教科書からすでに「士農工商」は削除!実は身分制度・身分序列を表す言葉ではなかった【前編】

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教科書にないッ!

日本史を学んでいるとよく登場する概念に「士農工商」があります。これについては「身分制度」あるいはインドのカースト(ヴァルナ)制度のような「身分序列」として長らく理解されてきました。

今回は、この士農工商の概念に関する誤解と、そもそもの意味などについて前編・後編に分けて見ていきましょう。

幕末・明治初期の古写真

「士農工商」という身分制度・身分序列が現実に存在したと一般によく考えられていたのが、江戸時代です。

江戸時代の人々の身分は固定的で、農民が武士になったり、商人が農民となったりするような身分間の移動は許されなかったと長らく考えられてきました。それを表した言葉が「士農工商」だったわけです。

2006(平成18)年時点でも、某有名出版社の教科書では「こうした身分制度を士農工商と呼ぶこともある」と書き、「士農工商=身分制度」という意味合いを含ませた説明が見られます。

しかし、1990年代末には小学校や中学校の教科書から士農工商という表現そのものが消え、2020(令和2)年になると高校の教科書からもついに消滅してしまいました。

このように、現代では少なくとも士農工商という言葉を身分制度・身分序列を表すものとしては扱わなくなってきています。

では、この言葉はそもそもどこから生じたものなのでしょうか。

古代にはあった!

士農工商という概念は古代から存在していました。もともとは中国から輸入された概念であり、少なくとも奈良時代には日本でも使われていたようです。

「士」という単語も、もともとは中国の貴族階級を指すものでしたが、17世紀までには武士を指すものとして、日本でも使われるようになっていました。

では江戸時代はどうでしょうか。ここでまず押さえておきたいのは、江戸時代は確かに身分制度・身分序列があったものの、それは意外と流動的なものだったということです。

例えば豊臣秀吉が農民から出世をして天下人になったように、もともと日本の身分制度は想像されているよりも自由なものであり、江戸時代もそれを受け継いでいたところがあったのです。

大阪城の豊臣秀吉像

江戸時代の身分序列は、大まかに言えば「士」(武士)の下に「百姓」「町人」(平人)がおり、さらにその下に「穢多」「非人」(賤民)という身分があったというのが現代の考え方です。

ちなみに士農工商の「工」にあたる職人は、町に住んでいれば町人、村に住んでいれば百姓でした。百姓は農業従事者に限らず、海運業や手工業も含む概念でした。

百姓という言葉は文字通り「百の姓」で、戦国時代から近世初期にかけては農民だけを示す言葉ではなかったのです。

「四民平等」の反対の概念

では士農工商という言葉がクローズアップされたのはいつからなのかというと、明治時代です。

明治時代は、江戸時代の文化を時代遅れのものとみなし、明治以降のものを新しく良いものだとする風潮がありました。

つまり士農工商の概念は、中世的封建体制だった江戸時代は身分制度の厳しい「古い体制」で、明治時代は近代的な「新しい体制」だということを強調するために槍玉にあげられたものだったのです。

実際、明治時代は、この士農工商という言葉を批判的に挙げて「四民平等」が提唱されました。

ちなみに、士農工商と似た表現で、江戸時代以前に存在していたものがあります。室町時代に「侍農工商」という言葉が一向宗(浄土真宗)の文章に登場しているのです。

しかしこれはタテの序列というよりもヨコの職種を示すもので、やはり身分制度や身分序列を表すものではありませんでした。

ここまでの説明から、なぜ士農工商という言葉が現代の教科書から消えたのかが理解できますね。

つまり、士農工商という言葉は、歴史的に見てもタテの「階級」を示すものとしては考えられず、単なる職業の区別を示すものとして捉えるのがせいぜいだということです。江戸時代の身分制度も、士農工商の分類とはほぼ無関係でした。

【後編】では、かつての身分序列の実態についてさらに詳しく掘り下げます。

【後編】の記事はこちら↓

教科書からすでに「士農工商」は削除!実は身分制度・身分序列を表す言葉ではなかった【後編】

参考資料:
浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社