露が破壊した世界最大の飛行機「An-225」過去にも一度“瀕死”に? 唯一無二となったワケ
ロシアによるウクライナ侵攻によって破壊され、世界に1機しかない「世界最大の飛行機」An-225「ムリヤ」はなぜ生み出されたのでしょうか。そのユニークな経緯に迫ります。
1988年12月21日初飛行
2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻によって破壊された「世界最大の飛行機」、An-225(AN-225)「ムリヤ」。世界に1機しかないこの機体は1988年12月21日にウクライナで初飛行しました。なぜ、このような規格外の飛行機が開発されることになったのでしょうか。
アントノフAn-225「ムリヤ」(画像:Transport Pixels[CC BY-SA〈https://bit.ly/2VvpNUU〉])。
An-225「ムリヤ」の最大離陸重量は“世界最大”となる640tで、全長は84m、全幅は88.74mに及びます。片翼に3発ずつ計6発搭載したエンジン、32個の車輪をもつムカデのような脚など独特の形状を持ち、日本では「怪鳥」とも呼ばれました。コクピット下部は、長尺の貨物を搭載できるように機首が上に開く構造となっており、破壊されるまでは貨物輸送機として運用されてきました。
ただ、このユニークな飛行機の出自は、貨物機ではありませんでした。
1971年、旧ソ連では、ソ連版スペース・シャトルである「ブラン」計画がスタートします。アメリカのスペース・シャトル計画と同様に、ロケットで宇宙空間に打ち出して、宇宙往還機で大気圏に突入するというもので、この宇宙往還機の名称が「ブラン」でした。
アメリカのスペース・シャトル計画では、宇宙往還機を地球上で移動する手段として、「ジャンボ・ジェット」として知られているボーイング747を改修した機体の背中に宇宙往還機を載せて、空輸を行っていました。ブラン計画でも同様の大型の輸送機が必要となりました、
ただ、アントノフ設計局には、An-124「ルスラン」という超大型輸送機がすでに存在していました。An-124は実用化されたなかでは重量ベースで「世界最大の輸送機」として知られており、全長68.96m、翼幅73.3mで、最大離陸重量は405tとなっています。
この大きさは旅客機として開発されたボーイング747に匹敵するものでしたが、それでも搭載重量と飛行距離の関係などのから、それ以上のキャパシティをもつ輸送機が必要になりました。これがAn-225「ムリヤ」です。
瀕死からの復活…An-225「ムリヤ」の足跡
An-225「ムリヤ」は、An-124「ルスラン」をベースとし、胴体の15m延長や脚の追加、エンジン数の追加、尾翼の設計の見直しなどの変更が行われました。初飛行は1時間30分実際され、その後も航空ショーへ「ブラン」を輸送するなどのミッションも担当。しかし1991年、ソ連が崩壊。「ブラン」計画もこれで打ち切りとなり、An-225「ムリヤ」は“宝の持ち腐れ”のような状態となってしまいました。
ウクライナ籍となったAn-225「ムリヤ」ですが、運用するにはコストがかかりすぎたようで、部品製造も2機分用意されましたが、完成したのは1機のみ。一時期は、An-124「ルスラン」などに使用するべく、エンジンなども取り外されていました。
そのような状態が続き2000年に入るかどうかというとき、アントノフ設計局の関係会社でもあるアントノフ航空などがAn-225「ムリヤ」を民間機として復活させる計画を公開します。その後、航法装置の刷新や新たな空調システムの設置、貨物室の床の強化などの改修を経て、2001年に復活し、再び空へ戻りました。
2010年9月、自衛隊の海外派遣を支援するために仙台空港へ飛来したAn-124「ルスラン」(柘植優介撮影)。
復帰後のAn-225「ムリヤ」は、他機では真似のできない収容力や大きさから、世界中から引き合いがある貨物機となりました。同型機を用いた空輸業務はここ日本でも実施され、成田空港、中部空港などへ飛来。2011年の東日本大震災の際には、フランス政府からの災害救援物資を運ぶなど、少ないながらも「大きなヒーロー」として航空ファンなどの記憶に残る活躍を見せていました。また、この機は、ある意味「ウクライナの象徴」的な存在であり、2021年のウクライナ独立30周年を祝賀するイベントでは、首都キーウ上空をフライトしています。
このようなストーリーを持つAn-225「ムリヤ」の破壊は、世界の航空ファンを悲しみの渦に巻き込みました。なお、2022年11月にはアントノフ社が公式SNSで、大破した「ムリヤ」を終戦後に修理する計画があると発表しています。具体的な計画は発表されていませんが、この機が再び空を飛ぶことができるのか、ウクライナ情勢の終結とともに関心を集めるところです。