短期連載:証言で綴る侍ジャパン世界一達成秘話(7)

 第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、2009年以来14年ぶり3度目の優勝を果たした。世界一の軌跡を選手、首脳陣たちの証言とともに振り返ってみたい。


アメリカとのWBC決勝で2イニングを無失点に抑えた戸郷翔征 photo by Kyodo News

【トラウトを宣言どおりの力勝負で三振】

 WBCが始まる前、戸郷翔征にマイク・トラウトをバッターボックスに迎えたらどう攻めるか、そのイメージを訊いてみたことがあった。すると戸郷はこう言った。

「真っすぐで攻めたいですね。真っすぐでファウルをとって、フォークで締められれば一番です。それくらいの力勝負をしてみたいと思っています」

 その対決が実現する。WBC決勝のアメリカ戦、2番手としてマウンドへ上がった戸郷はいきなりトラウトと対峙した。

 その初球、アウトハイへ149キロの勢いあるストレートを投じると、トラウトが見逃してワンストライク。2球目も、今度はインハイへ149キロのストレートを続けてファウルを打たせ、あっという間に追い込んだ。

 ここから勝負球はフォーク。3球目はワンバウンドでボールとなったものの、4球目のフォークはいいところへ落ちて、空振り三振──事前に語っていたイメージそのままの配球で、戸郷はトラウトから三振に奪った。試合後、戸郷はこう話している。

「僕のなかで、攻めていくなかでの配球だったんで、興奮しましたし、楽しめたなと......世界最高峰のトラウト選手から三振をとれたんで、いい経験をさせてもらいました。あの瞬間、そのままベンチに走って帰りたいくらいうれしかったですし、テレビでしか見たことのない選手と対戦できて誇りに思いました。いい景色を見させてもらったと思っています」

 その「いい景色」をあえて言葉にするとしたら、という問いに戸郷はこう答えた。

「アメリカの球場でメジャーの選手に投げていたら、初心を取り戻した気がしました。僕がプロになりたいと思ったのは(宮崎の聖心ウルスラ学園)高校2年の夏、甲子園に出場してあのマウンドを踏んだからです。今回、マイアミでメジャーの球場のマウンドを踏んで、最高峰の舞台を目指したいと心の底から思いました。アメリカって、野球を純粋に楽しみながらプレーしているんだなって感じなんですよね。ダルビッシュ(有)さんの話を聞いていても、そこは肌で感じました。野球に対していろんなことを想定しながら、試合でも練習でも枝葉を広げて取り組んでいる感じがして......。

 今回も、たとえばダルビッシュさんって普段は40メートルの距離でしか投げないらしいんですけど、僕が遠投するという話を聞いたら、『じゃあ、僕もやってみよう』って遠投するんです。『戸郷くんはなぜ遠投するの?』と訊かれたので、『僕は近い距離だとある程度の球は行くけど、遠投するとシュート回転したり失速したり、しっかり力が伝わっていないことがわかるから、身体を使っていい回転で投げられているのかを確認をするためにやってます』と答えました。それを聞いてすぐやってみるって、すごくないですか? しかもダルビッシュさん、普段は遠投していないのに、遠投の球の軌道が化けもので、ものすごく強いボールを投げるんです。時々、ダルビッシュさんが『あ、全然アカンわ』とか言うんですけど、全然、アカンくない(笑)。一瞬で『負けたな』と思いました」

【宇田川会の舞台裏】

 じつは宮崎での日本代表の強化合宿が始まる前々日、戸郷のインスタグラムに一通のダイレクトメッセージが届いている。

「それがダルビッシュさんからでした。しかも『よろしくお願いします』って、丁寧な挨拶だったんですよね。もう、ビックリどころじゃないくらいビックリしました。集合前に一緒に練習するという話にはなっていましたが、お目にかかったらどんな話をしようかと考えている時に携帯が鳴ったので、本当に驚きました」

 その日の夜、戸郷はさっそくWBCに選ばれていたジャイアンツ勢とダルビッシュとの食事をセッティングした。戸郷が宮崎出身だからだ。

「大勢さんだけ都合が悪くて参加できなかったんですが、みんな感動していました。今まで雑誌とかでダルビッシュさんの記事を読んでいましたが、目の前で話を聞かせていただけたらダルビッシュさんの言葉を1から10まで自分のものにできますから、それはうれしかったですね。合宿中の"宇田川会"の時も、ダルビッシュさんから『戸郷くん、宮崎でしょ、投手会やろうよ。どこかいいお店、ない?』って言われて......だから地元の知り合いとも相談して、あの人数で貸切をお願いできるお店を選びました。地元民にできるのはそのくらいですから(笑)」

 のちにダルビッシュが"宇田川会"と命名した投手会。強化合宿で初の休養日となった2月20日の夜、投手陣の14人がすべて参加した焼き肉会が宮崎で開催された。帰り際、人見知りでなかなか投手陣の輪に入れずにいた宇田川優希をセンターで腕組みさせ、全員で記念撮影をした。その写真にダルビッシュが"宇田川会"とタイトルをつけてSNSに投稿する。それが話題となって、日本代表の投手陣の結束が強まったという、伝説の夜──戸郷がこう振り返った。

「それまでの宇田川さんは会話も少ないほうだったんですが、宇田川会で打ち解け過ぎて(笑)。あのあとの宇田川さん、すっかり人が変わってチームリーダーじゃないかと思うくらい、しゃべるようになりましたね。あの宇田川会でダルビッシュさんとも全員が仲良くなれた感じがしますし、みんながひとつになれた。宇田川会があったからこそ、投手陣はまとまったし、決勝も、登板した7人だけじゃなく、ブルペンでスタンバイしたみんなで勝ち切ることができたんじゃないかなと思います」

 アメリカと戦ったWBC決勝は先発の今永昇太から戸郷、高橋宏斗、伊藤大海、大勢、ダルビッシュとつなぎ、最後は大谷翔平が締めくくった。そんななか、万が一に備えて宇田川はブルペンで準備し続けていた。

「ブルペンでの宇田川さんは、投げすぎてもダメだし、投げなさすぎてもよくないという難しい仕事をナマで見ていて、すごさを感じました。宇田川会の前は想像もしませんでしたね(笑)。でも、思えばあの時は必死でお店を探しましたが、普段の僕はまだ連れてってもらうことのほうが多い年齢なので、お店を決めた身としてはずっとドキドキでした。お肉が来ても、みんなの顔を見ながら『うまいって言ってくれるかな』って......美味しいと言ってくれたので途中から少しだけホッとしましたが、たぶん宇田川会、僕だけがまったく楽しめていなかったと思います(笑)」