「狩猟」も「農耕」も「恋愛」も「歌」がカギだった…科学が明らかにした、人類の存続と「歌」の意外な関係性
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。
しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。
安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」、その根底にある「うたのマジック」についてご紹介していきます(第三回)。
『なぜ人は「うたう」のか…『息』という字をひも解くと見えてくる、「うた」が人類生存に不可欠だったワケ』より続く
人類生存のカギは「歌」
猛獣たちに囲まれた世界の中で、ひ弱な人類が生き延びることができたのは道具の力によるところが大です。しかし、どんなに鋭利な刃物や弓を手にしたところで、ひとりで虎やライオンに立ち向かうことはできません。道具だけでは猛獣に勝つことはできないのです。
多くの人で「息を合わせ」、それらに向かう必要があります。
猛獣ではありませんが、たとえばクジラ。一本の銛ではクジラを捕獲することはできない。大勢の人間が「せーの」と息を合わせ、多くの銛が同時にクジラに当たったときに、はじめて捕獲することができます。
この「せーの」が息を合わせることであり、これを可能にするのが歌の力です。
民族音楽学者の小泉文夫は世界中の民族の音楽を採集しましたが、その結果、ほとんどの民族は一緒にリズムを取ったり、同じ音や和音を出したりするということに気づきました。しかし、「カリブー・エスキモー」と呼ばれるエスキモーの人たちはどうも例外であるといいます。
カリブー・エスキモーの人たちはそうしない、というか興味がない人たちなのです。
息を合わせぬ民
エスキモーには、クジラを獲るクジラ・エスキモーとカリブー(トナカイ)を狩るカリブー・エスキモーがいます。クジラ・エスキモーの人たちは一緒にリズムを取ったりします。しかし、カリブーを狩る人たちはしない。
彼らも歌を歌います。しかし、2人で歌っても、音程や拍子を合わせることをしません。それは彼らの獲物であるカリブーはひとりで捕獲できるので、他人と息を合わせる必要がないのでしょう。
かつての人類は猛獣に狩られる存在でしたが、われわれ現生人類は、歌という息を合わせる技術を獲得することによって、猛獣を狩るという、数少ない霊長類になったのです。
歌は狩猟の際に力を発揮するだけではありません。農耕においても大切です。
耕そうとする地に大きな木や石があったとき。それもみなの「せーの」で動かすことができます。川から水を引いてくるときの土木工事でも息を合わせることは大切です。
狩猟においても、農耕においても、人が生きていく上で、歌はとても大切だったのです。そして、息を合わせるのが上手な人の遺伝子を残していくためには、歌の上手な人を見つけ、その人の子孫を残していくことが重要でした。
古典の世界の人々の恋愛は和歌の贈答で行われました。すなわち歌によって相手を選んだ。だからこそ古代の人々は歌を大切にしたのでしょう。
そして、時代が古代を脱しても日本では歌の重要性の記憶は受け継がれ、長い間、「勅撰和歌集」が国家事業として営まれて来ました。
『「和歌の国」日本…世界的にも珍しい『勅撰和歌集』はどのようにして生まれたのか。能楽師の筆者と読み解く「すごい古典」』(10月25日公開)へ続く