昭和から平成に元号が変わった1989年、 日本で初めて消費税が導入されるなど、歴史的にも様々な節目があったこの年に始まった「所さんの目がテン!」。放送開始から35周年を迎え、1745回目・10月6日(日)放送の日本テレビ「所さんの目がテン!」は35周年記念スペシャルとしてお届けしました。

1989年の初回放送 “タワマン全盛”の時代を先取り?

1989年10月1日に放送を開始した「目がテン」。 記念すべき第1回のテーマは「超高層ビル」。30階の高層と4階の低層ではどのくらい環境が違うかという、今のタワーマンション全盛の時代を先取りしたような検証をした結果、高層階ほど洗濯物が乾くという結果となりました。


翌年の第26回では、ニワトリの有精卵を小学生に渡し人間の体温で卵を温めて孵すという大実験に挑戦。21日後に見事孵化するまでを追った実験ドキュメントは感動を呼び、科学放送奨励賞を受賞しました。

1995年、 なぜコピー機がコピーできるのかという身近な疑問に迫った回でも、2度目の科学放送奨励賞を受賞しました。

2003年には全日本テレビ番組製作社連盟 長寿番組賞を受賞。そしてそこからさらに、長寿番組としての歴史を刻み続けています。 


2014年には、放送開始25周年を記念して「新種発見プロジェクト」を決行。すると
見事新種のゾウムシとカニを発見。ゾウムシの仲間は学名「ペンフェルルス メガテン」。 そしてカニの仲間には学名「プロエクソテルソン トコロイ」。和名は「メガテンガニ」。 生き物の名前にまで番組の名前が刻まれているのです。


 

番組史上最長の企画「かがくの里」

そんな歴史と数々の企画を積み重ねてきた「目がテン」が10年前に始めた、番組史上最長の企画が「かがくの里」です。


2014年11月、全ての始まりは里山に詳しく人が自然とともに豊かに暮らす研究を続けてきた筑波大学 安藤邦廣名誉教授との出会い。「目がテン」は、当時社会問題としてクローズアップされてきた里山の荒廃の問題に、科学番組としてアプローチできないか話を聞くため安藤先生を訪ねました。

かつて日本のいたるところにあった里山では「資源を循環的に大切に使うことで生活が持続してきた」と安藤先生。見せてくれたのは、安藤先生が建てた、かつて里山にあったような茅葺きの家でした。

家を支える梁に使われているのは松の木、土壁を支える骨組みに使われているのは竹、そして屋根はススキの茅葺きです。「この辺の里山の風景は松林。屋根に葺く茅。そして竹林。里山にある資源がここに全部集められて、里山の風景がこの民家の空間に再現されている」と安藤先生。屋根に葺いた茅は30年ほどで葺き替えられ、朽ちた茅は田畑のたい肥となり循環するのです。かつての里山を取り戻すには、その土地の資源を人々の暮らしの中で活用し再び自然に返すという「循環」が大事であることを教えられました。

そして番組として里山の再生にチャレンジするため場所探しを始めたところ、茨城県の山村にある土地に出合いました。所有者が高齢のためこの地を離れ、長年荒れた状態となっていたこの場所をお借りして、科学者による里山再生プロジェクト・かがくの里が始動しました。

かつて里山のふもとには田畑があり、それを耕し作物を作ることが自然の循環を生んでいました。そこで、このプロジェクトに賛同し、参加を決めてくれた農業のプロフェッショナルを里にお呼びしました。

最初の科学者は東京農工大学 シニアプロフェッサー(当時) 松村昭治先生です。初めて訪れたとき、松村先生は「なんかいいですよね。高台でそこの畑が見えて、これだと楽しくできるんじゃないですか」と話してくれました。


松村先生はまず、作物を育てるには向かない粘土質の土地を掘り起こし、たい肥を入れ、菜園を作りました。最初に植えたのは荒れ地でも育ちやすいジャガイモ。1ヶ月後にはちゃんと芽が出ていました。

花が咲き、夏、茎が枯れたら収穫の合図。掘り返すと大きく育ったジャガイモが出てきました。

この企画に賛同した2人目の研究者が、自然エネルギーの専門家の足利大学 工学部 根本泰行教授です。根本先生が持ち込んだ里山の薪を効率よく燃やすことができるロケットストーブで、さっそくジャガイモを蒸かします。そしてかがくの里、最初の里の恵みとなったジャガイモを堪能しました。 

その後も「里の恵みを美味しく楽しく」をモットーに、小麦を育てたら近所の子どもたちとピザを作って一緒に食べたり、里川カボチャという在来種のカボチャが収穫できたらオバケカボチャを作りハロウィーンパーティーをしたり、里の田んぼでもち米が取れたらもちつき大会をしてきました。

