中村憲剛×佐藤寿人meets森保一監督
第18回「日本サッカー向上委員会」新春スペシャル(1)

 現役時代から仲のよい中村憲剛と佐藤寿人が日本サッカーについて本音を交わし、よりよい未来を模索してきたwebスポルティーバ連載「日本サッカー向上委員会」。2024年の一発目は「新春スペシャル鼎談」として、これ以上ない最高のゲストを迎え入れた。

 日本代表監督・森保一。

 引退後はサッカー解説者として引っ張りだこで、森保ジャパンの戦いぶりを観察してきた中村憲剛。この鼎談のチャンスで、どこまで森保監督の思考を聞き出せるのか。

 森保監督がサンフレッチェ広島を率いて3度のJ1リーグ優勝を果たした時、ストライカーとして貢献したのが佐藤寿人。つき合いの長い関係だけに、どんな直球の質問をぶつけるのか。

 会った瞬間から大盛り上がり、3人で語り尽くしたスペシャル鼎談。ご堪能ください。

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(左から)中村憲剛×森保一監督×佐藤寿人の鼎談が実現 photo by Sano Miki

── 森保一監督と佐藤寿人さんは、元チームメイトであり、監督と選手の間柄でもありましたが、森保監督と中村憲剛さんはどのようなご関係にあるのですか。

森保 憲剛はご存知のようにサッカーセンスが高くて、対戦相手としてはめちゃくちゃ嫌な存在でした(笑)。日本を代表する選手だったなと思いますし、選手だけではなくて、日本人の価値観を持って、サッカー界や社会を引っ張っていける人材だなと思って見ていました。

 現役を引退してからは、JFAのロールモデルコーチを務めてくれていますけど、時々連絡させてもらっています。直接会って話すこともありますし、けっこう長電話もしますね。日本のサッカーをずっと見てきていますし、日本代表でもプレーして、時代をつなげてきてくれた人なので、今の代表がどのように見えているのか、客観的な意見を聞いたりしています。

── 具体的にどういうことを話しているんですか?

憲剛 今の代表は川崎フロンターレ関係の選手が多いっていうのもありますし、あとは4-3-3のところとかも含めて、本当に率直な考えを話させてもらっています。こんなにフランクでいいのかっていうくらい(笑)。

 僕がイメージする監督像は、すごく自分の考えを持っている存在で、実際に僕が接してきた監督はそういう方が多かったです。でも、森保さんは話していて、自身の考えだけに固執せず、いろんなものを貪欲に吸収しようとする監督なんだなっていうのをすごく感じますね。

森保 いろいろと、教えてもらっています。

憲剛 いやいや、こういう言い方をするから誤解を招くんですよ(笑)。

寿人 クラブレベルもそうでしたよね。選手をリスペクトして、いろんな意見に耳を傾けていましたから。

憲剛 それはすごく感じますね。だから、本当に思ったことを言わせてもらっていますし、それをどう受け止めるかは森保さん次第なので。ただ僕が感じたことを言える関係性であるのはありがたいですし、この世界ではなかなかいないタイプの監督だなと思います。

森保 やっぱり憲剛はサッカーIQが高いし、日本のサッカーを作っていくためのアイデアを持っている人なので。参考になる意見もたくさんありますし、今後も貴重な意見をいただきたいと思っています。

── 現役時代はともに中盤の選手でしたから、サッカー観が相通じるところもあったりするのですか。

憲剛 僕はどちらかというと攻撃型の思考を持った選手でしたけど、森保さんは「オフトジャパンのアンカー」というイメージが強く残っています。そういう意味ではキャラクターだったり、プレースタイルだったりはちょっと違うとは思いますけど、全体を俯瞰してゲームをコントロールするっていう観点では似ていると思うので、話が合うところは多いですよね。

── 一方、寿人さんは現役時代に森保さんからの指導を受けてきましたが、どのような監督でしたか。

寿人 ポイチさんとは仙台の時に1年だけ一緒にプレーしたんです。そのあと広島に移籍してからは、コーチと選手の間柄がけっこう長かったですね。もちろん、監督となってからもポイチさんの下でプレーしたので、トータルで言うと10年くらいはお世話になっていますね。

憲剛 じゃあ、お互いによくわかっているわけだ。

寿人 僕が広島に移籍したのは23歳の時で、当時、ポイチさんは主に若手を指導するコーチでした。僕は試合に出ていたんですけど、なかなかチームが勝てないなかで、やっぱりちょっと、表情に出てしまったんですよ。

 その時にボイチさんに「チームを引っ張らなきゃいけないお前がそんな顔をしていたらダメだぞ」と言われたんですね。そこでハッとさせられましたし、その時から常に気づきを与えてくれる指導者というイメージが強いですね。

── 監督にとって寿人さんはどういう選手でしたか?

森保 自分が点を取ってチームを勝たせる、という責任感が強い選手でしたね。だから結果が出ないとか、チームがうまく回らない時に、背負ってしまうところはあったと思います。その時に「自分のよさを出しながらチームを引っ張っていってほしい」というようなことは話したかもしれないですね。

 でも、本当に貪欲で「向上心の塊」のような選手だったので、どうやったら点を取れるんだろうっていうことを常に考えていましたね。その探究心は本当にすごいなと。

 自分を向上させるために努力する姿は選手時代も間近に見させてもらいましたし、指導者としても一緒に仕事をさせてもらったなかで、チームを勝たせるために何をすべきか、ということを常に考えるような選手でした。

── 時に意見が合わないことも?

