名古屋で町工場を営む筒井宣政(のぶまさ)さんと陽子さん夫婦の次女・佳美(よしみ)さんは心臓に疾患があり、9歳の時に、「三尖弁閉鎖症」と診断される。手術は不可能、余命10年。国内外の病院どこも結論は同じだった。娘のためにできることは――。

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 清武英利さんの『アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録』は、難病の娘を救うために奮闘する家族を追ったノンフィクションだ。

「不幸な病気を抱えて生まれた子に、親が選べるのは、諦めるか、それとも神の領域に踏み込んでも戦うか。時として、不可能を承知で戦った人が、高みに上ることがある。筒井さんの家族はそういう人だと思うんですよね。娘を愛したことの報酬だと思う」


清武英利さん

 筒井さんは1973年、父の町工場を継ぐ。完済に72年半もかかる借金があった。しかし、アフリカに髪結いひもを売って大成功、7年で借金をゼロにした。「人懐っこいが、しぶとく、しつこく、がめつい。これと決めたらぐいぐい押してくる昭和の技術屋」とは清武さんの評。要するに、この男、諦めが悪い。

 だから佳美さんが余命宣告されても決して諦めなかった。研究者を訪ね歩き、当時研究が緒についたばかりの「人工心臓」を自ら作ろうと決意する。自社のビニール樹脂加工技術が生かせるとの勝算は後で芽ばえた。

「筒井さんは文系で、医学の知識は全くない。しかし、そこから本を読み、研究者の話を聞き、知識を得て、人工心臓製作に挑戦していきます。娘を救いたい一心で。筒井さんは『人間は自分が思ってるよりも10倍の可能性を秘めている』とよく言います。僕が最も惹かれたところです」

 清武さんがこの実話を知ったのは、読売新聞中部本社で社会部長だった2001年のこと。「切った張った」の記者の仕事に疑問を感じ、自ら編集長として始めた『幸せの新聞』に寄せられた原稿だった。

「『幸せの新聞』は、挫折という不幸を乗り越えて再起して幸せになろうとする人々から、前向きに生きる知恵を紹介したいと思って始めました。新聞は、喜怒哀楽の『怒』と『哀』に偏りすぎている。もっと『喜』と『楽』を伝えたいと。筒井さんの困難に抗う、家族愛の物語はまさにそうでした」

 その後、ノンフィクション作家になって以降も時間をかけて筒井家との関係を深めた。

「“鈍感開発力”で突き進む夫を支えた陽子さんも、佳美さんの思い出を語るたびに涙を流されて。当然ですが、苦悩や喪失感を思い出したくなかったはずです。20回以上取材しましたが、長女と三女のおふたりが話してくださるまで、ひたすら待ちました。それで、佳美さんの青春と、寄り添った仲間たちの献身を知ることができたのです」

 結局、人工心臓を作ることは叶わなかった。後押ししてくれた教授には痛烈な言葉を浴びせられた。どこの馬の骨が作ったのか分からんようなものを、医師免許にかけて使うわけにはいかない――。

「この言葉は当事者に何度も確認しました。僕は、ノンフィクションの要は、会話の復元だと思うんです。聞いたまま書かない。必ずその場にいた他の人に聞いてより正確な言葉にする。ここを丹念に行えば、読みやすいノンフィクションが出来ると信じています」

 四半世紀に及ぶ取材を経て編まれた本書を原作とした映画『ディア・ファミリー』が公開される。清武さんの作品では、映像化は4作目だ。

「僕が会話の復元を重視するなら、映像では行動を含めた当時の状況や人工心臓開発の様子をリアルに再現するため、精緻な小道具など細部に拘る。家族に寄り添い、想いを汲み取ろうとしていた。それは画面に表れています」

 希望の物語。筒井さんを演じた大泉洋さんは、こう語る。

〈自分が生きている時間というのは当たり前にあるのではなく、本当に1秒1秒、その時その時を大切に、無駄にせず生きたいなと思いました〉

きよたけひでとし/1950年、宮崎県生まれ。75年に読売新聞入社。社会部記者として警視庁、国税庁などを担当。中部本社(現中部支社)社会部長、東京本社編集委員、運動部長を経て、2004年より読売巨人軍球団代表を務めた。『しんがり』で講談社ノンフィクション賞、『石つぶて』で大宅賞受賞。

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映画『ディア・ファミリー』
6月14日公開
https://dear-family.toho.co.jp/

(「文春オンライン」編集部/週刊文春 2024年6月20日号)