田中本家博物館で見つかった秀吉の書状

写真拡大

 羽柴(豊臣)秀吉が、小牧・長久手の戦い(1584年)のさなかに弟の秀長に送った書状が田中本家博物館(長野県須坂市)で新たに見つかった。

 戦況が軽妙につづられており、専門家は「兄弟の関係性を知る貴重な資料だ」としている。同館で期間限定で展示されている。

 書状は、田中本家が江戸時代に入手したという。土蔵で保管されていたものを同館の田中新十郎館長(49)が7月、東京大学史料編纂(へんさん)所の村井祐樹准教授に調査を依頼した。その結果、秀吉の花押(かおう)や、書状の内容、紙質などから新発見の書状であることが確認された。

 書状は、1584年6月18日に出されたもので、秀吉が尾張の黒田と一宮を攻撃し、火を放ったことなどが書かれている。補佐役であった秀長に対し、「きっと煙が見えたのではないか」と冗談を交えて戦況を伝えており、2人の関係性をうかがい知ることが出来る。

 「お前も神戸城に着いたか?」とも記され、村井准教授によると、秀長がこの時期に伊勢の神戸を守っていたことは新発見であるという。「船関係については油断なく手配することが重要である」とも注意を促しており、秀吉が制海権にも気を配っていたことを知ることが出来る。

 秀吉が秀長に送った書状で原本が残るものは少ないという。田中館長は「本物かどうかわからず、捨てられる書物もある中で、よくここまで残せたなと、感動している」と話す。

 展示は12月15日まで。問い合わせは同館(026・248・8008)。