戦艦大和の「出撃の朝」に、乗組員が書いた「母への遺書」…その「悲しみに満ちた中身」をご存知ですか

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出撃前の艦上で

世界各地で戦争が起きているいま、かつて実際に起きた戦争の内実、戦争体験者の言葉をさまざまな方法で知っておくことは、いっそう重要度を増しています。

そのときに役に立つ一冊が、吉田満『戦艦大和ノ最期』です。

本作は、戦艦「大和」に乗り込んでいた著者の吉田が、1945年春先の大和の出撃から、同艦が沈没するまでの様子をつぶさにつづったものです。

吉田とはどんな人物なのか。1943年、東京帝国大学の法科在学中に学徒出陣で海軍二等兵となり、翌1944年に東大を繰り上げ卒業。その年の12月に海軍少尉に任官され、「副電測士」という役職で大和に乗り込みます。

やがて吉田が乗った大和は沈没するわけですが、太平洋戦争が終わった直後に、大和の搭乗経験を、作家・吉川英治の勧めにしたがって一気に書き上げたのが本書です。

その記述がすべて事実の通りなのか、著者の創作が混ざっているものか、論争がつづいてきましたが、ともあれ、実際に戦地におもむいた人物が、後世にどのようなことを伝えたかったのかは、戦争を考えるうえで参考になることでしょう。

同書では、艦内の出来事が生々しく描かれます。

たとえば、出撃の日(4月6日)の早朝、郵便の締め切りが迫るなかで、吉田が遺書をどのように書こうか思案する部分。

同書より引用します。

〈艦内スピーカー「郵便物ノ締切ハ一〇〇〇(十時)」 気進マザルモ励マシ合イ、家ニシタタメントス

遺書ノ筆ノ進ミ難キヨ サレドワガ書ク一文字ヲモ待チ給ウ人ノ心ニ、報イザルベカラズ

母ガ歎キヲ如何ニスベキ

先立チテ散ル不孝ノワレニ、今、母ガ悲シミヲ慰ムル途アリヤ

母ガ歎キヲ、ワガ身ニ代ッテ負ウ途残サレタルヤ

更ニワガ生涯ノ一切ハ、母ガ愛ノ賜物ナリトノ感謝ヲ伝ウル由モナシ

イナ、面(オモテ)ヲ上ゲヨ

ワレニアルハ戦イノミ ワレハタダ出陣ノ戦士タルノミ

打チ伏ス母ガオクレ毛ヲ想ウナカレ

カクミズカラヲ鼓舞シツツヨウヤクニシタタム

「私ノモノハスベテ処分シテ下サイ 皆様マスマスオ元気デ、ドコマデモ生キ抜イテ下サイ ソノコトヲノミ念ジマス」 更ニ何ヲカ言イ加ウベキ

文面ニ訣別ノ思イ明ラカナレバ、歎キ給ウベシ

ワレ、タダ俯シテ死スルノミ ワガ死ノ実リアランコトヲ願ウノミ

ワレ幸イニ悔イナキ死ヲカチ得タラバ、喜ビ給エ〉

〈読ム人ノ心ノ肌ニ触ルル思イニ、読ミ返ス能ワズ 郵便箱ニ急ギ押シ入レ、私室ヲノガレ出ズ カクシテ、ワレト骨肉トヲ結ブ絆絶タレタリ

カカル折ニモ、父ガ愁イヲ顧ミルコト薄キハ如何ナル心情カ 晩酌ノ一献ヲ傾クル後姿ノ、ヤヤ淋シゲナルヲ一瞬脳裡ニ描キシノミ

世話好キノ鈴木少尉、戦友一人一人ニ、「貴様モウ遺書ヲ書イタカ」

面(オモテ)ヲソムクル者アレバ、「何ダマダ書カンノカ オ前ニハオフクロガイナイノカ 一字デモイイカラ書イテヤレヨ」 促シツツ「ペン」ヲ握ラス〉

これから死地へ向かう人は、どのような思いを抱くものなのか。吉田の記述からは、生々しい感情が伝わってきます。

【つづき】「「戦艦大和」の兵員が経験した、緊張感に満ちた「苛烈な業務」をご存知ですか?」では、大和での吉田の経験をさらに見ていきます。

「戦艦大和」の兵員が経験した、緊張感に満ちた「苛烈な業務」をご存知ですか?