なぜ日本企業で「仕事に行きたくない人」が多いのか、その「本当の真意」

写真拡大 (全2枚)

わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

〈世の中の九割九分九厘の人は仕事をしていない。

正確には人間の労力や時間のほとんどは、一応「仕事」という名前がついているだけの、何のために/誰のためにあるのかよくわからない無意味な「作業」ないし「運動」で費やされている。

たとえばエクセルを開いて、閉じて、開いて、閉じてという指先ラジオ体操で今日の貴重な一日を終えた人は日本だけでも百万人以上いるだろう。

もしかしたらこうした時間の無駄に耐えられず、「こんな仕事、意味あるんですか」という禁句を発して上司に食ってかかった人もいるかもしれない。

こうした状況において、大抵の場合、上司は「規則だ」とぶっきらぼうに返事するだけだろう。というより上司だって、役員だって、取引先だって、意味不明な仕事を会社に強制してきた規制当局だって、誰も「その仕事が何のために必要なのか」も分かっていないのだからそう返答するしかない。〉(『世界は経営でできている』より)

日本でも「ブルシット・ジョブ」(クソどうでもいい仕事)という言葉が翻訳書などを通じて知られるようになったが、仕事に関する悩みは尽きない。

誰も見ないような申請書など無駄な書類作成・提出は、いまだに多くの企業に存在するだろう。

誰にもチェックされない書類の数々

それだけではない。なんでこんなことをしているんだろう、ということは様々なシーンで登場する。

〈たとえば我々はときどき自分の仕事に必要な製品・サービスを利用するために最も安い業者を探して外注したりする。「△△ 激安」と検索してみてインターネット上で最安値を見つけるのに血眼になる。しかし、その激安品によって節約される経費よりも検索に使った時間分の給料の方が高かったりする。

それどころか「安かろう、悪かろう」「安物買いの銭失い」とはよく言ったもので激安品はやはりそれなりに低品質で仕事の役に立たなかったりする。そうするとこの時間とお金は丸ごと無駄になるわけだ。〉(『世界は経営でできている』より)

〈ほかにも事務における書類のチェックや、工場や建設をはじめとした現場仕事における検査においても、我々は大して見てもいないのに指差し呼称をしながら「ヨシ」などということもある。「大丈夫、前の人も見てるんだし」という具合だ。

残念ながら人間はみんな似たり寄ったりだ。前の人もまた「大丈夫、後ろの人も見てるんだし」となるのは当然だろう。こうして誰にもチェックされない書類や造形物が出来上がる。

逆説的だがこれらが例の「仕事ではない何か」のために作られたものなら被害はまだ少ないかもしれない。顧客がおらず欠陥に誰も気づきようがないためだ(不幸なことに造形物にもこうしたものが存在する。特に税金を投入された大規模な建物の約半分はこの類である)。しかし顧客が存在する製品・サービスでこれをやると大変なリスクとなる。〉(『世界は経営でできている』より)

「本当の仕事」とは?

では、どのように仕事をとらえ、取り組めばいいのか。

『世界は経営でできている』の「仕事は経営でできている」という章では、顧客について次のように指摘・解説している。

〈本当の仕事は(消費者だけではなく、取引先や上司、社内の別部署など広義の)顧客を生み出し顧客を満足に/幸せにして、その対価として顧客が喜んで報酬を支払ってくれるようにすることだ。それができなければ、やがては組織を維持するためにかかる費用を捻出する原資がなくなる。

顧客を広い意味でとらえれば、経理/法務/総務/人事といった一見すると顧客を持たないように思われがちな部署もまた、社内の別部署や役員会などを顧客として仕事をしている。

会社で働く個々人も、目の前のお客様、上司、同僚などなど、どのような仕事でも顧客を想定できるはずである。

多くの人が「仕事に行きたくない」「働いたら負け」と愚痴をこぼすのは内実としてはこの「無意味な作業」に対してであり、創造的な仕事が嫌いだという人は少数派だろう。

そうでなければ、なぜこうした人たちが休みの日にスポーツや芸術といった「創造的な仕事」に(自分でお金を払ってまで)従事するのか説明がつかない。運動音痴を長年いじられ続けてきた私などスポーツは観るのもやるのも無意味な会議以上の苦行でしかない。

だとすれば「仕事という名前がついているだけの何か」を減らし「真の意味での創造的な仕事」の割合を増やせば、驚くべきことに(しかし論理と割り算さえわかれば誰でも理解できるとおり)、「世の中に提供できる付加価値が増加しつつ仕事も楽しくなる」というパラダイス的/ご都合主義的すぎて疑いたくなるような状況が得られるわけだ。〉(『世界は経営でできている』より)

つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い