秘境の鉱山鉄道「神岡鉄道」が廃止された日 40年の歴史に幕 -2006.12.1
16年前の2006年12月1日、富山県と岐阜県にまたがる神岡鉄道が廃止を迎えました。
大正以来の鉱山鉄道を置き換え
飛騨神岡駅に停車する神岡鉄道の列車(画像:tsuda)。
今から16年前の2006(平成18)年12月1日。JR高山本線の猪谷駅から分岐し、奥飛騨温泉口駅までをむすぶ19.9kmの神岡鉄道が廃止されました。
もともと神岡鉱山へは、大正時代に三井鉱山が貨物線を整備していました。富山地方鉄道笹津線の前身となる路線(当時は富山軽便鉄道。富山〜笹津)が開業しており、そこへ接続する形でした。のちに高山本線が開業すると、猪谷駅を発着するようになりました。
さてその一方で、戦後、ここへの国鉄路線の要望が再三あり、1956(昭和31)年に建設が決定します。既存の鉄道線は入れ替わりで廃止となることが決定します。新線は当初から神岡鉱山までの計画で、そこから先へ広域ネットワークを構築する予定はありませんでした。
開通は1966(昭和41)年。国鉄末期の新線の特徴として、目的地までトンネルと橋梁をふんだんに使ってまっすぐつないでいく線形となっています。しかしすでに国鉄の経営は悪化し、全国の赤字ローカル線を廃止していくことを決定。神岡線もリストアップされ、1984(昭和59)年に廃止となります。わずか18年の短い歴史でした。
あとを継いだのが第三セクターの神岡鉄道でした。自社発注の気動車を用意し、終点の神岡駅も「奥飛騨温泉口駅」に改称するなど、再生を図ったのです。しかし旅客収入が低迷し、営業収入の8割を占めた貨物輸送もトラックに切り替わったのを機に、廃止が決定しました。
廃線跡のうち、漆山〜二ッ屋トンネルの3.3kmと、神岡鉱山前〜飛騨神岡〜神岡大橋〜奥飛騨温泉口の3駅間2.9kmを活用し、ペダルを漕いで走行するトロッコ「ガッタンゴー」が運営されています。高原川の深い渓谷を鉄橋で渡り、トンネルや森の奥を抜け、かつての鉄路に思いを馳せることができます。