大人になると、若い頃に比べると知り合う人とはなかなか友達に進展しない…。そう感じる人もいるかもしれません。作家・作詞家の高橋久美子さん(40代)が、友達の存在についてつづってくれました。

離れていても貴重な、昔からの友達

先日、長野と富山へ行ってきた。それぞれの地で久々の友人に会って、互いの近況を話しながら家でご飯を一緒に食べ、町をぶらぶらして帰ってきた。

二人とも、1年に一度くらいしか会わないけれど、一緒に人生を歩いていると思える友人だ。学生のときのように毎日会わなくても、それぞれの場所で、生き生きと暮らす彼女たちと会うと、なんだか晴れ晴れとした気持ちになった。自分もやるぞと思えた。それぞれに自分の道を歩いて、たまに会って話す。それだけで、まるで整体に来たように、背筋がしゃっきりするのだった。

特別いいことを言ってくれるとか、何でも受け止めてくれるとか、価値観が同じというわけでもない。ただ共通しているのは、人の話を聞き、話し合うことができる人ということだ。

この「話し合う」は、誰とでもできるわけでなかったりする。相手の意見に対して「そうなんだね」と頷くことはあっても、「それって、こういうことかもしれないね」と、もう一歩踏み込んで話すのは勇気がいる。互いに信頼があるからこそできることだ。相手との温度感が定まってなければ、傷つけてしまうかもしれないし、嫌われるかもしれない。でも、話し合えるから深まっていくし、話していて楽しいんだと思う。近くにいても、共通言語を持ち合わせていなければ話せない。反対に、離れていても会えばすぐに話し合える人っていうのは貴重だ。

大人になったら友達ってつくりづらい?

大人になると、子ども時代のように今日出会ってすぐ友達とはなりにくい。「それではまた」とホームで手を振れば、その後もう一度会うということは余程のことがなければない。その先に進むきっかけをつくれない…というかそのガッツがないんですけども、みなさんはどうでしょうか。誰かと映画を見に行こうかと考えるとき、慣れ親しんだシャツを羽織るみたいに、やはり気心知れた友人に連絡している。あのときのあの人に連絡してみようとはなりにくい。

20代の頃にくらべたら、家の中に家具や食器も揃い新しい物を迎える余裕がないのと同じかもしれない。すでに満ちてしまった自分の中にスペースをつくるのは億劫だったりもする。いかんいかん、こんなんじゃいかーん。と思うけど、忙しさに埋もれて新規友情を芽生えさせる余裕もなかったりする。

新しい友達からもらう刺激は「ときめき」に近い

かと思えば、その熱は突如やってくる。トークイベントなどで自分の知らない世界にいる人と出会うと、もっと話したい! もっと知りたい! という欲が湧き出てくる。そして、その人と語り合えるような人になろうと様々に勉強しはじめる。そういう刺激は、バンドをはじめたときのときめきに近い。恋にも近い。友達になりたいというか、憧れや尊敬なのだろうと思う。

身近な人と、ずっとそういう恋や尊敬に近い関係でいられたらすてきだ。久々に会って、やっぱりかっこええ生き方しとるなと思いたいし、思っていてほしい。願わくば、追い越したり追い抜かれたりしながら、一緒に走っていたい。ただ、常に凛々しく第一線で活躍していてほしいということではない。歩いても、息切れして止まっても、呼び出してもらえるならば、いつだってかけつける。友達とはそういうものだ。

この間、同郷の僧侶、白川密成さんと対談をしたとき、

「友人や夫婦は考え方が似てくると言うけれど、仏教では、『一緒にいる人は、その人そのものになる』という考え方があるんです」

とおっしゃる。会場がどよめいた。類は友を呼ぶとは思っていたけれど、そこまでとは。

時には新しい服や食器を迎え入れるように、新しい人の新しい風を入れることも大切だなと思ったのだった。それに、一人で日常を楽しめるようになるのも大人の醍醐味ではないだろうか。