中村憲剛×佐藤寿人meets森保一監督
第18回「日本サッカー向上委員会」新春スペシャル(5)

◆新春スペシャル(1)>>森保一監督、参戦!「こんなにフランクでいいの!?」
◆新春スペシャル(2)>>森保一監督「ちょっと鳥肌が立ちました」
◆新春スペシャル(3)>>「浅野拓磨を起用した判断はどこにあったの?」
◆新春スペシャル(4)>>今後の日本代表は「これまでのやり方を壊す」

 現役時代から仲のよい中村憲剛と佐藤寿人が日本サッカーについて本音を交わし、よりよい未来を模索してきたwebスポルティーバ連載「日本サッカー向上委員会」。2024年の一発目は「新春スペシャル鼎談」として、これ以上ない最高のゲストを迎え入れた。

 日本代表監督・森保一。

 引退後はサッカー解説者として引っ張りだこで、森保ジャパンの戦いぶりを観察してきた中村憲剛。この鼎談のチャンスで、どこまで森保監督の思考を聞き出せるのか。

 森保監督がサンフレッチェ広島を率いて3度のJ1リーグ優勝を果たした時、ストライカーとして貢献したのが佐藤寿人。つき合いの長い関係だけに、どんな直球の質問をぶつけるのか。

 会った瞬間から大盛り上がり、3人で語り尽くしたスペシャル鼎談。ご堪能ください。

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鼎談は予定時間をオーバーするほど大盛り上がり photo by Sano Miki

憲剛 これまでの4年間があったからこそ、2023年は上積みの大きさをすごく感じる1年でしたよね。

森保 ただ、そのなかでも変化していかないといけない。「これまでどおり」という言葉をなくそうという話をスタッフにはしています。これまでやってきたことを多角的に検証したうえで、これからをどう作っていくか。私は広島の時にそれで失敗していますから。

寿人 僕がいなくなってからのことですよね。

森保 そう。3回優勝して、さらに進化しないといけないと思いつつ、「これまでどおり」っていう言葉をけっこう使っていましたから。実名は出さないけど、ミーティングの時に「これまでどおりなんですか? それとも、これからなんですか?」って言われて、その時はハッとさせられましたね。

寿人 初優勝した2012年の次の年に新しいことにチャレンジしようとして、でもやっぱりうまくいかなかった時期があって、そこでポイチさんは「立ち返る場所に戻る」って言っていたじゃないですか。それで我慢強くシーズンを戦って、最終的には連覇することができた。変わらない強さというものがありましたよね。

森保 やっぱり、みんなはもっと前からディフェンスして、アグレッシブなサッカーをしたいというのがあったと思うから、まずはやってみようと。でも、選手の特徴を考えたら、おそらくそういうサッカーは合わなかった。

寿人 そうですね、しっかりリトリートして、うしろで保持してから、前に出ていくというやり方が合っていたんでしょうね。

森保 そうだね。でも、想いとしては、みんながアグレッシブに走って、気持ちよく戦ってみたいところがあったから、それも含めて、1回やってみて、選手がどう思うかっていうのを見てから決めようと。

寿人 結果的に立ち返る場所があったから、3回も優勝することができたんですよ。

森保 川崎(フロンターレ)は違うんだよね? 聞いた話だけど、常にアップデートして、新たなトライをしていくというのは、ヤヒさん(風間八宏)の頃からあって。広島はやろうとしたけど、やっぱり、戻ろうかみたいな感じで(笑)。

憲剛 やっぱり、一度はチャレンジするんですね。それはそうですよ。優勝すれば対策されるので、それを上回ることをやっていかないといけない。それが何かを考えてチャレンジしていくということが大事なんですよね。

森保 監督というよりも、選手がやってくれたから。

憲剛 でも、これでやるぞって決めるのは監督の森保さんです。当たり前ですけど、監督はすごく大事です。選手の話をそこまで聞き入れる監督は多くないと思います。

森保 責任を取らないといけない立場だからね。

憲剛 だから「今までのベースを疑う」っていうワードは、俺のなかでは衝撃的で。

寿人 疑わずに信じて決断していくのが、監督のイメージですからね。

憲剛 ある程度やっていくと、たぶん疑わなきゃいけない時期が来るってことですよね。

森保 どうだろう。でも常に疑っているかもしれない。もちろん自分がやること、提示したことには自信を持っていますけど、提示するまでは「これで本当にいいのか」って、常に疑っているかもしれない。

