連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第39回

 プロ2年目に開幕投手を託され、勝って期待に応えた斎藤佑樹。ローテーションの1番手として4月はことごとくカード頭に先発、さらに2つの勝利を加える。4月を終えた斎藤は3勝1敗、防御率1.70と、開幕から安定したピッチングを続けていた。


2012年4月20日のオリックス戦でプロ初完封を飾った斎藤佑樹

【プロ2年目のフォームチェンジ】

 開幕で勝って、4月も勝ち星を重ねることができて、これは今年いけるかもしれないな、なんて感じていました。その根拠は、1年目のオフに投げ方をガラッと変えたことによって、ボールの質も変わったと思っていたからです。プロ1年目を終えて、僕はずっと興味を持っていた初動負荷のトレーニングをするために鳥取のワールドウィングへ行きました。大学の頃から身体が硬いと思っていて、初動負荷のマシンを使えば身体が柔らかくなって、可動域を出せると思っていたんです。

 そこで小山(裕史/(株)ワールドウィングエンタープライズ代表)先生から、上から叩く感覚の投げ方を教わりました。同時に、初動負荷のマシンは小山先生が目指す動きを可能にするためのもので、結果、身体が柔らかくなるものなんだということも知りました。小山先生は、僕にはこういう動きが合っているから、ぜひボールを上から叩くフォームを身につけようと話して下さって、しばらくの間、先生と一緒にトレーニングに励みました。

 まず、1年目にはノーワインドアップの時にへそのあたりにあったグラブを、胸まで上げるようにしました。それまでの僕は低く低く、下から撫でるようなイメージで投げていましたが、2年目は沈まずに上から叩く感覚で投げるようにしました。

 右足を張った状態のまま、リリースの高さを保ちながらステップしていく。そしてボールを上から叩きます。そうするとボールがしっかり指にかかって、懐かしい感じがしたんです。一番、いいときの感覚に近づいて、すごく投げ心地がよかった。自分の中でのステップが一段、上がった感じがしました。

 それでもこのフォームを完全に自分のものにするのは大変で、身体がラクをしたがり、試合で投げるとすぐに昔のフォームが顔を出してしまうんです。そうならないためには、マシンを使いながら身体に意識づけをしなければなりません。

 でもあの頃はいつでも近くにマシンがあるわけではありませんでした。しょっちゅう鳥取まで行くこともできず、それでも難しいなりに、そういうフォームへの意識は引退するまでずっと持ち続けていたと思います。

【鶴岡慎也のリードに救われた】

 開幕して2試合目、千葉でマリーンズを相手に投げた時は、メディアの方から「強い風がボールを動かしてくれた」と言われましたが、正直、そういう意識はありませんでした。たしかに風のおかげかと訊かれて僕もそんなコメントをしましたが、ボールを動かすのは得意なほうでしたし、打ち損じたバッターが『あれっ』という顔をするのを見るのはやっぱりうれしかったです。打てそうで打てない、どこがいいのかわからない、というバッターのコメントを聞かされると、思いどおりだなと思っていました。

 リズムよく、球数少なく、ボールを動かしてゴロを打たせる......風の強い千葉では打ち上げさせてしまったら何が起こるかわかりません。開幕戦の勝利もうれしかったけど、ローテーションの1番目を任せてもらって、その2試合目に勝てたことはもっとうれしかった(7回、被安打6、奪三振3、与四球1、失点2、84球)。

 意識していたのは、立ち上がりはしっかりフォーシームを見せておく、ということです。この時も1回から3回、打順が一回りするまでは初球、ほとんどフォーシームを投げていたと思います。それは、ツルさん(キャッチャーの鶴岡慎也)のおかげでした。

 僕は変化球が得意なはずなのに、ツルさんはフォーシームのサインを出してくるんです。ある時、その理由をツルさんに訊いたら、「フォーシームを投げなかったら基準がつくれない、それでは変化球を生かせるはずがない」と教えてくれました。

 ツルさんは「同じ試合のなかでひとりのバッターとは3巡目、4巡目まで対戦しなくちゃならないんだから、1巡目にしっかりフォーシームを見せておかないと、後半、苦しくなる」と......最初から変化球を投げすぎると、後半、スライダーやツーシームを見送られてしまうと言うんです。

