浦井健治に独占インタビュー! 役を替えて新たに取り組む、4年ぶりの『天保十二年のシェイクスピア』
井上ひさしがシェイクスピア全作品の要素を巧妙に盛り込んだ傑作戯曲『天保十二年のシェイクスピア』。初演は1974年で出口典雄が演出を手がけ、以降もいのうえひでのり演出版(2002年)や蜷川幸雄演出版(2005年)として上演され、そのたびに伝説となるほどの強いインパクトを残してきた名作だ。2020年には藤田俊太郎演出版が上演されたのだが、コロナ禍の影響を受け一部公演が中止になるという憂き目に遭ってしまった。あれから4年。各方面で高い評価を博していた、その藤田演出版がキャストを一部変更して蘇る。
主人公の<佐渡の三世次>(『リチャード三世』+『オセロー』+『ジュリアス・シーザー』+『リチャード二世』の要素を内包する人物)を演じるのは、前回<きじるしの王次>(『ハムレット』+『ロミオとジュリエット』+『間違いの喜劇』)として出演していた、浦井健治。また唯月ふうか、土井ケイト、阿部裕、玉置孝匡、章平、梅沢昌代、木場勝己も同様に2020年版からの続投組として登場し、ここに大貫勇輔、猪野広樹、綾凰華、福田えり、瀬奈じゅん、中村梅雀らが新キャストとして加わることになっている。
同じ演目に別のキャラクターで再挑戦する浦井に、今作への特別な思い入れや演じる役柄についてなど意気込みを語ってもらった。
浦井健治
ーー今回『天保十二年のシェイクスピア』に再び取り組むにあたり、特に浦井さんの場合は単なる再演ではなく役が替わってもう一度ということになるわけですが、お話をいただいた時は最初どう思われましたか。
やっぱりまずは、光栄で役者冥利に尽きる! という一言でしたね。自分は、藤田さん演出バージョンの初演に<きじるしの王次>役で関わらせていただきました。あれから4年経ちましたが、前回は志なかばで東京公演は千穐楽目前、大阪公演に至っては全公演が中止になってしまいました。あの時の悔しい思いは、お客様にお届けできなかったもどかしさと共にいつまでもみんなの心に残っていて。あのメンバーだったからこそ見られた景色というものもあり、それに誇りも持っていたんです。その空気を知っている東宝さんと藤田さんが、もう一度やるとなった時に、きっとたくさん会議を重ねた上で、浦井の名前を挙げてくださって、今回に至ったわけです。僕も最初は「ちょっと考えさせてください」と思いましたよ、やはり「ありがとうございます!」と即答はできなかったです。当然、「やりたい」という気持ちはありましたけれど、そんな簡単な役ではない大役中の大役だということはわかっていますしね。あと、自分は初演で高橋一生さんが演じていた三世次のファンでもありましたし。
ーー誰よりも近くで目撃していたわけですしね。
そうなんです。それに、王次と三世次って対になっている役なんですよ。実は同じものを見ていたり、同じ場面に出ていなくても、木場さん演じる<隊長>という役を通して時代を駆け抜けた人物として同じような着地点を持つ二人でもあるので。その両役を、この短期間で演じられることは、非常に貴重な経験です。あの初演の景色を覚えているからこそ、それを踏まえて自分がリスペクトしながらやっていくべきものを、新メンバーを含めた今回のカンパニーと共に紡いでいけたらなと思っています。オファーをしてくださった熱い想いに応えながら、そして今の時代のことも意識しつつ、お客様にしっかり楽しんでいただけるような『天保十二年のシェイクスピア』を作りたいです。
浦井健治
ーー同じ演目で、前回は別の役をやっていたのに、間を空けずに再度挑む経験ってあまりないことですよね。演じるにあたっては、一度やっているから台詞が覚えやすいとか、そんなことはあるのでしょうか。
いや、それは関係ないですね。というのは三世次と王次は一緒に出ている場面がほぼなかったから。そういう意味ではゼロからのスタートではあるものの、初演の空気を知っているから完全にゼロではないというのが、今回は自分にとって強みだと思っています。一生さんが演じていた初演の三世次は、日本の演劇界でも稀に見る狂気だったと思うんです。僕も、あんな演劇のスタイルがあるんだ! と驚いたくらいに。藤田さんとしてもそこを狙っていて、だからこそ生まれたのがあの三世次だった。だから今回の再演は、あの時の空気を持ち、リスペクトをしながら挑んでほしいという思いがきっとあると思うんです。自分としても、その点を継承しながらやっていきたいし、悪の華としてどうやって生き抜いてきたか、もしくは生きたかったのか。そういった純粋というか、筋の通った狂気という表現が正しいかわかりませんが、三世次にはあって、それは過去に上演されたいのうえひでのりさん演出バージョンにも、蜷川幸雄さん演出バージョンにも通ずるものはあったはずですし、三世次に限らず井上ひさしさんが時代へのメッセージとしてペンに込めた思いは、きっと各役それぞれにも投影されている。そこに加えて、自分の場合はシェイクスピア作品を新国立劇場さんの歴史劇シリーズで齧らせていただいてきたからこその目線もあって。ちなみに僕自身はこれまで、赤薔薇派のヘンリー四世、五世、六世、七世を演じてきたんですが、今回はそれと対立する立場のリチャード三世をモチーフにした三世次役。つまり、白薔薇派はここにきて初めて演じることになるんです。
