森保一監督に聞いたカタールW杯・勝利の分岐点「浅野拓磨を起用した判断はどこにあったの?」
中村憲剛×佐藤寿人meets森保一監督
第18回「日本サッカー向上委員会」新春スペシャル(3)
◆新春スペシャル(1)>>森保一監督、参戦!「こんなにフランクでいいの!?」
◆新春スペシャル(2)>>森保一監督「ちょっと鳥肌が立ちました」
現役時代から仲のよい中村憲剛と佐藤寿人が日本サッカーについて本音を交わし、よりよい未来を模索してきたwebスポルティーバ連載「日本サッカー向上委員会」。2024年の一発目は「新春スペシャル鼎談」として、これ以上ない最高のゲストを迎え入れた。
日本代表監督・森保一。
引退後はサッカー解説者として引っ張りだこで、森保ジャパンの戦いぶりを観察してきた中村憲剛。この鼎談のチャンスで、どこまで森保監督の思考を聞き出せるのか。
森保監督がサンフレッチェ広島を率いて3度のJ1リーグ優勝を果たした時、ストライカーとして貢献したのが佐藤寿人。つき合いの長い関係だけに、どんな直球の質問をぶつけるのか。
会った瞬間から大盛り上がり、3人で語り尽くしたスペシャル鼎談。ご堪能ください。
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中村憲剛と佐藤寿人が森保監督に聞きたかったことは? photo by Sano Miki
── ワールドカップから1年が経過しましたが、あらためてあの大会について話を聞かせてください。今だから明かす秘話のようなものがあれば聞かせていただきたいのですが。
森保 でも、ほとんどのことは世の中に出ているんじゃないですか。目新しいものはないですけど、いろんな選択肢を持って、準備してきたことがあの結果につながったと思っています。
── 具体的にはどのような準備をされていたんでしょう?
森保 わかりやすく言うと、システムじゃないですか。正確にはシステムではないところもあるんですけど、システムっていうのが一番わかりやすいかなと。
基本のAパターンを持ちながら、流れによってはBパターン、Cパターンにしていこうというプランですね。その準備はワールドカップの1年ぐらい前から進めていましたよ。それまでも4バックだけではなく3バックもやっていましたけど、選手も絞られてくるなかで、より具体的な選択肢を持って準備していきました。
憲剛 大会前の9月の親善試合でも、途中から3バックにしたり、いろいろと試していましたよね。
寿人 これは準備のところに関わると思うんですけど、個人的に聞きたかったのは、浅野拓磨(ボーフム)がケガをして、大会直前のカナダ戦が復帰初戦だったじゃないですか。僕らの感覚で言うと、コンディショニング的に厳しいかなって思っていたんですけど、結果的に拓磨はドイツ戦で途中から出て、ヒーローになった。
ポイチさんのなかで、あそこで拓磨を起用した判断はどこにあったのかなと。
森保 戦いのプランとして、もともとあったということかな。
寿人 コンディショニング的にはもっといい選手がいたわけじゃないですか。僕、カナダ戦後に拓磨に聞いたんですよ。そしたら「やっぱりまだちょっと怖さがあります」って言っていたので、あそこで起用するのは勇気があるなと。
森保 それは早く言ってくれよ(笑)。
寿人 でも結局、あの初戦であれだけ走って、貴重なゴールを決めたわけで。その選手起用のジャッジって、僕らが今、指導者の勉強をしているなかで、一番難しいところになるんじゃないのかなって感じることです。
憲剛 つき合いの長さは影響されますよね。やっぱり自分のチームにいたわけですから。
森保 でも、根拠はあったんですよ。ドクターが現地で見てくれていたので。それでカナダ戦でできれば、本大会でも起用できるかなと。もちろんケガのリスクはあったけど、拓磨ならやれるかなと。
あと、戦いのプランとしては、もちろん先発でもやれる選手だけど、相手の実力を考えれば撃ち合いの試合はできない。これはずっと言っていますけど、「いい守備から、いい攻撃に」という戦いをしながら、最後にあのスピードを生かしてゴールを奪うというプランでした。
やっぱりスピードだったり、ボールに向かう迫力だったり、推進力を持っている選手だったので、戦術のなかでは欠かせない存在でしたね。陸上にたとえるなら、100メートルでは勝てなくても、マラソンのように粘り強く走って、最後のラストスパートで勝つというようなイメージを描いていましたよ。
でも、ドイツ戦にしても、スペイン戦にしても、前半のうちに何点取られるか、という試合ではありましたけど。
