平方元基、今改めて自らに問う「芝居」への想い~舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』インタビュー

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2022年7月8日(金)に開幕し、ロングラン上演3年目を迎え、今年2024年8月には総観客数100 万人を突破した舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』。

小説の最終巻から19年後、父親になった37歳のハリー・ポッターとその息子・アルバスの関係を軸に描かれる本作は、小説「ハリー・ポッター」シリーズの作者であるJ.K.ローリングが、舞台の演出を手がけるジョン・ティファニー、脚本を手がけるジャック・ソーンと共に、舞台のために書き下ろした「ハリー・ポッター」シリーズ8作目の物語。初めて”舞台”という手法を使って描かれ、世界中で好評を得ている。

3年目のハリー・ポッター役として7月8日(月)に初日を迎え、約1か月半が経った平方元基に話を聞いた。

なにかをしようとしなくていいのだなって

――平方さんのハリー・ポッター、何度も観たいハリーでした。役づくりはどんなふうにしていかれたのですか?

台本を読んで、演出家とディスカッションして、目の前にいる役者さんと何度も何度も練習をして、というふうにつくっていきました。でもやっぱ演出家ですね。演出家のジャッジをちゃんと聞いて、どんなニュアンスを入れたほうがいいとか、自分がどう感じたかとか、ここはもうちょっと自分の思った通りに素直に反応していいよとか、一つひとつやっていきました。(ギミックの多い作品なので)ここはこうしなきゃいけないという動きの制限はあるんですけど、“気持ち”に関しては俳優から湧き出るものを尊重してくださる演出家だったので、そこはすごく話し合いましたし、今も直接やり取りしています。

――どんなやり取りをするのですか?

今日はこういうノッキング(引っかかること)が起きたのだけど、それはダメなノッキングなのかいいノッキングなのかとかですね。密にコミュニケーションを取りながらやれています。今でも毎日毎公演、アルバスが変われば、ハーマイオニーが変われば、ロンが変われば、という感じで一度として同じ舞台になっていないので。そこがハラハラもするし、楽しいところかな。だからやっていけるし、そういうことが役をつくってくれている感じがします。みんながハリーにさせてくれる感じです。

――演出家のエリックさんに言われて、印象的なことはありますか?

ハリー・ポッターってこんなに大変な人なんだと思って(笑)。映画だと(子供時代を描くので)そうじゃないじゃないですか。でも大人になった彼はえらくこじらせていて悩んだりもがいたりしているなって。人間らしいなと思うんですけどね。そういうハリーなので、エリックに「どう見えている?」って聞いたら、「いいんじゃない? ハリー・ポッターだよ。いいよ、いいよ」って。稽古場とかいろんなところで僕が悩んでいることを、言わないけど遠くで見ていたり、知っていたりするわけですよね、演出家って。そういうものも汲み取ってくれているんだなということにハッとしたし、なにかをしようとしなくていいんだなっていうのはすごく思いました。

――なにかをしようとしなくていい、というのは。

その場をちゃんと生きることだと思います。例えば台本に「泣く」って書かれているわけじゃなくても感情がきたから泣いたっていうのもそうだし、逆に感情がないのに泣いても、そんなの見せられたってお客さんも興覚めじゃないですか。そういう意味で、稽古場では「こういう場合は自分を信じていいのね」というような緻密な確認をずっとしてきたので。観に来てくださるお客様のために、できるだけ嘘をつかないで舞台上にいたいと思います。

――これまでそうではなかったですか?

今までも割と僕はそういう人でした。だから逆に「それでいいんだよ」と言ってくれて安心した、というのがあります。こう書かれているからこうしなさい、ああ書かれているからああしなさい、では演劇は成り立たないんですよ、きっと。それを器用にやられる方もいるのですごいなって尊敬するし、やってみようと思ったこともあるし、やらなきゃいけないこともあったのですが、自分が信じているものはそこじゃなかったりするから。そこを共有できて、一緒に「それでいいんだよ」ってやれる現場にいられて、それが「ハリー・ポッター」だったというのは、僕の中では人生ですごく大きな出来事でした。

ラストシーンから物語が始まっていく

――この作品、ラストシーンのお芝居は役者におまかせだそうですね。今はラストシーンでどんなことを思われていますか?