ーーそうでした、薔薇戦争(15世紀英国で起こったランカスター家とヨーク家の権力闘争)で考えたらずっと赤薔薇側の人物を演じられていましたね。
自分は今、役者としてとても幸せな環境に身を置かせていただいているなとも思っています。あとは、それをどう表現するかに全力を尽くせばいいだけなんですから、こんなにありがたいことはないです。だってこのような井上ひさしさんの大作を、それも今度は違う役でやらせていただけるなんてこんな贅沢なこと、ないですから。
ーーとても幸せな巡り合わせですね。
それに、役がやりたくてもやれない時ってあるじゃないですか。逆に、役が役者を呼ぶということもある。おこがましいですけど、不思議ですし、そういうことってあるなと、感じる時もあって。リチャード三世役はこれまで演じる機会がなかったんだけれど、もしかしたら白薔薇のヨーク家が「そろそろ浦井に演じさせてみよう」と言ってくれているのかもと、この三世次という役も、自分としては前向きに捉えようかと思ってもいます(笑)。だったら、自分の表現としてどうするかは、演出の藤田さんと一緒に初演をリスペクトしながら、今回のメンバーで頑張っていくつもりです。
浦井健治
ーー三世次はすさまじく極悪な人物で、浦井さんのパブリックイメージとはまるで真逆のようにも思えますが。
そもそも、自分を分析するなんてまったくできていないんです。だけど役を纏うことによってそこに真実味を帯びさせていき、役を自分が信じることでお客様にもその人物を信じてもらえるような役者でありたいとは思っていて。確かに自分は善人だったり、善人であろうとしていたり、人のために動こうとしたりするポジションという意味では、とても数多くやらせていただいてきた気がしますけど、狂気的な方向に振り切った際のお芝居に惹かれたり、色気を感じたりすることってあるじゃないですか。まさにそれを今回、自分はこの三世次という役で出せたらいいなと思っているところです。それから、これは自分の悪い癖なのか良い癖なのかはわからないのですが、役に意味を持たせる時にその人の一貫性を求めてしまう気がしていて。つまりその人物のポリシー、信念みたいなものを役に持たせようとしてしまうんです。でも今回の三世次に、それを持たせてもいいものなんだろうかというのが、現時点での自分の問いですね。特に最後の最後、三世次はそれまで、のし上がるためにどれだけの人を殺し、どれだけの悪いことをして権力を手にしたのか。そしてその後に待っているもの、最後に見えた景色は何だったのか。たとえば『リチャード三世』と同じ解釈を、三世次に持たせてみてもいいのだろうか。その上で、ここ数年の現実での時代の変化も含めて考えると、井上ひさしさんが書いた戯曲の持つメッセージにしても場合によってはちょっと触れただけで即NGみたいな、大変に過敏な時代に変わってきていますから。
ーー本当に。たった4年で、相当センシティブな世の中に変化してしまった気もします。
それを踏まえたとしても、表現としてはどうやる? ということですよね。この三世次という極悪非道な人に、僕は何か意味を持たせていいんだろうか。単にその時その時に発見したこと、その時その時にしてしまった悪事でのし上がっていった結果、“無”なのか。散っていく時にもしかして何かが出てきて、他者に影響を与えたりするのか。ただただ“虫けら”なだけの奴だったのか。それが今、僕の中ではチョイスとしてあるので。
ーーいろんな可能性が見えそうです。
実は、三世次は時代を映す存在でもあると思いますから、だったら今のこの時代の三世次ってなんなんだろう、自分を持っていたのかな、または持っていなかったのかな、と。ある意味、王次の方が自分を持っていて筋が通っていた、ということなのかな。散り際にどう散ったかも対比しているようでいて、前回はもしかしたら同じだったような気もしてくる。だけど今回はもしかしたらもっと全然違う、散るものもないような枯れ木だったりするのかな、なんてことも考えたりします。
ーー粉とか塵みたいになって消えていくのか、とか?