森保 言葉は強いですからね(笑)。お互いに意見が食い違う時もあったと思いますが、ストライカーはどちらかと言うと自分のことだけを考えがちですけど、寿人の場合はチーム全体のことを考えながらやってくれていたと思います。

 若手だったり、チームをどう引っ張っていくかという想いを常に持っているなと感じていました。たしかに一度だけ、言うことを聞かなかったというか、ネガティブに受け止められたエピソードはありましたけど(※2014年の鹿島アントラーズ戦で交代を告げられた寿人さんが森保監督との握手を拒否し、1週間の謹慎処分になった)。

寿人 あれは僕が若かっただけです。32歳でしたけど。

憲剛 32歳は若くないからな(笑)。

寿人 たしかに若くないですね(笑)。あの時は僕が悪態をついてしまったわけで、ポイチさんにも「その態度は受け入れられない」と言われました。でも、一方で「その想いもわかる」とも言ってくれて、そこは救われましたね。

 あの時期は若手が多かったので、自分のことだけではなく、彼らにいろんなことを伝えないといけない立場でもありました。ベテランとしての振る舞いを気づかせてもらったことで、結果的に次の年の3回目の優勝にもつながったのかなって思っています。

── ではもう、わだかまりはないということで?

森保 そもそもないですから(笑)。

寿人 そうですよ。僕が悪かっただけですから。それを今さら、掘り起こさないでください(笑)。

森保 これは自分で言うことではないんですけど、そこが僕のいいところかなと思っていて。選手には思いきり感情をさらけ出してほしいんですよ。ベテランだろうが若手だろうが、ずっとギラギラした想いを持っていてほしい。

 たしかにベテランになればいろんなことがわかって、多少落ち着くところはあるとは思いますけど、でも、自分がスタメンで出たい、ピッチに立ち続けたいっていう気持ちは、やっぱり忘れてはいけないところだと思っています。

── 意見を言いやすい監督だということですね。

森保 さっきの憲剛との話もそうですけど、自分があるようでなくて、ないようであるような感じですかね(笑)。ピッチ上にいる選手たちとか、自分と違う価値観だったり、見方を持ってる人たちの話を聞くことで、より選択肢を持って、よりよい答えを見つけたいんですよね。

 熱い想いを持って、みんなで好きなことを言う合うほうがいいじゃないですか。ただ、こうやろうって決めたら、自分の主張が通ったとか通らないとかではなくて、一致団結してやるべきことをやっていこうと。それは広島の時もそうですし、今も変わらないですね。

── 日本代表だと、より主張の強い選手が多いですよね。

森保 主張と言うと、ちょっとネガティブなイメージを与えてしまいますけど、自己表現能力を持っていると思います。それはすごくいいことで、やっぱりお互いを知るためには心の声を探り合うよりも、表に出したほうがわかりやすいですよね。それによって、お互いのよさを引き出し合えると思っています。

憲剛 みんなで話して、自分も話すことで、"自分ごと"になっていくんですよね。監督からトップダウンで「これをやれ」って言われると、選手の立場からすると「えっ?」て思いながらも取り組むことがあるんですね。

 だけどそうじゃなくて、選手側が声を上げて、森保さんもみんなの声を拾いながら、だけど最終的な決定権は森保さんが持って決断してみんなで取り組む。話し合ったうえで、これでやるよってなるから、みんなも納得できるんでしょうね。

森保 おっしゃるとおりです。価値観だったり、キャラクターだったり、考え方っていうのは当然、人によって千差万別ですけど、年齢を重ねるなかで、価値観の多様性を受け入れることの重要性をより感じるようになりましたね。これは、チーム作りだけじゃなくて、ふだんの生活でもそうなんですけどね。

 振り返ると、若い時のほうが「これは絶対にやらなくちゃいけない」という考え方を持っていたと思うんですよ。監督というものは全部わかったうえで、これをやる、あれをやる、こうなったらこうするというものがあったほうが、すごいとは思いますし、実際にそうやってやられている方もいると思います。でも、自分はそういうタイプではないということをわかっているつもりです。

(つづく)

◆新春スペシャル(2)>>森保一監督「ちょっと鳥肌が立ちました」


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグMVPを受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。

森保一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日生まれ、長崎県長崎市出身。1987年に長崎日大高からマツダに入団。1992年にハンス・オフト率いる日本代表に初招集され、翌年「ドーハの悲劇」を経験。サンフレッチェ広島→京都パープルサンガ→ベガルタ仙台を経て2004年1月に現役引退。引退後はコーチとして広島とアルビレックス新潟で経験を積み、2012年に広島の監督に就任。3度のJ1制覇を成し遂げる。2017年から東京五輪を目指すU-23代表監督となり、2018年からA代表監督にも就任。2022年カタールW杯の成績を評価されて同年12月に続投が決定した。日本代表・通算35試合1得点。ポジション=MF。身長174cm。