アルツハイマー病で東大を辞職…失意の元教授が自らの病を受け入れた「奇跡の瞬間」

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「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。

だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。

『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第25回

『政府の高官がアルツハイマー病に…苦難を乗り越え「世界一有名な認知症患者」となった女性と私の「奇跡のような出会い」』より続く

大きな会場での講演

2007年9月25日。

私たち夫婦と友人の貴美子さんは、この日、札幌コンベンションセンターにいました。もちろん、クリスティーン・ブライデンの講演を聞くためです。2000人規模の大きな会場です。開場の1時間前には到着していたのですが、すでに黒山の人だかりで仰天しました。あとから聞いたところでは、この日、1700人が集まったとか。

席が取れるのか心配になりましたが、どうしたわけか、最前列の中央部は空いていて、できるだけ演壇に近い場所で聞きたいと思っていた私たちにとっては、勿怪の幸いでした。

講演が始まります。

目の前には、かつてテレビでも見た、あのクリスティーンが立っています。用意した原稿を本人が読み上げ、それを逐次通訳するかたちで進みました。

「認知症の人がいたら、手をあげてください」

「1999年、オーストラリアの会議で認知症患者ということを明らかにしてから、私は周囲からの視線を浴びながら、病気の進行と闘ってきました。これからは表舞台から身を引いて、家庭に戻り、家族との時間を送りたいのです。残された時間は少ないですが、一瞬一瞬を大切に生きていきたい。私は全力で認知症の人のために提言を行い、変革に貢献してきました。この役目を、そろそろ他の人にバトンタッチしたいと思います」

58歳(当時)のクリスティーンは、気負った風もなく流暢にそう語ります。と、手にしていた原稿を演台に置きました。

もう終わりか――呆気ない思いにとらわれたのですが、私の誤解でした。クリスティーンは顔を上げ、聴衆にこう呼びかけたのです。

「このなかで認知症の人がいたら、手をあげてください」

壇上から場内を見回しています。私も気になって、後ろを振り向きかけたその瞬間、高々と手を挙げている晋が目に入りました。まっすぐ前を見つめています。他に手を挙げている人は見当たりませんでした。

栃木、東京、沖縄、北海道と、私たちは道を同じくしてきましたが、晋は自分から何かをしたいとか、どこかへ行きたいと言わなくなっていました。

「せっかく北海道へ来たんだから、旭山動物園にでも行ってみる?人気らしいよ」

「うん、いいよ」

と一緒に出かけても、心ここにあらず。美術館、寿司屋、書店……といろいろ誘ったこともありましたが、どこに行っても、何をしていても、抜け殻のようでした。

晋は、1960年代のいわゆる「東大紛争」を肌身で経験した世代でした。彼自身は実力行使には批判的だったのですが、「クラス闘争委員」というものに選ばれ、騒ぎに巻き込まれて血を流して帰ってきたこともあったそうです。

信念をためらうことなく表現

一方で晋は、学生の要求に真剣に向き合おうとしない教授たちの姿勢も目の当たりにしました。その経験もあり、母校を変えたい気持ちを胸に抱いて東大に赴任したのです。

2000年、太平洋戦争で命を落とした東大医学部生の慰霊碑建立が計画されたことがあります。晋は『鉄門だより』(2001年1月10日号)に、こんな意見を寄せました。

被害者としての側面のみを前面に出す碑は建立すべきではない。加害者としての罪責も明らかにし、そのような悲劇と、罪を犯すことが二度とないようにしようという反戦の碑であるのならば個人的には賛成であるが、少なくとも教授総会の説明ではそのような意図はないように感じられた。(中略)

日本人としての立場だけで考えるのでなく、今まで以上にグローバルな視点から物事を考えるようにならなければならないと思う。慰霊碑は日本人としての立場を日本人でない方々に押し付けることになり、国際化の流れに逆行するものである。

信念をためらうことなく表現するのも、〈東大を変えたい〉との思いからでしょう。

しかし、その思いは、病気、それもアルツハイマー病というやっかいな病気によって、不意に断たれたのでした。だから、

〈自分は、何のために生きているのか〉

そんな虚しさを、ずっと拭えなかったのかもしれません。

私には、そんな晋を見ていることしかできないのだろうか。ふたりでクリスティーンの話を聞き、信仰に裏打ちされたその生き方に触れれば、何か変わるのではないか――。札幌にとどまったのは、実はそんな期待もあってのことでした。

活動的だった昔の晋と、無気力にさえ見える現在の姿を知っているがゆえに、高々と手を挙げる彼の姿は心に強くのこりました。だから講演後、貴美子さんにマンションまで送ってもらう帰りの車中、私は晋に小声でこう尋ねたのです。

「どうして手を挙げたの?」

「何も考えてないよ。自然に手が挙がったんだよ」

晋の目は、まっすぐ前を見つめていました。

政府の高官がアルツハイマー病に…苦難を乗り越え「世界一有名な認知症患者」となった女性と私の「奇跡のような出会い」