変化する職場での挨拶(写真提供:Photo AC)

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「頑張らせていただきます」「お名前様、いただけますか」「書類のほうをお送りします」…丁寧に言おうとして、おかしな日本語を使っていませんか?そんな中「盛りすぎないほうが誠実で潔い!」と断言するのが京都暮らしのコピーライター前田めぐるさんです。今回は、著書「その敬語、盛りすぎです!」より一部を抜粋して紹介します。

【書影】実は間違いだらけ⁈「正しい敬語」の使い方。京都在住のコピーライター前田めぐるさん著書『その敬語、盛りすぎです!』

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目上でも目下でも「お疲れさま」が増えている

「また、その話?正直、もう飽きたよ。目上には「お疲れさま」、目下には「ご苦労さま」。これでいいんでしょ」

まあ、そう投げやりにならないでください。

もしかしたら、この続きは<「ご苦労さま」がもともと目上に使う言葉だった>という説よりも、耳寄りな情報かもしれません。

目上には「お疲れさま」、目下には「ご苦労さま」。

敬語の本やインターネットの記事でよく書かれている使い分けです。私も記事にしたことがあります。

しかし、最近の傾向を見ていると、そう単純に割り切れるものでもないようです。

「自分が会社員であるとして、同じ会社で同じ仕事を一緒にした人たちに対して、その仕事が終わったときに何という言葉をかけることが一番多いか」を尋ねた世論調査(平成27年度・文化庁)があります。

「お疲れ様(でした)」を、目上の人に対して使う人は全体の76・0%、目下の人に使う人は61・4%。

「ご苦労様(でした)」を目下の人に使う人は28・4%と3割以下です。「お疲れ様(でした)」がかなり優勢ではありませんか。(※用字は調査のまま)

挨拶から感じる時代の変化

調査からは、目上・目下に関係なく「お疲れさま(でした)」が多いことが分かります。もしコンビニやカフェでアルバイトをしている人が近くにいたら、同じ質問をしてみてください。

私が尋ねた若者は「ご苦労さまです」はほとんどバイト先で聞かれない、と教えてくれました。

若者が多い職場では「お疲れさま」が主流である可能性もあります。若者に迎合しようという意味ではありませんが、常に時代は変化していることの表れだと感じました。

ともあれ一日の疲れをねぎらう挨拶は、次の日への大切なバトン。

「お疲れさまです。今日はアドバイスありがとうございました。お先に失礼いたします」

「お疲れさま。こちらこそありがとう。気をつけて帰ってください」

どんな言葉ならリフレッシュするでしょうか。そう考えれば、流されず、杓子定規(しゃくしじょうぎ)ではない言葉がきっと出てくるはずですね。

何が何でも「よろしくお願いいたします」?

メールの慣習に流されすぎてはいないでしょうか。

すでに知っている相手とのビジネスメールは「お世話になっております」で始まり、「よろしくお願いいたします」で終わるのが一般的です。

私もそうすることは多いです。異論はありません。

ただし、一般的であることと、機会的にそれを行うことはイコールではありません。

その日最初のメールで「お世話になっております」だとしても、同じ日に返信を重ねるなら、2通目は「お世話になっております」とは返さないでしょう。

相手からの返信がすぐにあれば、「早速の返信ありがとうございます」と返します。「掲載のお知らせ」であれば、「掲載のお知らせありがとうございます」と返します。「拝見しました」と続けて、感想を述べることもあります。

また、前日会った相手であれば、「おはようございます。昨日はありがとうございました」から始めるでしょう。

相手の気持ちに想像力を働かせて…

これがもし、知らない相手に対してであれば「お世話になっております」は使えません。

相手と、送る内容によって書き出しはいろいろ考えられますが、少なくとも、まだお世話にはなっていないからです。

結びも、毎回同じ「よろしくお願いいたします」ではありません。どのようによろしく、なのかと「よろしく」の中味を考えます。

確認してほしいときは「よろしくご確認くださいますようお願いいたします」。
 


メールのやり取りは想像力を働かせて(写真提供:Photo AC)

検討してほしいときは「ご検討の程よろしくお願いいたします」。

まだ案件が途中のときは「引き続きよろしくお願いいたします」。

翌日会う約束があれば「明日は楽しみにしております」と結ぶでしょう。

まれに、メールのたびに「お世話になっております。**と申します」と名乗る人もいます。

実際に面識もあるのに、日に何度も「申します」と名乗られては、よそよそしいを通り越してはいないでしょうか。単に「**です」を丁寧に言っているだけのつもりかもしれませんが、必要以上の距離感を与えることがあるため、要注意です。

大切なのは、相手の気持ちを考えること。思考停止に陥らず、送る内容を吟味し、想像力を働かせることです。

顔が見えないからこそ、思いをはせて送りたいですね。

「とんでもありません」 「とんでもございません」条件反射で使うのは、流されすぎです

『「とんでもない」は一語化した形容詞で切り離すことはできず、「とんでもございません」と使うことは本来できない。

「とんでもないことでございます」とすべきである。しかし、慣用化により「とんでもございません」「とんでもありません」は定着している』

現在、「とんでもございません」について、このような認識が一般的です。

「とんでもございません」ではなく「とんでもないことでございます」が正しい。

しかし、それでは冗長な印象を与えるために、慣用的な表現として「とんでもありません」「とんでもございません」が許容されつつあるわけですね。

(言葉に関する書籍には、完全に一語化した形容詞であることに疑問を呈しているものもあります。注目に値する考え方だと思いますが、ここでは置いておきます)

ひとつ抵抗しておくと、「とんでもない」をひとまとまりの形容詞とみなすなら「いえ、とんでもない」とそのまま使うこともできます。

言い切りが落ち着かないと感じた」ら、「いえ、とんでもない。そんなことはございません」ともう一文加えるのも手。

「滅相(めっそう)もない。お恥ずかしいです」と同じ形です。

誤用でも冗長でもなく、敬意も表せるのではないでしょうか。

謙遜しつつも否定する?!「とんでもない」の使い方

話を戻して、今や「とんでもないことでございます」「とんでもございません」は、褒め言葉を軽く打ち消す返事として大勢を占めます。

しかし、「とんでもない」という言葉の正確な意味を把握した上で使うのでなければ、流されすぎだと言えるでしょう。

一つ目に「程度や常識を超えている」という意味があります。「とんでもない悪人だ」「とんでもない円安だ」のように、マイナスの意味で使われます。

二つ目に「相手や他人の考えを強く否定して言う」」という意味があります。「滅相もない」と同じです。

「今になって断るとはとんでもない」のように、も使われます。

「とんでもないことでございます」「とんでもございません」と使う場合は、二つ目の意味です。

両方とも、謙遜しつつも否定するという働きは変わらないわけですね。

こうなると、せっかく褒めてくれた相手の言葉を強く打ち消すということ自体が、相手を尊重する敬語の本質とずれているように感じられます。

それが、本当に思いがけないほど過分な褒めや申し出や贈答であったなら、「とんでもございません」はすんなり受け止められるでしょう。

しかし、条件反射で単なる儀礼的な決まり文句として使ったなら、心ある相手にはそれが伝わってしまうでしょう。

※本稿は『その敬語、盛りすぎです!』(青春出版社)の一部を再編集したものです。