 極端な話、打たれてもいいから前半はフォーシームでいけるところまでいこうと、ツルさんは僕を引っ張ってくれました。そうやって攻めたことが次の試合、その次の試合で生きてくるから、というのがツルさんの考えです。「それでダメならしょうがない」「プロではダメだと思う」とまで言ってくれました。

 1巡目は変化球を少なく、フォーシームで乗りきらないと、3巡目、4巡目も無理だし、次の試合、その次の試合も打ちとれない。「そこは割りきらないとダメだよ」とハッキリ言われて、なるほどと納得しました。

 納得はしましたが、でもツルさん、1巡目だけじゃなくて試合の後半にもけっこうフォーシームのサインを出してきて、『えーっ、ここでフォーシームはちょっとしんどいな』と僕のほうが思っちゃう(苦笑)。

 ピンチになるとスライダーとかチェンジアップ、フォークを使って、ボールゾーンに投げたくなってしまうんです。でもツルさんは、真っすぐで来い、みたいな仕草をする。ミットを揺らしまくって、絶対にここだからな、みたいな強気の......いや、あれはツルさんにとっては強気でもなんでもなくて、シンプルな配球だったのかもしれませんね。僕はツルさんにいいところをすごく引き出してもらったと思っています。感謝しかありません。

【金子誠の決死のダイビングキャッチ】

 ツルさんは、僕が三振をどうやってとったらいいのかわからなくなって悩んでいた時期、何も言わないのにそれを感じとってくれて、スッと1枚のDVDを渡してくれたこともありました。「これを見て、勉強しておきな」って......それは小野晋吾(マリーンズ)さんのピッチングの映像でした。

 小野さんはスライダー、カットボール、シュートをうまく投げ分けていて、ツルさんは「佑ちゃんって、こういう感じがいいと思うんだよね」と言っていました。ここまで考えてくれていたのかと驚いて、すごくうれしかったこともよく覚えています。

 3試合目は札幌でマー君(イーグルスの田中将大)と投げ合って(7回途中まで投げて2失点)、僕に負けがつきました。そして4試合目は、今でも忘れられない大切な試合になりました。

 あれは(4月20日の)神戸でのバファローズとの試合です。あの時に意識していたのは、ワンバウンドになってもいいくらいの意識で低く低く、縦のスライダーを投げること。右バッターにはインコースに食い込むツーシームを、左バッターにはインコースへカットボールを見せて、低めのボールゾーンに決めた縦スラとチェンジアップを振らせる。

 もちろん、ここというところではフォーシームをストライクゾーンに投げ込む。あの試合、やたらと得点圏にランナーを進めてしまいましたが(7度)、それでも初球はストライクゾーンで勝負できていたと思います(7度のうち5度までが初球にストライク、1度は2球目にストライク、ツーボールは1度)。そのおかげで、追い込んでからのボールゾーンの変化球を振らせることができました。

 何とかゼロを積み重ねて、9回裏。ツーアウト一塁でバッターはバファローズの9番、早大の先輩でもある由田(慎太郎)さんでした。その由田さんに初球、アウトローのツーシームを三遊間の深いところへ弾き返されます。

 その打球をショートの(金子)誠さんが横っ飛びでつかんで、体勢を立て直せないまま、セカンドへボールを投げました。結果はセーフで、試合は終わらなかったのですが、あの誠さんのダイビングを見て、僕は勝手に応援してもらっている気持ちになったんです。アウトにできなくて、悔しさのあまりしゃがみ込んだ誠さんの姿に感動してしまって。まだ試合が終わったわけでもないのに涙腺崩壊して(笑)......あれはうれしいというよりホッとしたような、不思議な感覚でしたね。

*     *     *     *     *

 3年連続で2ケタ勝利を挙げていた武田勝を差し置いて、6勝の斎藤が開幕投手を務めることをチームメイトはどう思っていたのか。夏の甲子園から背負わされてきた十字架はチームメイトにどう見えているのか。そんな斎藤が、ベテランのなりふり構わぬ必死のプレーに、ようやく認めてもらえたかもしれないと安堵した。そんな感情を彼は「不思議な感覚」と表現したのだろう。しかし5月、斎藤は突如、マウンドで悪夢のような出来事に晒されることになる。

(次回へ続く)