年齢を重ねると、親の介護に加え、自身の体調にも変化が訪れてくるもの。エッセイストでイラストレーターの中山庸子さん(71歳)も、ご両親を介護して実家を処分。ご自身も手術をしたりと、いろいろな苦労を経験したひとりです。今回は、中山さんに年齢を重ねて感じたことや、介護のことなど教えてもらいました。

もう少し「自分ファースト」でもいい

ここまで年を重ねてきました。いっぱいしんどい思いもしたし、あれこれ悩んで、ときには泣いたり笑ったりムカついたりの喜怒哀楽てんこ盛り。そんななかで、がんばる自分とがんばれない自分の間を何度となく行ったり来たり、を繰り返して、気づいたらなんと70歳。

「ここまでたどりついたってすごくない? 自分、意外にえらくない?」

もうこれからは、もうちょっと自分ファーストでもいいのかな、なんて勝手に思う今日この頃です。たとえばの話、もう「これは遠慮してあと回し」とか言ってる年齢じゃないし、「好きじゃないけれど今後のために」なんてことは、やめていい立場なんじゃないかな。

したくないことや嫌いなもの、うんざりするすべてをみんなやめて、自分にとって「これやってみたい」という「幸せな時間」や「身の回り好きなものだけ」という「幸せな空間」をつくり出す。明るくやめれば、新しい幸せがつくれるんです。

ここまで読んで「あら、このナカヤマさんて、なんだか妙にポジティブな人。70からの現実なんてそんなに甘くないわよ」と思われた方、いらっしゃいますよね。おっしゃること、わかります。

親の介護、実家の処分、自身の病気…60代のリアル

ポジティブで元気と言われることが多かった私ですが、この年齢近辺の多くの人が遭遇する介護も、人並みに体験しました。

父の場合は、中距離介護。実家は群馬なので、日帰りも可能だったし母がまだ介護できたから、私は2番手ですみました。とはいえ、父のアルツハイマーの症状が進んでからは大変でした。

ひとり暮らしになった母の場合は、わが家に引き取ってしばらく同居したけれど、都会の狭い3階建ての階段移動ができなくなり、歩いて数分の仕事場マンションの隣室に母を移して、介護。転倒がきっかけで寝たきりに。これも大変でした。

大変ついでに言えば、住む人のいなくなった実家の売却問題がこじれ、そのこじれ中に3回ほど小腸潰瘍狭窄のため救急車で運ばれた69歳の私。で、70歳で手術して、今はこの原稿も書けるまでにようやく快復。実家の売却に関しても、まる2年かかったけれど、つい最近メドがつきました。

ということで、波瀾万丈ってほどのことはなかったにせよ、色々人生の苦みも味わった70歳を機にこれからは、身の回りのあれこれで「これってやめていいんじゃない」をピックアップして、大いに身軽になりたいと思っているのです。

「仏壇」をやめて、私らしいお参りを暮らしの中に溶け込ませた

実家にあったちゃんとした仏壇は、母が東京に越してくるときに、お寺さんに頼んで「仏壇じまい」をすませました。以降は、母が存命のときはマンションのキャビネットの上に、父の位牌と祖父母の命日などをまとめた冊子を、供花やお茶などと共に仮置きしていました。

母の没後は、とりあえずわが家の1階にあるキャビネット上に両親の位牌コーナーをつくりました。そして、考えた末に製品の仏壇を再び買うことはやめて、この場所を定位置に。

位牌を注文する際、父のものと対になるよう大きさや素材を吟味し、お鈴や線香立てなどはセットでなく私が気に入るものを少しずつ時間をかけて探しました。イラストレーターである夫がパステルで描いた抽象画を背景にしたせいか、部屋の雰囲気にもよく合う心安らぐコーナーになったと思います。

同じ1階に仕事場もあり、コーヒーメーカーはそこに置いてあるのでスイッチを入れてから、お位牌コーナーにお水。フタつきのお茶碗もお気に入りのものを使っています。モダンな球形のお鈴の音色は涼やかでよく響き、鳩居堂のお線香の薫りとともに穏やかな朝がはじまります。

そのあとは、モーニングコーヒーと朝刊を持って2階のリビングへ。このルーティンのおかげで、本日もいいスタートが切れました。きちんとした仏壇はやめたけれど、かえって生活の中にいい感じに朝のお参りが溶け込んでいる気がします。

個人の考え、地域の風習、宗教観などがあるので単純ではないけれど、無理なく自然に、その人らしく偲ぶやり方が許されるのではないかと思います。