「ああ終わるんだ、この3時間40分」という気持ちと、「ここから物語が始まっていく」という気持ちがあります。僕がお客さんだったら、ここから始まっていくなにかがそこにないと、3時間40分やった意味がないと思いますしね。その前のシーンで、アルバスとスコーピウスの新しい関係性が描かれて、「僕たち、新しいバージョンになったね」って言うんですけど、じゃあハリーとアルバスはどんなバージョンになるのか、なれるのか、ならないのか。そこが一番の肝だと思うし、アルバスも僕も「その日どう感じた?」っていうことを台詞を通してやり合っている。だからすんなりくる日もあれば、全然こない日もあります。でもお互いちゃんと目を見て話せるところまではきたよね、っていう。そしてさあこれからどうなるか、からの暗転ですもんね。僕らもわからない、そこからどうなるか。台詞は決まってるけど思っていることは全然違うから。だから本当に毎回初めてやっている感じです。なにも頼るところがない。目の前にいる息子と、自分だけ。

――その状況って怖いですか?

いやいや、怖くないですよ。客席にいるみなさんが、ハトの話の時にくすっと笑ってくれたりとか、僕らよりも取り逃さないように聞いてくれているから。すごく安心です。ふたりのやりとりという意味ではドキドキしますけどね。でも全体としては、みんなで一緒にその時間を見てくれたらうれしいなって。どうなるんだろうね?ってところで暗転するし。

――たしかに父子の関係がどう変化したか具体的には描かないですね。

お客さんはすごく集中して観てくださっているから、その暗転で終わりだとわかって拍手してくれる方もいれば、「え? で?」みたいな方もいます。これって演劇を初めて観る方もたくさんいるから起きる現象だなと思うんです。だからそれも嬉しいなって。演劇を知らなかったけど「ハリー・ポッター」だから観てみようと、初めての経験でそこにいてくれるのだと思うと、改めて「ハリー・ポッター」がすごく愛されている作品だということを感じるし、そこに自分がいさせてもらえることをありがたく感じます。

手放せないなにかがある。それをすごく感じさせてくれる作品

――取材会などでの平方さんの発言を拝見していると、同じハリー役の吉沢悠さんの存在がとても大きいことも感じます。

悠くんはもう一緒に闘ってきた感が強すぎて、なにがあっても基本ハグです(笑)。ある時ぽつり「やっぱハリーにしかわからないこともあるよね」と言ってくれたことがあって、そうだなと思いました。もちろんどの役もそうだと思いますけど。ハリーにしかわからないことはきっと終わるまで解き放たれることはないけど、その言葉で繋がっているから悠くんと一緒にやれているのかなと思います。

――共有できる相手がいるのは。

ありがたいです。共有は全員とできるんですよ。でも同じ役として、そこまで心の深いところで話ができるというのはなかなかない出会いだなと思っています。

――稽古開始前に取材をさせてもらった時に、この作品のオーディションはご自身に対して「本当にお芝居をすることが好きなのか」「はじめましての役者さんたちといろんな台詞の応酬をすることは本当に好きなのか」を問いたくて受けたとおっしゃっていたのですが、今はその辺りをどう思っていらっしゃいますか?

お芝居をすることが好きなんだと思いました。それと、「みんなそうなんだな」って思うようになりました。いろんなものとせめぎ合いながら生きている。諦めそうになる日もあるし、投げ出したい日もある。だけど幕が開けば舞台に立たなければいけない。時間になったら仕事に行かなければいけない。みんな同じ。“生きる”ってこういうことなんだ、みたいな。

好きこそもののなんとかって言いますけど、今回その言葉の意味が本当に初めて実感できたっていうか。「好きなんだね」って40手前で思えたことがうれしかったです。この「ハリー・ポッター」の仲間たちといる時にそう思えたことも。

僕を観に劇場に来てくださる方の存在もとてもうれしいのですが、この『ハリー・ポッターと呪いの子』は、僕を知らない方が観てくださるような作品で。そういう方の感想って「お芝居っておもしろいんだね」というものが多いです。やっぱりこっち側(カンパニー)にお芝居を好きな人たちがいるから伝わるんだなと思いました。どんな仕事でも大変なことは山ほどあるけどなんでやっているのって、もちろん“生きていかなきゃいけない”もそう。だけどやめてもいいのにやめないのは、好きだからかもしれない。

手放せないなにかがある。それをすごく感じさせてくれる「ハリー・ポッター」だなと思います。

取材・文=中川實穗 撮影=池上夢貢