2023年野球界10大ニュース(前編)

 大谷翔平や村上宗隆らの活躍もあり、栗山英樹監督率いる侍ジャパンが14年ぶりのWBC制覇を果たすと、岡田彰布監督が指揮を執った阪神は38年ぶりの日本一を達成。高校野球界でも夏の甲子園で慶應義塾高が107年ぶりの優勝に輝くなど、次々と快挙が達成させた。2023年に野球界で起きた出来事を、スポルティーバが独断と偏見で選出し「10大ニュース」として振り返ってみたい。まずは前編から。


WBC決勝でアメリカを下し、3大会ぶりの世界一を達成した侍ジャパンのメンバーたち photo by Getty Images

【侍ジャパンが14年ぶりWBC制覇】

 イチローの劇的な決勝タイムリーで連覇を達成した2009年の第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)から14年。3大会ぶり3度目の世界一となった侍ジャパンの雄姿にファンは興奮し、感動した。

 3冠王のヤクルト・村上宗隆、2年連続沢村賞のオリックス・山本由伸。日本のトップクラスに加え、パドレスのダルビッシュ有にエンゼルスの大谷翔平、レッドソックスの吉田正尚、カブスの鈴木誠也(のちにケガにより代表を離脱)とメジャーリーグ所属選手も名を連ねた。そのなかでも話題となったのが、日系人として初めて日本代表に選ばれたカージナルスのラーズ・ヌートバーだった。

 多士済々──大会前から「歴代最強」と呼ばれるこの精鋭たちを束ねたのが栗山英樹監督である。覇権奪還を至上命令と課す指揮官は「ほとんどサインを出していない」と言われているほど、選手たちに命運を託した。

 とりわけクローズアップされたのが、主砲として打線の軸を期待されていた村上の起用である。本大会に入ってもパフォーマンスが上がらないなか、栗山は村上の中軸起用にこだわったとされている。この信頼が、メキシコとの準決勝の9回裏に飛び出したサヨナラ打となって結実した。これがなければ、アメリカとの決勝戦のドラマもなかったかもしれない。それほど貴重な一打だった。

 決勝戦は先発の今永昇太から戸郷翔征、高橋宏斗、伊藤大海、大勢。そして、先発から救援に回ったダルビッシュ有へとバトンをつないで迎えた9回。3−2とわずか1点リードで監督の栗山がマウンドに送ったのが、二刀流としてチームを支えてきた大谷だった。

 2アウト、ランナーなし。エンゼルスのチームメイトであるマイク・トラウトを空振り三振に打ちとった大谷が、激しく帽子を脱ぎ捨て雄叫びを上げる──。

 ヒーローたちが舞ったマンガのようなストーリーは、日本中を歓喜の渦に巻き込んだ。


日本人初のメジャー本塁打王を獲得し、自身2度目のMVPに輝いた大谷翔平 photo by Taguchi Yukihito

【大谷翔平がメジャー本塁打王&MVP獲得】

 1年3000万ドル(当時のレートで約43億5000万円)。日本人最高額で単年契約を結び臨んだ2023年シーズン。メジャーリーグ開幕前の3月にはWBCで二刀流としてフル稼働して世界一の立役者となり、MVPにも輝いたエンゼルスの大谷翔平は、この3000万ドルという評価以上の驚異的なパフォーマンスで全米を沸かせた。

 44本ものホームランを量産し、日本人初の本塁打王のタイトルを獲得するなど、バッターとして打率3割4厘、95打点を記録し、長打率と出塁率を合計したOPSはメジャートップの1.066を叩き出した。

 ピッチャーとしても出色のマウンドを披露した。2年連続での2ケタ勝利となる10勝、防御率3.14。132イニングを投げ167個の三振を記録し、奪三振率は11.39と、チームトップの成績を収めたのである。

 2022シーズン、34本塁打、15勝をマークして、1918年のベーブ・ルース以来の「2ケタ本塁打、2ケタ勝利」の偉業を成し遂げたが、2年連続は史上初の快挙。2021年以来となるアメリカン・リーグMVPに満票で選ばれたのは、当然だと称えられた。

 大谷が驚異的なのは、この数字を135試合(ピッチャーとしては23試合)で残したところにある。8月下旬に右ひじの靭帯を損傷していることが発覚。バッターに専念していた9月上旬には右脇腹を痛めて故障者リスト入りしたことで大谷のシーズンはここで終了したが、23年の野球界が「大谷イヤー」であったことは誰もが認めるところだろう。

 そしてシーズンオフ。その価値がさらに高まる。エンゼルスからフリーエージェントとなった大谷は、メジャー史上最高額となる10年総額7憶ドル(約1015億円)でドジャースへと移籍した。右ヒジの手術の影響で来シーズンはバッターに専念するというが、ドジャーブルーのユニフォームを纏った日本の誇りが打席に立つ姿を、世界中が待ちわびている。


38年ぶりの日本一を果たした阪神ナイン photo by Sankei Visual

【阪神38年ぶりの日本一】

 阪神の岡田彰布監督が初めて「アレ」を口にしたのは、オリックスを率いていた2010年だと言われている。交流戦制覇が現実味を帯びてきた頃、選手やコーチに優勝を意識させないための配慮として「アレ」を公言するようになり、見事実現させた。

