今から40年前のフォークランド紛争では、イギリス海軍が“世界初”の戦果を挙げています。原子力潜水艦による攻撃で、アルゼンチン海軍は手痛い打撃を被りました。その一部始終を振り返ります。

まさに「海の忍者」アルゼンチン艦をピタリとマーク

 今から40年前の1982(昭和57)年、イギリスとアルゼンチンの間で、南大西洋にある小島、イギリス領フォークランド諸島(アルゼンチン名マルビナス諸島)の領有権を巡って衝突が発生しました。日本では「フォークランド紛争」として知られるこの戦いにおいて、2022年現在に至っても更新されていない歴史上唯一の戦果を、イギリス海軍の原子力潜水艦があげています。それはいったいどんなものだったのでしょうか。


イギリス海軍の原子力潜水艦「コンカラー」。チャーチル級原子力潜水艦3隻のうちの2番艦として1971年11月に就役している(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 フォークランド紛争の発端は、1982(昭和57)年3月19日にアルゼンチン軍が同諸島への侵攻を開始したことです。この緊急事態を受けて、イギリスは空母「ハーミーズ」と「インヴィンシブル」を主力とする空母機動部隊を現地へ急派しました。

 そして4月12日、フォークランド諸島の周辺に海上排除エリアを設定し、近付くアルゼンチン艦船の監視と排除のために原子力潜水艦「スパルタン」と「スプレンディド」を配置します。なお、この海上排除エリアは同月30日、アルゼンチン航空機を対象に含む完全排除エリアに設定が改められています。

 一方、アルゼンチン海軍は、空母「ベインティシンコ・デ・マヨ」を主力とする艦隊、軽巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」を主力とする艦隊、エグゾセ艦対艦ミサイルを装備するフリゲート群からなる艦隊、この3部隊によって、イギリス空母機動部隊を包囲攻撃しようと考えていました。

 しかし、イギリス海軍はアルゼンチン海軍の動向を早い段階から掴んでいました。というのも、軽巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」と護衛の駆逐艦2隻には、4月30日の時点でイギリス原子力潜水艦「コンカラー」がピッタリ張り付いていたからです。

無誘導の旧式魚雷でクリティカルヒット!

「コンカラー」から逐一、アルゼンチン艦隊の動向について報告を受けていたイギリス本国では、海軍上層部と政府による協議の結果、完全排除エリアの外に留まってはいるものの「ヘネラル・ベルグラノ」を脅威と判断、5月2日に撃沈を命じます。

 この命令に対し、原子力潜水艦「コンカラー」の艦長、クリストファー・リーフォード=ブラウン中佐は、アルゼンチン軽巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」の左舷側へ向けマークVIII魚雷3本を発射。うち2本を命中させました。


アルゼンチン海軍の軽巡洋艦「へネラル・ベルグラノ」。元は1939年3月に就役したアメリカの軽巡洋艦「フェニックス」(画像:アルゼンチン国防省)。

 実はこの魚雷、フォークランド紛争の半世紀以上前、1927(昭和2)年に運用が開始された旧型兵器でした。とうぜん、長い運用期間中に何度も改修は施されていたものの、それにしても、原子力潜水艦が50年以上前に設計された、時代に即さない無誘導の魚雷を用いたというのは興味深いといえるでしょう。

 ただ、そこまで長い運用実績を持つため、信頼性は抜群で、軽巡洋艦「へネラル・ベルグラノ」に命中した2本のマークVIII魚雷のうち、後部機械室に当たった1本が、「ヘネラル・ベルグラノ」の機能面に大打撃を及ぼしたのです。多数の乗組員が戦死、そのうえ非常用発電設備も壊滅したため、艦内への浸水を機械で排水できなくなったのは致命的でした。

 そのため、軽巡洋艦「へネラル・ベルグラノ」の艦長エクトール・ボンソ大佐は、被雷からわずか20分後に「総員退艦」を発令。こうして同艦は短時間で沈没したのです。

「ヘネラル・ベルグラノ」と護衛の駆逐艦2隻は、いずれもイギリス潜水艦「コンカラー」の追尾を事前に察知することができませんでした。さらに雷撃後も、残された駆逐艦2隻は同艦を探知できず、結果「コンカラー」の離脱を許してしまいました(イギリス側は爆雷攻撃を受けたと主張。しかし当事者アルゼンチン側に当該の記録なし)。

疑心暗鬼を植え付けた英原潜の活動

 沈んだ「へネラル・ベルグラノ」は、第2次世界大戦前にアメリカが建造した軽巡洋艦「フェニックス」を大戦後に購入した、いわば中古で、フォークランド紛争時は旧式化していたため、戦力的にはそこまで期待できるほどではありませんでした。

 とはいえ、アルゼンチン海軍では屈指の大型艦であったことから、それが撃沈された同国の衝撃は大きく、以降、フォークランド紛争中における同海軍の作戦行動は、きわめて消極的なものとなりました。


原潜「コンカラー」の魚雷攻撃を受け、沈没直前のアルゼンチン軽巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 一方、「コンカラー」は第2次世界大戦後、交戦中に軍艦を魚雷で撃沈した唯一の原子力潜水艦となりました。また、この事例によりイギリスは2022年の時点で、原子力潜水艦の戦果を持つ唯一の国となっています。

 ところで、このところ日本で島嶼防衛が論じられるようになりました。専守防衛を旨としているわが国では、「先に手を出す」ことになるので難しいかも知れませんが、日本領土の島嶼部に敵の上陸艦隊が迫ってきたら、輸送艦に積載されている地上兵力が上陸して分散する前に、輸送艦ごとまとめて沈めるのが最良の手立てとなります。

 そのとき頼りになるのが潜水艦でしょう。海上自衛隊の潜水艦隊は、原子力潜水艦こそないものの、その能力はロシア海軍を抜いてアメリカ海軍に次ぐ世界第2位とも称されるほど。今日も哨戒や訓練のため、静寂とともに海中を航行中の艦があります。

 日本の沿岸と島嶼防衛における海上自衛隊潜水艦の活動には、筆者(白石 光:戦史研究家)としても大いに期待を寄せるところがあります。とはいえ、そのような事態に至らないことが、なによりも重要なのは言うまでもありませんが。