憲剛 疑いがないところまで、自分で自分を疑いながら、悩みながら、いろんなものを見て、聞いて、最終的にこれでやるぞと決断する。要は疑わなくなるところまで自分を追い込んでいくと。

森保 そうだね。

憲剛 だから、選手たちも受け入れられるんだと思います。監督が「これはどうだろう?」と思いながら落とし込んでいたら、選手たちは「これで大丈夫?」ってなりますから。

森保 選手は敏感だからね。

憲剛 そうなんです。僕は一番、そういう監督の心理状態を一挙手一投足、見ていたタイプですから(笑)。我ながら嫌な選手だなと思います(苦笑)。

寿人 ポイチさんは常に「最善の準備」って言っていて。勝っても負けても、常に選手に対してそういう伝えた方をしてくれていたので、僕らも選手自身も常に最善の準備をしとかなきゃいけない状況になるんですよ。そこが同じ温度感になっていたし、だからこそ一体感が生まれていたと思います。

憲剛 でも、自分を疑うという意味でいうと、練習メニューひとつ考えるだけでもそうなりますよね。僕も今、S級ライセンスを受けていますけど、「このメニューで大丈夫か?」って常に悩みます。いろいろ考えすぎて、自分の根底から崩れそうで怖いなって。

森保 憲剛は崩れないでしょ。

寿人 ポイチさんも根底は崩れないですよね。絶対にブレない。

森保 そうかもしれない。

憲剛 でも、こんなことで、ここまで悩むのかって、本当に監督をやることになったら、今と比べものにならないくらい大変だろうなと、日々感じながら過ごしていますよ。

森保 選手も一緒でしょ。後悔しないように選択するというのは、日常生活も含め、全部同じだと思うんですけどね。岐路に立たされた時、右に行くのか、左に行くのか。やっぱり後悔しないほうに進もうとなるわけじゃないですか。

 でも、ふたりともいい監督になると思うよ。やっぱりJリーグでも、海外に行っている人たちでも、代表でやった人も、より高いレベルでやってきた人たちには、できるだけ指導者になってもらいたいですね。

 もちろん、メディアとか、多角的にサッカーに関われる職業はあるとは思うんですけど、特に経験のある人には現場から変えていってほしい。地味ですけど最終的にそこが一番大きいところかなと思っています。

憲剛 面白いですけどね。面白いし、楽しいです。森保さんにとって、監督としての喜びってなんですか?

森保 やっぱり、勝った時にみんなで喜べるところかな。でも、正直に言うと、楽しいと思ったこと一度もないんだよね。

寿人 え、本当ですか?

森保 楽しいって言っているんだけど、よくよく考えると、これは楽しいじゃないなと(笑)。楽しいじゃなくて、充実感だなと思って。

 やっぱり選手の時が一番楽しかったですよ。それができなくなったから、じゃあサッカーにどうやって携わっていこうかとなった時に、指導者を選んで、監督もさせてもらっているんですけど、楽しいっていう感情になったことはないです。でも、やりがいはあるし、充実感もある。

 あと、これは選手の時もそうでしたけど、勝ったら、応援してくれている人たちが喜んでくれるじゃないですか。それが自分の喜びだし、そこが楽しさと言えば、楽しさなのかもしれないですね。

 もちろん利己もあるけれど、やっぱり利他のほうが大きい。広島で優勝した時にパレードをやったんですけど、その時は本当にうれしかった。みんな、ありがとうって言ってくれるんですよ。いや、僕らのほうがありがとうですよって(笑)。

憲剛 僕らもやりましたけど、同じことを言っていましたね。みんな、ありがとうって。

森保 「お前、いい子ちゃんぶるなよ」って言われるかもしれないですけど、やっぱりサッカーを通じて、地域貢献、社会貢献をしたいと思っていて。それが今の活動の意義だと思っているので。

