なぜ日本は豊かになれないのか、人生はうまくいかないのか…意外とよくある「失敗の本質」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。
※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
〈本来の経営は「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だ。
この経営概念の下では誰もが人生を経営する当事者となる。
幸せを求めない人間も、生まれてから死ぬまで一切他者と関わらない人間も存在しないからだ。他者から何かを奪って自分だけが幸せになることも、自分を疲弊させながら他者のために生きるのも、どちらも間違いである。「倫」理的な間違いではなく「論」理的な間違いだ。〉(『世界は経営でできている』より)
『世界は経営でできている』では、「経営」をこのように定義する。
経営は、企業のものでも社長のものでもない。
一人ひとりが人生を経営しているのだと強調し、次の3点を主張している。
〈(1)本当は誰もが人生を経営しているのにそれに気付く人は少ない。
(2)誤った経営概念によって人生に不条理と不合理がもたらされ続けている。
(3)誰もが本来の経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれない。〉(『世界は経営でできている』より)
身近に転がっている「経営の失敗」
身近に経営の失敗は、どのように転がっているのか。
『世界は経営でできている』では、2つの事例を取り上げる。
どうすればいいのか、何がおかしいのかすぐに気づけるだろうか。
〈ひとつは「飲食店で注文した品がなかなか出てこずにイライラする」場面だ。こんなありふれた日常にも経営が潜む。
しびれを切らし、ウェイターに「あの、○○を注文したはずですけど」とたずねる。だが、「いま作ってますから」と素っ気ない返事しかもらえない。
それから三十分以上経ってようやく○○と対面できた頃には、こちらも「つまみとして頼んだのに、もうお酒も飲み終わったし、いらないですよ」と嫌味になる。
ウェイターはむっとして、がちゃん、と、お皿をテーブルに叩きつけていく。こちらからすれば「こんなに待たされた上に態度も悪いなんて許せない」と顔を真っ赤にする。〉(『世界は経営でできている』より)
〈お次は、どこかから派遣されてきた役員が「競争意識が足りない。今度からは毎月の報告会で営業成績が平均未満の人間はクビだ」と宣言した状況だ。
すでに大笑いされている方は鋭い。
この発言は論理的に根本から間違っている。しかし、こんな馬鹿なことを本気でやる会社がある。恐ろしいことにむしろ多数派でさえある。〉(『世界は経営でできている』より)
こういうことがあるある、ありそうだと感じた方はぜひ『世界は経営でできている』でその答えを確認されたい。
人生を経営するとはどういうことか、具体的に知ることができるだろう。
つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。