憲剛 ハーフタイムに動きましたからね。人も代えて、形も変えて、あの判断は早かったなと。個人的にはそのまま行って、残り30分くらいに動くのかなと思っていたので、ちょっと驚きはありましたね。
そこからの手の打ち方も早かった。人がどんどんと入れ替わることでドイツが対応しきれなくなっていったのは、テレビ画面越しにもよく伝わってきました。ドイツのベンチが対応に追われている姿を見て、これはいけるかもしれないって感じましたね。
森保 もちろん先行、逃げ切りが一番いいとは思いますけど、ドイツ相手になかなかそれはできないだろうと思っていたなかで、ある程度、相手の攻撃を粘り強くしのぎながら、最後にギアを上げていくというのは、戦いのプランとしてありました。
でもそのやり方は、実は準備の段階でもけっこうやっていたんですよね。たとえばコロナ禍でジャマイカとの試合が中止になって、急遽組んだオリンピックチームとの試合がそうで。
寿人 あの時もハーフタイムに浅野と伊東純也(スタッド・ランス)を入れましたね。
森保 そう。それでギアを上げていくという。
寿人 広島の時もそうやり方をけっこうやっていましたよね。
森保 そのイメージもあったと思う。広島の時は寿人と浅野を代えたけど、前線の1枚だけじゃなくて、両サイドを含めてギアを上げていこうと。選手交代が5人になったことも大きいですよ。そういう選手が多くいるので、最後はうまさよりも、より推進力を上げていこうというやり方ができましたね。
寿人 1人が90分間プレーするというよりも、人を代えながらどうつなげていくかという考え方ですね。
森保 バトンをつなげて勝つということは、選手たちにずっと言い続けてきたこと。先日のアジア2次予選でも、1試合目と2試合目で先発を入れ替えましたけど、2試合をトータルで考えて、みんなでつないで、勝っていこうというプランでした。インテンシティを保って、最後にギアを上げていこうっていう考え方は今もありますね。
憲剛 ワールドカップのドイツ戦は、まさにそうでしたよね。ギアを上げる選手交代がどんどんハマっていって。矢継ぎ早に選手が入れ替わって、システムも変わったので、相手も面食らったと思います。立ち位置もわからなくなるし、あれはもう完全にしてやったり、だったわけですね。
森保 準備したことを出せたっていうのはもちろんありますけど、ラッキーだった部分もありました。相手からすれば、前半を終えた時点で楽勝ムードが漂っていたと思います。展開的には一方的でしたから。
もし、我々が前半の途中から修正していれば、そんな雰囲気にはならなかったかもしれない。ハーフタイムに一気に変化を加えることで、相手はおそらくメンタルの切り替えが難しくなった。それによって展開が大きく変わったので、そこはラッキーだったかなと思います。
憲剛 なるほど。やっぱり、メンタルの部分は大きいですね。
寿人 あのトップレベルの選手たちでも、なかなか修正できないんですね。
森保 特にピッチに立っている選手たちは、それを感じながら戦っていたんじゃないかな。
憲剛 日本からすると、あとがなかったっていうのもあるのかなと。勇気を持って、うしろを同数にして、どんどん仕掛けていくやり方になっていましたから。
森保 後半に関して言うと、よく3バックに変えたと言われるんですけど、考え方としてはオールコートマンツーマンっていうほうが近いかもしれないですね。役割をはっきりさせて、局面の争いに勝っていこうと。
実際にあの試合では、得点シーンも含め、局面や球際の戦いにはほとんど勝つことができていた。向こうからすれば圧倒できると考えていたと思いますけど、逆に我々が上回ることができた。そこがあったからこそ勝てたっていうのはありますし、そういう時代になってきているんだなと感じられたことは、本当にうれしかったですね。
寿人 たしかに、臆することなく堂々と渡り合っていましたからね。
森保 あと考えていたのは、勝つとか負けるとかだけではなくて、負けても何かが残るような戦いをしないといけないということ。よりマッチアップの機会を増やすことで、日本人の現在地を知れる試合だなと思っていました。
それはドローの時に言っているんですよ。「最高のグループに入った」って。もちろん、勝つことは前提にありますけど、本物と戦うからこそ、自分たちの立ち位置を知ることができる。日本も世界一を目指している国であるのなら、世界一になったことのある国と本気で戦う経験が必要なんですよ。
