なぜ宮内庁は「雅子さま」ご結婚に猛反対したのか 「祖父の経歴が…」とバツ印を付けた「イジメ」の真相 【ご成婚から33年】
6月9日でご成婚から33年を迎えられる天皇・皇后両陛下。ここまでの道のりは、決して平坦ではなく、むしろ苦難の連続であった。
【写真】スーツをビシッときめて…。2年間の英国留学を終え、帰国した際の雅子さま(1990年、成田空港)
雅子皇后は、ご結婚前、外務省に勤務し、世界を飛び回ってご活躍だった。“日本一の旧家”である皇室にお入りになるに当たっては、キャリアとのギャップから危惧する声も生まれ、それを否定的に見る向きからは、さまざまな中傷・陰口が流されていたのも事実。そして、それは後の「適応障害」の発症と、現在まで続く療養生活の遠因ともなっていくのである。
「週刊新潮」では、ご婚約会見時、皇室の周辺を取材し、そうした“声”について考察している。以下、それを再録し、この30年余り、雅子さまを苦しめてきたものは何か、振り返ってみよう。【前編】では、会見の後、雅子さまに投げかけられた「会見でしゃべりすぎ」「態度が僭越すぎる」といった誹謗中傷について詳報した。そして、こうした「いじめ」は、実はご婚約会見以前から始まっていた――。【後編】では、初対面から7年もかかるなど、雅子さまのご結婚が遅れた理由と、宮内庁が犯した誤りについて記している。

【前後編の後編】
(以下は、「週刊新潮」1993年2月4日号記事の再録です。当時の記事のため、記事中の敬称は平成の、ご結婚前のものです。文中の「皇太子」は現・天皇陛下、「雅子さん」は現・皇后陛下のことを指します)
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あえてチッソの名を挙げ
皇太子妃内定と共に、聞こえ始めてきた「雅子さんいじめ」。
けれど、振り返ってみると、いじめは実はその遥か以前に始まっていたのではないだろうか。
1月19日の記者会見で、皇太子殿下は雅子さんとの交際についてこう発言された。
「この件に関してはチッソの問題もあり、宮内庁の方でも慎重論が出て、一時は中断もやむを得ない状況になってしまいました」
「その間、私は常に雅子さんのことが念頭にあり、“本当に雅子さんでは?”ということを何回となく宮内庁にも申し入れをしました……昨年、周囲の意見が雅子さんでいい、ということで固まった時は、大変うれしいものがございました」
あえてチッソや宮内庁の名前を挙げたところに、殿下の強い意志表示が窺える。
率直なご発言
「会見の席で、殿下がチッソのことを発言されておられたのには、驚いてしまいました。随分と率直なご発言だったと思います」
と言うのは、7年前に雅子さんを初めてお妃候補として推薦した中川融氏(元国連大使)で、
「今度のお妃決定は、宮内庁の英断だったと思いますよ。ただ、やや遅きに失したきらいがあります。私はチッソの件は、お妃選考に関してさして障害になるようなことではないと、初めから思っていたんです。宮内庁は万全を期したいという思いがあったんでしょうが、チッソのことがなければもっと早く小和田さんに決まっていたのは確かだと思います」
チッソのこととは、雅子さんの母方の祖父である江頭豊氏が、チッソの社長や会長を歴任していたことを指している。
水俣病を発生させた“公害企業”――チッソに皇太子妃の祖父が関わっていたのではまずい、と宮内庁が判断したというわけだ。
責任がないことは明らか
確かに、江頭氏は昭和37年に興銀の常務から、チッソの専務取締役に就任し、39年に社長、46年に会長になっている。
江頭氏が社長の時に、株主総会は大荒れになった。異常な雰囲気の中で、江頭氏は患者から「人殺し社長」とか「水銀を飲め」といった怒号やシュプレヒコールを浴びせられた。水俣病に対する企業責任を認めず、「高飛車な態度だ」と患者から攻撃されたこともある。しかし、
「江頭さんは、第一次の水俣病認定患者の家を詫び状を持って一軒一軒回り、丁寧にお見舞いしてくれました。何度頭を下げて謝罪された。ですから恨みなんてありませんよ。雅子さんが水俣にいらしても、反対なんて起きないんじゃないでしょうか」
