「アルツハイマーという病気の認識が、がらりと変わった」…読者を驚嘆させたインタビューで認知症の東大教授が語った「深い話」

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「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。

だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。

『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第28回

『アルツハイマー病の夫と付き添う妻の「閉塞した毎日」を打ち破った「思わぬ転機」とは』より続く

インタビューで語られた気持ち

前回お話しした「医学界新聞」のインタビューは栃木の自宅で行われました。インタビュアーは『セラピスト』(新潮文庫)などの著作で知られる、ノンフィクション作家の最相葉月さん。カメラマンと編集者も同行し、初対面の人が合計3人も我が家を訪問することとなったのです。

このころの晋は、言葉数が以前にもまして減っていました。

〈引き受けたとはいえ、インタビューなど成り立つのだろうか……〉

そんな私の不安は、しかし、杞憂に終わりました。晋が驚くほど率直に、自分の気持ちを語るのです。

最相:はじめにこのこと(自分がアルツハイマー病であること)を発表しようと決心された経緯を教えていただけますか。

晋:公表に至るまでは本当に大変でした。そもそも、自分がアルツハイマーという病気になったことを受け入れるまでに4~5年かかったのです。そのあいだ、「自分は本当にアルツハイマーなのか」「もし、本当であれば、どうしてそうなったのか」と考え続けました。毎日毎日が、やるせなく、どうしようもない思いでした。

最相: 非常にうかがいにくいのですが、確定診断を受けられたとき、どのようにお感じになられましたか。

: とにかく、最初は「自分がどうしてこの病気になったのか」と、なかなか事実を受け入れられませんでした。それが2年ほど続いたんです。

最相: そして2008年の4月に(沖縄から)こちらに戻られたのですね。ちょうどそのとき『医学と福音』に書こうとご決意なさるわけですが、「このことは人に知らしめよう」とご決断されたいちばん大きな要因は何だったのでしょうか。

: 何でしょうね。JCMAの国際交流委員長を引き受けたこともきっかけの1つだったと思います。そして何より、自分がアルツハイマーだということを受け止められるくらいになったのです。それまではちょっとつらかった。君(克子)にもだいぶ……きついことを言ったね(笑)。「何で僕なんだ!」とか。

転機となったインタビュー

最相: 発症から5年以上、今いちばん困っていらっしゃることは何ですか。

: アルツハイマーに関しては薬を飲んでいるので比較的問題なく生活できています。不便といえば(北海道での交通)事故の後遺症で手がうまく使えないことくらいです。

克子: アルツハイマーは、ちょっと補助をすれば普通の生活ができるんです。でも、昔のようなやる気がなくなりましたね。すごくガッツがあって、働き過ぎなくらいあれもこれも、とやっていた人なのですが。これも症状の1つなのでしょうか。

: 症状かもしれないね。

きっと場所が自宅のリビングだったので、晋もリラックスできたのでしょう。最相さんのリードも見事でした。終始、対等な立場から真摯に問いかけていた彼女は、

「内心、覚悟のうえで臨んだ取材だった」

と帰り際に明かしてくれましたが、取材のプロでも勇気がいるのかと驚いたものです。

記事は2009年1月に掲載されました。晋の病がより広く公表されたことで、私たちは多くの方から励ましのお便りやお見舞いを受けました。

「若井先生が話せなくなってからでは遅い」

と、学生数人がわざわざ我が家まで会いに来てくれたこともあります。楽しくて話が弾み、一晩泊まって翌日帰っていきました。

講演依頼が舞い込んだ!

インタビューを読んだこんな感想を、人づてに教えてもらったこともあります。

「とにかくびっくりしました。アルツハイマーという病気の認識が、がらりと変わってしまうような、大きな驚きでした。発症から5年も経っていて、相変わらずの男前とあの聡明さは、同じ病気の家族を抱える人に希望を感じさせるだけでなく、『深さ』というのは損なわれないどころか、逆にさらに深まっているんじゃないかと思いました」

「深さ」という言葉は新鮮でした。いつも本人のそばで接していると、できなくなったことが目立ち、思わず口を出したくなります。そんな貧しい視点しかなかったことに、気づかされたのでした。そんな声、声のなかに混じって届いたのが、アルツハイマー病公表後、初めての講演依頼です。神奈川県内科医学会からのものでした。

「『医学界新聞』の対談を拝見したのですが、次回の学会で講演していただけませんか?」

電話口でそう求められたので、さっそく晋に聞くと、

「いいよ」

と即決。現役時代に講演は何度も経験してきたから、うまくいくと高をくくっているのかもしれません。

私は、頼まれたうれしさより心配のほうが勝りましたが、晋はそんなこと、どこ吹く風でした。

『登壇した講演が散々な結果に…アルツハイマー病の進行を妻に実感させた講演会での「驚愕の出来事」』へ続く

登壇した講演が散々な結果に…アルツハイマー病の進行を妻に実感させた講演会での「驚愕の出来事」