その経験を積み上げながら、またチャレンジして、成果と課題を整理して、また先に進んでいく。もちろん勝つことを目標としていますけど、勝っても負けても何かが残る試合にしたかった。 メンタル的には、そっちのほうが強かったかもしれないですね。
── 試合中に勝利以外のことも考えていた、ということですか。
森保 いや、ドイツ戦に限らず、ふだんからそういう考えを持っている、ということです。親善試合でもそうですね。だから、基本的に親善試合も選択肢のなかで一番強いところとやりたいとずっとお願いしています。
一番強いところとやるからこそ、自分たちの成果と課題がわかる。ワールドカップもその延長なんですよ。私のなかではワールドカップだけが特別という感覚はなくて、勝つために最善の準備をする。その繰り返しですね。
憲剛 ワールドカップじゃないと、本気のドイツやスペインとはできないですからね。あの舞台だからこそ引き出されるものがあるし、日本の現在地を知ることができる。そこで勝ったからこそ、冒頭でも話しましたけど、みんなの目線が高くなった。これが親善試合では、そうはならないと思うんです。いろんな言い訳ができてしまうので。
でも、ワールドカップでは言い訳無用じゃないですか。そこで勝ったことが事実として残って、その国の次の4年の流れを決める。ワールドカップはそういう大会だと僕は思っています。
だから、ドイツに勝って、スペインにも勝ったことは、日本サッカーに関わる多くの人たちに勇気を与えたと思います。先ほども話しましたけど、国内の選手はもちろん、指導者もそう。育成年代の指導者もそう。自分が今やっている仕事がそこにつながっていると思えた瞬間だったでしょうから。
寿人 僕も今、A級ライセンスを取りに行っているんですけど、一緒に講習を受けているのは育成年代を指導している人が多いんですよ。やっぱり、ワールドカップ以後のこの1年で、指導者のモチベーションは相当高くなっていますよね。「日常が世界につながっていく」ということをリアルに感じられるようになったからだと思います。
森保 それはうれしいですね。そこに代表活動の意義があると僕は思っているので。
憲剛を育てたとか、寿人を育てたっていう人だけじゃなくて、やっぱり日本のサッカーの発展を願って、育成、普及のところからやってくれている人たちの尽力があってこそ、今のA代表があるんです。それで我々が結果を出すことが、またそういう方たちのモチベーションにつながればうれしいですね。
憲剛 育成の指導現場を見ていると、かなり変わってきていますよ。インテンシティもそうですし、日本人ならではのパスワークという部分もそう。A代表が結果を出してくれたからこそ、みんな自信を持って言えるんです。
たとえば選手にハードワークを求めれば、彼らはやるしかない。なぜなら、代表選手が普通にハードワークをしているから。そこはもう、説得力しかないんですよ。
森保 強度とか球際とかだけに走るつもりはないけど、日本はもともと技術力が高い国だと思うんです。だからこそ、技術を発揮するための強度を上げていくことが重要だと思っています。技術力だけでは強度に凌駕されることはあるけれど、技術力があったうえで強度を上げることが、これからより求められるとこかなと思っています。
(つづく)
◆新春スペシャル(4)>>今後の日本代表は「これまでのやり方を壊す」
【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグMVPを受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。
佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。
森保一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日生まれ、長崎県長崎市出身。1987年に長崎日大高からマツダに入団。1992年にハンス・オフト率いる日本代表に初招集され、翌年「ドーハの悲劇」を経験。サンフレッチェ広島→京都パープルサンガ→ベガルタ仙台を経て2004年1月に現役引退。引退後はコーチとして広島とアルビレックス新潟で経験を積み、2012年に広島の監督に就任。3度のJ1制覇を成し遂げる。2017年から東京五輪を目指すU-23代表監督となり、2018年からA代表監督にも就任。2022年カタールW杯の成績を評価されて同年12月に続投が決定した。日本代表・通算35試合1得点。ポジション=MF。身長174cm。