と語る患者もいるし、何よりチッソが水銀の混じった工場廃液を流し始めたのは、江頭氏がチッソに来るはるか前のことなのだ。にもかかわらず、宮内庁はこれを問題にし、一時は殿下に雅子さんを断念させた。藤森昭一長官は、
「江頭氏がチッソの要職にあったことなどから、慎重を期さざるを得なかった。その後、江頭氏は水俣病の発生には無関係で、刑法上の責任がないことが判明した」
だから交際が復活したと弁明しているが、刑法上の責任がないことなど、誰の目にも初めから明らかだった。
もし、チッソ問題が、お妃選考で致命的な障害だったと言うのなら、交際を復活したのが大きな誤りということになってしまう。
最大の加害者は…
要するに、宮内庁はささいなことで、雅子さんにバツ印を付け、丸々5年の歳月をムダにしたのだ。これはいじめ以外の何物でもない。いじめの最大の加害者は、宮内庁なのである。
それにしても、仮に祖父が何であれ、雅子さん本人とは何の関係もないこと。「三代遡って汚点なし」という宮内庁の考え方は、古色蒼然としていて、もはや今の時代には合わないのではないか。
ベテランの宮内庁記者は、
「宮内庁の体質は、昔から少しも変わっていません」
と、次のように語る。
「例えば、1月6日に内定報道が広がった時点で、宮内庁だけはこれを一切、公には認めませんでした。ですから、19日までのあらゆる対応は外務省がやっていました。小和田家には多数の報道関係者が押しかけていましたが、外務省の職員が窓口になり、その日、雅子さんが家の中で何をし、何を食べ、何を着ていたかといった状況を細かくレクチャーし、予定なども知らせてくれる。ところが、19日以降、宮内庁が仕切るようになってから何日目かには、“もう家の中の様子は一切報告しません”となったものだから、現場に混乱が起こってしまったのです」
19日の婚約会見でも、
「始まる数分前に、お二人が下見のため会場に入ってきました。すでにカメラもマイクもセットされていたので、“ここに座るの”などとやり取りしているところが、一部中継されてしまったのです。こういう場面は微笑ましくて非常にいいと思うんですが、宮内庁は、“会見だけを映す約束だからダメだ”と言うんですよ」
八方塞がりに感じられる
何でも杓子定規に考え、前例のないことは一切しない。それが宮内庁だ。
例えば雅子さんは、婚約会見の時に、帽子とワンピースの、いわゆる“皇室ルック”で現れた。若い女性のファッションとしてはポピュラーではないし、雅子さんにはもっと似合う服装があったようにも思われる。
しかし、紀子さまは同じスタイルの濃紺、三笠宮妃殿下は同じスタイルの水色という前例がある。宮内庁は、
「雅子さんの洋服については全く関知していません」
と言うが、無言の圧力をかけ、暗黙のうちに前例に従わせるイヤらしさは宮内庁のお手のものである。
「宮内庁も形式的になりすぎてはいけません。形式を尊ぶあまりに内容を忘れてしまうという部分はそろそろ変えていかなくては、皇室だけが時代に取り残されることになってしまいます」
と、元東宮侍従の浜尾実氏は心配している。
「お二人には、そうした面はどんどん変えていっていただきたいと思いますが、皇室にはタテとヨコがあるので、実際に変えるのは大変です。皇室の1000年以上の古い歴史、宮中祭祀とか行事、慣習、これタテとするなら、長官をトップに約1000人いる宮内庁の職員がヨコ。雅子さんが、これから新しい皇室作りをしようとする時、タテとヨコの中で八方塞がりに感じられるようなことがあるんじゃないでしょうか」
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この記事から33年。その後、雅子さまが「適応障害」を発症し、現在に至るまで療養生活を続けられていること、そして発症に伴い、天皇陛下(当時、皇太子殿下)がいわゆる「人格否定発言」により、宮中や宮内庁のあり方に一石を投じられたことを鑑みると、文中の浜尾氏の“心配”が現実のものとなったことがわかる。
宮内庁の旧弊は改まるのか。雅子皇后のご存在は皇室の変革に繋がるのか。今後の注目である。
【前編】では、婚約時に雅子皇后に流れた中傷・陰口について詳報している。
デイリー新潮編集部
