今年もキャンプが始まった。昨年38年ぶりの日本一となった阪神タイガースのキャンプ地、沖縄・宜野座には今日も溢れんばかりのタイガースファンがつめかけている。

 耳をすませば「ルーキーの下村海翔は先発で使うべき」「正捕手は坂本誠志郎か梅野隆太郎か」「自分なら小野寺暖をスタメンで使いたい」などなど、ファン一人ひとりが「自分が考え得る最強のタイガース」を熱く語る。これもまた、野球の楽しみ方のひとつでもある。
 
 もしも、自分の考えたタイガースが本当に採用されてしまったら──そんなプロ野球ファンの夢を本当に実現させてしまった人物が昭和30年に存在していた。


阪神タイガース第8代監督の岸一郎 写真/遺族提供

【プロ野球経験のない老人が阪神監督に】

 阪神タイガース第8代監督、岸一郎。プロ野球経験なし、60歳になるまで田舎で農業をして暮らしていたおじいさんが、腹案の改革案『タイガース再建論』を野田誠三オーナーに送ると、その内容に感激したオーナーが直々に監督を要請したという、90年に及ぶプロ野球の歴史のなかでもとくに奇怪な経歴を持つこの人物。
 
 岸が描いた『タイガース再建論』とは、ダイナマイト打線に代表される強打のタイガースを、広い甲子園の利点を生かした「投手を中心とした守りの野球」にシフトチェンジすること。そして若手を積極的に起用し、ベテランとなっていた中心メンバーから血の入れ替えを断行することだった。

 前年までの大阪タイガースは、"ミスタータイガース"藤村富美男を中心に、金田正泰、渡辺博之、田宮謙次郎など強打の打者が揃う一方で、投手陣は梶岡忠義、藤村隆雄、真田重蔵ら主戦投手が年齢的に高齢となるも、「タイガースでは若い投手が育たない」と評されるほど若い投手が伸び悩み、世代交代のうまくいっていないチーム。

 これにメスを入れるべく、岸は「野球は投手、投手がよくてはじめて打線が奮う」と「完投できる先発投手4人をつくりたい」と意気込んだ。

 一方で、ベテランには実績の如何に関わらず「結果を残さなければ使わない」と通達する強気の姿勢を見せる。それはタイガースの大スター藤村富美男も例外ではなく、「たとえ藤村くんでも当たらずと見ればベンチに置きますよ」「これからは4番を打てる若い打者を発掘し"芯のある打線"を構築したい」と怯まなかった。

 しかし、なぜプロ野球経験のないおじいさんが、歴戦の猛虎たちを相手にここまで強気になれたのか。その謎は岸の就任後、彼の正体を知る野球界の長老たちの言葉から明らかにされていく。

 のちのパ・リーグ初代会長の中澤不二雄は言う。

「早稲田大、満洲倶楽部と通じて、長身、痩身、全身これバネといった左腕投手。かつてアガッたことがないという度胸に、すばらしい球速、鋭く大きく落ちるドロップ、これを正確無比なコントロールで、昭和初年までの5大投手のひとりとして完成したピッチングを見せてくれた」

 さらに日本プロ野球の創立に尽力した市岡忠男は、早稲田大学時代に岸一郎とバッテリーを組んでいた。

「早大時代は後年の沢村栄治に匹敵する投手であり、満洲の野球が強くなったことにも岸くんの力は大きく貢献している。野球に対する知識も情熱も人後に落ちず」
 
 老人の正体は、大正時代の大学野球、そして満洲野球で大活躍を果たしたあの沢村栄治にすら比肩する伝説の左腕投手だった。

【前代未聞の交代拒否事件】

 しかし30年前大正時代のスーパースターが、近代野球に蘇ったとしても浦島太郎と同じ。

 タイガースの歴戦の猛虎たちにも、プロの世界で鎬(しのぎ)を削って生きてきた意地があった。若手への切り替えを断行しようとする岸に対し、簡単には引き下がらない。

 なかでも象徴的存在が、絶大なるショーマンシップで観客を沸かし続けてきたタイガースのスーパースター藤村富美男。就任当初は助監督として岸を支える姿勢を見せていたが、結果が出なければメンバーから外そうと虎視眈々と狙う岸老人に対し、徐々に反発心を見せていく。

 亀裂が明らかになった試合が、開幕3試合目の大洋戦だった。2対2で迎えた7回表タイガースの攻撃。ツーアウトから4番・藤村富美男がフォアボールで出塁すると、岸監督はここで勝負をかけるべく藤村に代わり代走を宣告する。

 ベンチから3年目のキャッチャー山本哲也が小走りに一塁ベースへ駆けていくも、一塁ベース上から藤村が動こうとしない。それどころか「オマエは帰れ!」と山本に告げたのだ。

 藤村は、勝負どころはまだ先と見ていた。ここで代走を送るよりも、終盤にもう一度自分が打席に立つほうが勝利する可能性は高いと拒絶したのだ。結果的に、場内アナウンスがされていたため、審判の裁定で藤村は交代するのだが、現場の指揮権を持つ監督に反旗を翻したこの前代未聞の交代拒否事件から、次第に選手たちの心は老監督から離れていってしまう。

 やがて、開幕から2カ月にも満たない5月21日。岸の休養が発表された。理由は「痔の悪化」。手術のために休養すると発表されたが、実際はしていないとのちに本人が語っている。

 岸はこの先、二度とタイガースのベンチに戻って来ることはなかった。タイガース再建の理想を大きく掲げ、それを実行に移そうとも、肝心の選手の心を掌握できなければ結果など出ることは叶わない。わずか33試合16勝17敗でチームを去ることになってしまった。

 岸が野田に送った『タイガース再建論』。それは投手を中心とした守りの野球と、藤村富美男をはじめベテランから若手へと切り替えを進め、投手のローテーションを回し、競争のなかから積極的に若い投手を登用しようと理想を描いた新しいタイガースである。

「何はなくとも、完投能力のある投手を4人はつくりたい」

 就任会見で宣言したマニフェスト。ルーキーながらこの年の開幕投手に抜擢した西村一孔は22勝で新人王を獲得し、半人前だった大崎三男、渡辺省三、小山正明の若手投手はこの年で一気に主戦投手に名乗りを上げるなど、この年が終わる頃には岸が目指した4人の完投型先発が揃うことになる。

 さらに吉田義男、三宅秀史の三遊間も完成し、この7年後1962年の"守り勝つタイガース"への足がかりをつかんだという功績も忘れてはならない。そしてタイガースの本流からすれば青天の霹靂のようなこの監督人事が、その後の"お家騒動"が続くタイガースの球団体質の発火点ともいうべき大きな影響を与えていることも、だ。
 
 昨年38年ぶりの日本一をつかんだ岡田彰布監督とて、シーズンの連敗中は厳しい声に晒された。歴代37代はプロ野球最多、タイガースの監督という特異すぎる職業を思えば、やはりプロ野球はスタンドから見るぐらいがちょうどいい。