「水を一杯だけくれ」と求めた巖に水を与えたところ「元気になってしまった」と記されていたとされる。45通にのぼる自白調書※2のうち、裁判で証拠として認められたのは1通のみだった。それでも死刑判決が下った。
山尾弁護士はこう指摘する。「客観的な証拠もおかしくて、自白も信用できない。これでやっぱり有罪は普通書かない」。証拠の経緯についても疑問が残る。当初「パジャマで犯行に及んだ」という筋書きだったものが、裁判開始から1年後に突然覆された。味噌工場の味噌樽の中から別の衣類が見つかり、それが犯行着衣だという主張に切り替わったのだ。山尾弁護士は「突然、裁判が始まって1年経ってから、別の下着でした、犯行着衣が出てきたという話になった」と述べた。
冤罪の苦しみは、巖さん一人にとどまらなかった。「警察に調べられるものはろくなもんじゃないと思って、身内でも『あんなものは俺の親戚じゃない』と関わり合いにならないように避ける」とひで子さんは語る。逮捕されただけで周囲が離れていく。それが冤罪被害をさらに深める構造だとひで子さんは言う。
■「50年でダメなら100年戦う」
「今まで冤罪事件はたくさんあったと思う。だけどみんな諦めちゃってる」。ひで子さんはそう語る。では、なぜ自分は諦めなかったのか。その問いへの答えはシンプルだった。「性分です。性格です」。
死刑判決後も、ひで子さんは戦い続けた。再審開始決定※3が却下されること13年。一度は「やり直し」が認められながら、高裁※4で覆されたこともあった。弁護団が落胆するなか、ひで子さんは「巖の身柄はそのままだから大丈夫だ」と周囲を励ました。「50年でダメなら100年戦う」という言葉は、この時期に口にした言葉だという。
転機のひとつは、死刑判決を下した裁判官の一人が数十年後に「自分は無罪だと思っていた」と公表したことだった。ひで子さんは「それが世間の人をこちら向きにしてくれた」と振り返る。もうひとつの転機は2010年前後、約600点の証拠が新たに開示されたことだった。ひで子さんはその時のことをこう振り返る。「証拠が出てきたらもう弁護士さんが色めき立って。『巖さんの無罪の証明の証拠ばっか出てくる』って言って喜んで」。この中には、後に裁判所によって捏造と認定される証拠も含まれていた。
2024年、静岡地裁※5の再審で無罪が確定した。検察は抗告※6しなかった。再審開始が決まった時のことを、ひで子さんはこう振り返る。「57年の苦労が本当に吹っ飛んじゃった。それぐらい嬉しかった」。
■58年かかった。次の人に、同じ時間をかけさせないために
なぜこうした問題が長年放置されてきたのか、ひで子さんはこう語る。「役所というところは自分たちのやったことを守ろうとする。本当のことを見つめるんじゃなくて、ここで負けちゃいかんと思うから、遮二無二しがみつく」。証拠捏造についても検察庁は正式には認めていないとひで子さんは言う。「世間ではみんな捏造だと言っているだもの。それでも検察庁や法務省は曲げない。それが役所の仕事なの」。
制度上の問題も指摘されている。現在の再審制度には、証拠開示※7を義務づけるルールがない。山尾弁護士は「弁護士が『証拠を出してくれ』と言っても、検察が『ありません』と言ったら、裁判官が何もしないで13年経って却下、ということができてしまう」と指摘する。さらに、裁判所が「再審を開始する」と決定しても、検察が抗告を行うことで何年も長引く構造がある。山尾弁護士が指摘する改正の焦点は2点だ。「弁護士が求めた証拠は検察は出さなければいけないという証拠開示のルールをつくること」、そして「検察の抗告を禁止すること」。
袴田事件の無罪確定を受け、与野党を超えて法改正の機運が高まっている。一方で、法務省・検察庁は自民党議員に対し改正への反対意見を伝えていると山尾弁護士は述べた。「国会議員が法務省の言うことを聞いちゃうのか、それとも、袴田さんのこの58年を見て、国民の味方になって法律を通すのか。ここがまさに今国会の一番の勝負どころだ」。
ひで子さんは今も訴え続ける。「二度と、巖のような者を出さないようにしていただきたい。そのためには法律を作ってもらわなければならない」と。
■用語解説
※1 再審 確定した判決に対して、新たな証拠などをもとにやり直しを求める裁判手続き。
※2 自白調書 被疑者が自白した内容を警察や検察がまとめた書面。裁判では証拠として扱われるが、任意性(自らの意志で述べたかどうか)が認められない場合は証拠から除外される。
※3 再審開始決定 再審は申し立てれば自動的に始まるわけではなく、まず裁判所が「やり直す価値がある」と判断する必要がある。その判断のことを再審開始決定という。
※4 高裁(高等裁判所) 地方裁判所(地裁)の上級にあたる裁判所。地裁の判決や決定を審査する。
※5 地裁(地方裁判所) 一審として多くの刑事・民事事件を扱う裁判所。
※6 抗告 裁判所の決定に対して、上級裁判所に不服を申し立てること。再審開始決定が出ても検察が抗告することで、手続きが何年も長引く場合がある。
※7 証拠開示 検察が捜査の過程で収集した証拠を弁護側に示すこと。現行の再審制度では検察に証拠開示を義務づけるルールがなく、弁護側が求めても応じないケースがある。
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