特に里山の循環を実感できたのが、大豆を使った伝統食作りです。里で育てた稲藁を使って、藁づとを作り、煮沸し、蒸した里の大豆を入れ、裏山の枯れ葉を取ってきて、枯れ葉に付く微生物の発酵で50℃から60℃に温度が上がる装置に入れます。1週間経てば里のものだけで納豆の出来上がりです。


さらに木綿豆腐や、大豆から醤油、味噌も作りました。里で採れた稲を脱穀、精米した白米を裏山で刈った間伐材を焼いて作った炭で炙り、里の大豆から作った味噌を乗せ、味噌焼きおにぎりにしました。

このように里山の資源を活用しながら、田畑で作物を作り伝統の発酵食に生まれ変わらせるなど、昔ながらの営みを続け楽しい里山の暮らしを実践してきたのです。


そして里山再生を進めたことで、かがくの里には色々な生き物がやってくることになりました。2014年、松村先生がまず取り掛かったのは穴を掘ること。裏山で湧き水を見つけ、湧き水を引き込み、ため池を作りました。すると、作ったばかりの池に初めての生き物・オタマジャクシがやってきました。

水辺ができたことで、カエルがやってきて卵を生みました。カエルは里山を支えるとても重要な生き物で、宇都宮大学 農学部 守山拓弥准教授は「実はカエルは農村の生き物にとって貴重かつ重要な役割を持っていて、いろんな生き物のエサになる。フクロウもカエルを食べます。サギも、イタチも、いろんな生き物がカエルを食べる。一方で、いわゆる害虫と言われているような、農作物に害をなすような虫をカエルが食べてくれる」と教えてくれました。

カエルは田んぼの食物連鎖で中間の位置にあり、生態系のバランスの要。カエルが減ると餌となっていた昆虫が増えすぎ、カエルを食べる鳥や小動物が減るなど影響が大きいのです。菜園を始めるために作ったため池に、里山にとって重要な生き物が図らずもやってきました。

その後もクロスジギンヤンマのヤゴや、コオイムシなどかがくの里に色んな昆虫が見られるようになり、主に昆虫など小さな生き物の写真や動画を撮影するプロ・Tokyo Bug Boysの平井文彦さんと法師人響さんがメンバーに加わり、ヒメゲンゴロウやシマゲンゴロウ、ミズスマシやタガメなど今では地域によっては絶滅危惧になっている昆虫たちの姿を発見していきました。

かがくの里では、貴重なものを含めたくさんの昆虫がいることでそれを食べる鳥や哺乳類も見られるようになり、地域によっては準絶滅危惧のサンコウチョウや、ムササビの姿も観測。

里を縄張りにしているムササビがよく目撃されるようになり、設置した巣箱に出入りしていたムササビが赤ちゃんを出産。2022年には貴重な出産シーンを撮影できました。 

裏山を整備するための間伐を行い木々の間が広がると、里の生態系の頂点となる生き物・フクロウもやってきました。2023年には、産卵からヒナの誕生、子育て、そしてヒナの巣立ちまでを映像に収めることができました。

今回の放送では、これまで未公開の今年7月時点の映像も紹介。フクロウはその後も里に姿を現し、定着してくれているようです。

里山には森、田畑、水路など多様な環境があり、様々な生き物の住処となっています。そこで人が里山の恵みを活用することで豊かな循環が起こり、色んな生き物たちが自然と集まってくることがわかりました。


母屋プロジェクトの進捗も紹介

そして今、かがくの里で大きく進展しているのが、建築家・隈研吾さんが設計する里の母屋プロジェクトです。かがくの里の取り組みに共鳴した隈さんが2022年10月に里を訪れ「茅葺きでいこうと思う。里山の自然循環、動物の多様性ではススキはすごく大事だった。日本という場所の文化の深いところを見せたい」と、母屋の構想を明かしてくれました。

茅葺き屋根の家は企画の始まりに里山の専門家・安藤先生に教えてもらった、里山の資源循環の象徴にして、この企画の原点でもあります。

その茅葺き屋根の家が10年の時を経て、ついにかがくの里に建つことになります。去年6月にはデザインが発表となり、今年2月には母屋を建てる場所を決めに、隈さんが里を訪れました。

現在では基礎工事が完了。さらに茅葺き屋根を支える丸太、 壁や床になる板、骨組みとなる柱など、母屋に使う木材の準備が整いました。そして、家の材料に和紙など色々な自然素材を使って家を建てていきます。かがくの里の里山の循環を象徴する建物になること間違いなしです。