 そして、2008年以来2度目の阪神監督となった22年10月の就任会見で、岡田が再び明言したことで「アレ」が復活した。

 今シーズンは開幕3連勝で勢いに乗ると、後半戦に突入してもチーム力は衰えることなく、迎えた9月14日。甲子園球場での「伝統の一戦」となった巨人戦で4−3と勝利し、18年ぶり6度目の「アレ」を達成した。セ・リーグ全球団に勝ち越すなど、強さが際立った。

 シーズンの戦いぶりを振り返ると、投打ともに岡田野球が色濃く打ち出されていた。

 野手は守備、走塁を徹底的に洗い直したことで、近本光司と中野拓夢の「1・2番コンビ」やショートの木浪聖也たちが持ち味を存分に発揮。一発のある大山悠輔や佐藤輝明のクリーンアップとのつながりも円滑に運び、チーム打率は2割4分7厘ながらリーグトップの555得点を記録した。

 それ以上に際立ったのが投手陣の奮闘だ。昨シーズンまで2年連続で13勝を挙げ、今シーズンも開幕投手を務めたエースの青柳晃洋が不調の誤算をカバーしたのが村上頌樹だ。プロ未勝利だった3年目右腕は、10勝、防御率1.75をマークし、144回1/3を投げ四死球はわずか16と抜群の安定感を披露。新人王とリーグMVPに輝いた。

 また現役ドラフトで加入した大竹耕太郎も12勝を挙げるなど、新戦力の台頭もチームの快進撃を支えた。

 盤石の戦力を擁して臨んだオリックスとの日本シリーズでも、前年の覇者を4勝3敗で退け38年ぶりの日本一も達成。リーグ優勝と日本一。指示代名詞を貫き通し大願成就させた阪神の「アレ(A.R.E)」は、流行語大賞の年間大賞に選ばれた。


山本由伸の活躍もありリーグ3連覇を達成したオリックス photo by Sankei Visual

【オリックスがパ・リーグ3連覇】

 オリックス・バファローズ初のパ・リーグ3連覇。前身の阪急ブレーブスが1975年から78年まで4連覇を果たして以来、実に45年ぶりの快挙だった。

 今シーズンは新戦力のパフォーマンスが光った。西武からFAで加入した森友哉が打率2割9分4厘、18ホームランと期待どおりの打棒を披露。生え抜きでは、頓宮裕真が5年目にして初の規定打席に到達すると打率3割7厘で首位打者となり、レッドソックスへ移籍した吉田正尚の穴を埋めた。

 投手陣での「ブレイク組」の筆頭は、山下舜平太だ。高卒3年目右腕はプロ初登板が開幕投手という大役を任され、その期待に応えた。ローテーションの一角を担い、シーズン終盤に故障で離脱したものの16試合の登板で9勝、防御率1.61と大器の片鱗を見せつけた。

 しかしながら、オリックス3連覇の原動力といえば、やはりエース・山本由伸だ。今年から踏み出す左足を摺り足気味に出し、クイックモーションのように素早く投球動作を行なうフォームにマイナーチェンジさせたことで、より安定感が生まれた。

 今シーズンも圧巻のピッチングを披露。16勝、防御率1.21、勝率7割2分7厘、169奪三振で3年連続「投手四冠」を達成。さらに、投手にとっての最高栄誉である沢村賞に3年連続で輝いた。

 そして、オフにポスティングシステムでのメジャー挑戦を表明。ピッチャーとしては史上最高額となる12年総額3億2500万ドル(約463億円)でドジャースと契約したことで、大谷翔平とチームメイトに。日本を代表する選手の共闘に注目が高まっている。


夏の甲子園107年ぶりの優勝を果たした慶應義塾ナイン photo by Ohtomo Yoshiyuki

【慶應義塾高が夏の甲子園107年ぶり制覇】

 夏の甲子園初優勝が1916年の第2回大会。高校野球界きっての伝統校の慶應義塾が、第105回大会で107年ぶりに頂点に立った。

 仙台育英との決勝戦で初回先頭打者ホームランを放つなど打率4割9分。リードオフマンとして打線を牽引し、日焼け必至の真夏にも関わらず色白だった丸田湊斗は「美白王子」としても話題となった。プロ野球歴代5位の525ホームランを記録した清原和博(西武、巨人、オリックス)の次男の勝児は、代打の切り札のような役割を果たすなど、チームにはキャラクターが引き立つメンバーが揃っていた。

 慶應義塾はこの夏、選手たちの長髪をはじめとする"個性"が注目されていたが、それは今に始まったことではない。選手たちが髪を伸ばすのは「野球は格好でするものではない」と戦後間もない時期から続いており、今も「スポーツマンらしい頭髪であれば制限はない」とされている。

「エンジョイ・ベースボール」も、世間の関心を集めた。森林貴彦監督が掲げるこのモットーには、「楽しむためには、しっかり練習をして技術を養い、高いレベルの野球をしなくてはいけない」という真意がある。

 普段の練習から選手たちが自発的に一つひとつのプレーと向き合う。固定観念にとらわれず「状況に応じてはスクイズを警戒しなくていい」といった具合で、精力的に監督に提案する選手主導の野球を進めている。3回戦の広陵戦、1点リードの7回、一死二、三塁の場面で「同点OK」と中間守備をとり、ショートゴロを三塁へ送球してアウトにした場面など、大会では随所に好判断が目立った。

 今年の夏の甲子園は、まさしく慶應義塾が長年培ってきた野球の結実を意味していた。半ば「変わり者」のように見られてきたチームは、日本一になることで自分たちの身上を世間に認知させることができたのである。高校野球新時代の幕開け──そのきっかけを生んだのは紛れもなく慶應義塾だった。

後編につづく>>