JREバンクは鉄道から小売り、不動産まで「ポイント経済圏」拡大を狙うJR東日本の橋頭堡となる(撮影:JR東日本

「申し込みが殺到して入会受付を制限したという話は、これまでの金融サービスで聞いたことがない」(ある金融関係者)

そのように金融関係者をも驚かせたのは、JR東日本のデジタル金融サービス「JRE BANK(JREバンク)」だ。バンクと銘打つようにインターネット上に開設する専門口座では、預金など一般的な金融機関の銀行サービスが利用できる。鉄道会社ならではの利用特典も付与されている。

サービスは5月9日に開始した。ところが想定以上の申し込みが押し寄せ、受付のキャパシティーがオーバー。口座開設を申し込んだユーザーに届くはずの案内メールが、数日間遅延する事態が発生した。

初日は12時にサービスを開始し、19時頃には申し込み受付を終了した。その後も5月12日まで断続的に受付を制限した。

「登録情報の扱いが心配だった」とユーザー

「1日の受付件数として相当に余裕を持った数を想定していたが、それを上回るほどの申し込みがあった」。JR東の傘下にあるビューカードでJRE BANK推進部に所属する植田昌寿氏は事情を語る。

ただユーザーの間では不安の声が上がっていた。「SNSでも話題になっていたが、私も申し込み完了メールが届かなかった。登録した内容が受け付けられているのかどうかわからないし、情報の扱いも心配。悲しい思いだった」(サービス開始直後に入会を申し込んだ40代の女性)。

出足にいきなり混乱したJREバンクだが、その後の4〜5日でメール遅延などの問題は解消した。

「送信元のドメインについては、JREバンクの専用のものを用意していたが、(所属銀行の)楽天銀行のドメインに切り替えて対応した。今は落ち着いている」。ビューカードのJRE BANK推進部・和田晃一部長は説明する。

JREバンクに申し込みが殺到した理由は、ユーザーが恩恵を受ける入会特典が「破格」であるからにほかならない。

JR東の運賃が4割引となる割引券や、利用状況に応じて最大6000ポイントのJRE POINT(JREポイント)、そして普通列車のグリーン車に乗車できる「Suicaグリーン券」などが付与される。ライバルである私鉄大手の幹部が「けっこうな大盤振る舞い」と評するほどの特典だ。

こういった特典は、JR東グループ内に設けられた7名ほどの「JREバンク対応チーム」が中心となり1年以上かけて議論して決めたものだ。

「もともとグループ内にあるもの(サービス)を生かして、お客様が『嬉しいな』と思っていただけるものは何かを、さまざまな議論を経て決めていった」と、JR東マーケティング本部の大井洋氏は振り返る。

もちろん、ボツになった企画もある。当初は、フリー切符のような、安い運賃でJR東内の路線を幅広く利用できる特別乗車券も構想にあった。だが、「きめ細かくサービスを展開するにはシステム的に対応するのが難しかった」と、JR東の関係者は明かす。

「JREポイント経済圏」という構想

JR東の経営戦略において、同社初の金融サービスとなるJREバンクはどのような意味を持つのか。それは顧客囲い込み戦略の「橋頭堡」だ。JR東の伊藤敦子常務は、「『JREポイント経済圏』を確立するためのツールのひとつにしたい」と強調する。

JREポイント会員を中心に据えた、移動、購入、決済といったサービスのワンストップでの提供――。2018年に公表した経営ビジョン「変革2027」ではそう掲げている。


JR東日本は経営ビジョン「変革2027」で、JREポイント会員を中心に据えた、ワンストップサービスの提供を掲げている(記者撮影)

少子高齢化による人口減少を受けて鉄道事業も先細りする懸念がある。そのため、JREポイントを武器に事業間での「相互送客」を促すことで、新たな成長戦略を加速する狙いだ。JR東の場合、鉄道だけでなくコンビニやホテル、賃貸マンションといった顧客の生活圏に密着した事業を多数持つ。そのためにポイント展開もしやすい。

かつてはサービスや会社ごとに独自のポイントを提供しており、グループ内に20以上のポイントサービスが乱立していた。ポイント連携もなく、ユーザーにとってみれば、商業施設の「アトレ」で貯めたポイントをほかの駅ビルで使用できないなど使い勝手が悪かった。

そのため、JR東はグループポイントの共通化に着手。2016年から5年をかけてSuicaポイントや「ビューサンクスポイント」(クレジットカードのビューカードのポイント)を含めた、主なポイントサービスをJREポイントのプラットフォームに統合した。

そういったポイント共通化の流れの中で投入されたのがJREバンクだ。すでにクレジットカードを自社展開するJR東において、決済分野をさらに拡充させる意味は大きい。

「口座を開設したときから、お客様との接点を持てる。長期的なお付き合いにつながる」と、JR東マーケティング本部の岡部征次郎マネージャーは話す。

鉄道事業の移動情報や小売り事業の購入情報、そして金融事業の決済情報を解析することで、サービスの利用頻度や魅力を一層高められる。「JRE ポイント生活圏の拡大に資するインフラとして育てていきたい」(岡部氏)考えだ。

JR東は早期に、JREバンクの100万口座を目指す。「いまのところは順調にきている。手応えはある」と、伊藤常務は語る。

在京の私鉄大手もこぞって強化

JREバンクのシステムは楽天銀行のインフラを活用している。

預金、融資、決済などのバンキング機能をクラウドシステムとして提供を受ける、いわゆるBaaS(バンキング・アズ・ア・サービス)と呼ばれる仕組みだ。JR東のポイント付与や照会などのシステムと、楽天銀行のクラウドシステムを連携してサービスを展開する。

同様の仕組みは、私鉄大手の京王電鉄も採用する。同社は2023年9月に、住信SBIネット銀行が運営する「NEOBANK」サービスを活用した「京王NEOBANK」をスタートした。鉄道グループによるフルバンキングサービスは、これが初の導入となった。

同じく私鉄大手の東急は、東急ポイントの共有化による顧客の囲い込みを強化する。

これまでも、定期券購入時やグループ会社が提供する「東急でんき&ガス」などのサービスを利用する際に付与されるポイントを相互使用できた。この4月からはPASMOSuicaで東急線を利用する顧客に、乗車金額に対して一律3%のポイントを加算するサービスを開始した。

金融サービスへ参入する可能性もありそうだ。「他社線との競争力を強くし、グループの収益機会の拡充を意識していきたい」と、東急のIR担当者は語る。

ネット専業者や小売り事業者、さらに金融機関にはない鉄道会社の強みは鉄道インフラを所有することにある。業種の垣根を越えた「ポイント経済圏」の競争においても、その強みをどこまで発揮できるか、JR東を含めた鉄道各社のポイント戦略を見極める必要がある。

(梅咲 恵司 : 東洋経済 記者)