 広島の時は、広島のみなさんに喜んでもらえるように。今は全国のみなさんに喜んでもらえるように。規模は違いますけど、想いは同じなんですよね。

憲剛 実際に今の日本代表の活躍に、みんな元気をもらっていると思いますし、間違いなくみんなの見る目が変わった1年だったと僕は思っていて。

寿人 それがカタールでの結果と、その後の1年間の躍進がそういう空気を生み出していますよね。

憲剛 世界的にも日本に対する見方が変わっていると思いますし、また2024年はアジアカップがあるので、その結果次第でさらにそうなるかもしれない。

森保 アジアカップは一戦一戦を大事にしながら戦っていくだけです。高い目標を持つのも必要ですが、目の前の一戦をどれだけ全力で戦えるかっていうことが一番重要になってくると思うので。

 これは2次予選のミャンマー戦やシリア戦でも感じたことですが、選手たちはピッチ上で対戦相手とだけ戦っているんじゃなくて、目標としているものに向かって戦っている。そういうものがすごく伝わってきていますし、アジアカップでも同じようにやっていきたいですね。

憲剛 アジアカップは楽しみですね。ヨーロッパのシーズン中でもありますし、コンディションも含めてけっこう大変な大会になるとは思うんですけど。

寿人 構成は難しいですよね。そこはポイチさんもそうですし、協会の力も重要になってきますよね。

憲剛 それくらい各チームで重要な選手が増えてきますもんね。抜けられたら困る選手が増えたのは、うれしい悩みでもありますよね。

森保 そこがこの4年間ですごく変わったところでもあるんですよね。確かなデータはないですけど、以前は日本代表の活動があってヨーロッパに戻ったら、1、2試合出られないということはけっこうあったと思います。

 でも、今は帰ったら、すぐに使われるわけです。さっきから選手がすごいとしか言ってないですけど、そういう選手が増えてきたのは「やっぱりすごい」としか言えないですね。

── あらためて日本代表の監督を継続した2023年はどういったものだったのでしょうか。

森保 2023年は、僕自身がというよりも、日本の未来を考えて決断してくださったことなので、その期待に応えられるようにやってきただけです。

 今まではワールドカップが終わればまたゼロに戻して、イチから日本代表を作ってきたと思います。でも、これだけ世界のサッカーの急速な発展があるなかで、なかなか追いつけなかったというのは、やっぱりゼロに戻したからなんだということは、ひとつの要因だったと思います。

 それを継続させてもらったわけで、やっぱり積み上げる、継続するということのメリットを示さないといけない1年間でした。そのなかで選手と我々代表スタッフだけでなく、サッカーファミリー全体で強い想いを持ってやってこられた1年だったのかなと感じています。

 もちろんこれからの保証はないですけど、継続の重要性というものをこれからも示していきたいですし、カタールまでの歴史のつながりと、カタールで得た自信を糧(かて)に、さらに上のレベルへとたどり着けるフェーズに変わってきているという感じが今はしています。その場にいさせてもらいながらも、選手たちを見ていると、それを強く感じますね。

 もちろんそれは、そういった環境作りをしてくれている人たちがいるからこそだと思いますし、我々の活動を見て感じてもらえる人たちがいることも、とても大切なこと。継続のメリット、デメリットもあったとは思いますけど、さらに上に行けるように、そのメリットを示しながら、次のワールドカップへ向かっていきたいと思います。

<了>


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグMVPを受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。

森保一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日生まれ、長崎県長崎市出身。1987年に長崎日大高からマツダに入団。1992年にハンス・オフト率いる日本代表に初招集され、翌年「ドーハの悲劇」を経験。サンフレッチェ広島→京都パープルサンガ→ベガルタ仙台を経て2004年1月に現役引退。引退後はコーチとして広島とアルビレックス新潟で経験を積み、2012年に広島の監督に就任。3度のJ1制覇を成し遂げる。2017年から東京五輪を目指すU-23代表監督となり、2018年からA代表監督にも就任。2022年カタールW杯の成績を評価されて同年12月に続投が決定した。日本代表・通算35試合1得点。ポジション=MF。身長174cm。