そもそも、そんな大層な木ではなかったのか、とか。今の時代へのメッセージとしてそうやって考えることも、すごく学びになるんじゃないかとも思っていて。それも、この作品に参加する醍醐味かなと思っています。しかし、それにしてもあんなにたくさん人を殺すなんて。僕としては、あの“黒いノート”を使った時以来ですね(笑)。
浦井健治
ーーそして赤薔薇率、ヘンリー率が高い、とはいうものの本当に多くのシェイクスピア作品に出られてきた浦井さんとしては、この一作にシェイクスピアの名作がギュッと詰まっている『天保十二年のシェイクスピア』という作品には、どんな想いを抱かれているのかなというのも気になるところですが。
シェイクスピアファンとしては「このシーンは、あの作品のあの台詞だ!」と思いますし、しかもそれが天保時代の和モノとして、つまりひとつクッションがあって出てくるというオシャレ感も楽しいですし。それでいて、結構「えっ、ここは本当にあのシーン?」という場面もあったりするんですよ。
ーーわかりやすく組み込まれているところもあれば、「あれ?」っていうところもある。
それも踏まえて、井上ひさしさんの筆の遊び心でしょうから。今の時代には新鮮に思えるかもしれない。そもそもシェイクスピア作品はいつの時代にも新鮮に見えるから、そこも天才作家の共通点ですよね。それが合わさっているところを、今回また藤田さんと音楽の宮川彬良さんが束ねてくださるんですから、やはり贅沢、極まりない。才能と才能が化学反応を起こしている中でやらせてもらえるのなら、きっと役者なんてものは何をやったって実は正解なんです。その天才たちのお盆の上に乗っているのなら、ではどういう風に活きのいい海鮮であればいいのかな、と。
ーー海鮮なんですか(笑)。
そう、お客様にはそれをどう食していただければいいのかなと、考えるのが役者だと思うんです(笑)。悩み多き初演だったけれど、みんながその先に見たものは絶景だったはずなので。今回はあの景色を継承しながらのスタートになるので、その場合はどんな風景が広がるんだろうと楽しみに思っています。
ーー前回と違う点という意味では、今回は浦井さんが座長になるわけで。
いや、誰も僕のことは座長だと思わないんじゃないかな。でも確かに、初演では一生さんがもちろん座長でしたけど、同時に<隊長>を演じる木場さんも座長のような存在で。座長、というか隊長なんだけど(笑)。
浦井健治
ーーそうか、隊長がいる座組なんですね(笑)。
そうなんです、その隊長の口上から幕が開く芝居でもありますからね。その後も起きる出来事をずっと傍観し、目撃し。お客様と共に問題を見据えて、考えて、衝撃を受けて、最後の最後まで対峙していく。その隊長は、何を見ていたんだろう、時代を見ていたのかなとも思っていますけど。
ーー三世次をずっと見守っているというか。
見守っているというより、裁いているのかもしれない。「お前はどれだけ駄目で、どこが違っていたのか」と。
ーー批判する視点で。
要は、その時代がどれだけ乱れているか、異なっているかなんだけど、絢爛豪華な乱れ方もしていて。ちょっと乱れ過ぎなところもあるけど、でも人間なんて蓋を開ければそんなものだよ、というところに繋がっているのかなとも思いますね。とにかく三世次を演じられることは楽しみでしかないです。だけど、舞台の上では動きから何から、すべてが大変なことになると思います。新国立劇場でやった『リチャード三世』の時、岡本健一さんがいかに身体を痛めていたかも知っていますし。その上で、苦行を乗り越えた時の姿もそばで見ていて「ああ、リチャード三世役は確かに役者だったらみんなやりたいと思うわ」って、しみじみわかりましたし。そういう発散の仕方ができる役なので、それを演じられる三世次は楽しみでしかないです。ただ、シェイクスピアってその境地に行き着くまでが地獄なんですよ……。だからもしかしたら今回はずっと地獄を背負い続けることになるかもしれないので、やっぱり怖いです。
ーー怖さもあるけど、心の奥には楽しみも同時に感じられている状態なんですね。
なんとか楽しめるとこまでたどり着きたいです。初演を知っているというのは自分のお守りでもありますけど、そのお守りが燃え散るかもしれない。燃えたものを手にして火傷だらけで血みどろになりながらも、そのまま持ち続けて演じるということになるのかもしれない。
ーー凄まじいことになりそうです。
という、そんな役ですよね(笑)。とにかく今言えることは、ただただ周りの方々に感謝して挑むだけです!
浦井健治
スタイリスト:吉田 ナオキ
ヘアメイク:荒井 秀美
取材・文=田中里津子 撮影=山崎ユミ