※この記事は2020年08月10日にBLOGOSで公開されたものです

今、この記事を書いているのは8月8日土曜日、豊島将之名人と渡辺明二冠による第78期名人戦第5局2日目が行われている朝です。

ギリギリ17歳でタイトル獲得 藤井棋聖の凄さ

6月4日、最年少タイトル挑戦記録を更新し、第91期ヒューリック杯棋聖戦の挑戦者になった藤井聡太七段。対するは、将棋界に8つあるタイトルのうち3つを保持、さらに将棋界の最高峰「名人戦」の挑戦者にもなった渡辺明棋聖でした。

名人と同格のタイトル「竜王」9連覇という前人未到の記録を持つ渡辺明棋聖。2019年度から今年にかけての渡辺棋聖は、2017年度の不調を乗り越え、何度目かの「絶頂期」を迎えた感がありました。

これ以上ないシチュエーションで迎えたシリーズを3勝1敗で制したのは藤井新棋聖。18歳の誕生日3日前。もちろん、こちらも最年少記録です。

これまでのタイトル最年少獲得記録は屋敷伸之九段が持つ「18歳6か月」でした。もし、第4局で敗れていた場合、18歳で第5局(7/21)に臨むことになり、そこで奪取した場合は「18歳と2日」でタイトル獲得でした。同じ最年少獲得記録でも、「17歳」で獲得か「18歳」で獲得かで印象が変わる中で、「誕生日3日前」「ギリギリ17歳」のうちにタイトルを獲得したことは、今後作り上げていく伝説の序章には、ふさわしい出来事でした。

将棋にもある「引き分け」の妙

名人戦で渡辺明二冠の挑戦を受けている豊島将之竜王・名人は永瀬拓矢二冠の持つ「叡王」というタイトルに挑戦中。第6局の時点で「2勝2敗2持将棋(1千日手)」。持将棋は、ざっくり言うと「引き分け」。

お互いの玉将が、相手の陣内に入って、詰む(=身動きが取れなくなる)見込みのない場合、玉を除き飛車・角行を各5点、その他の駒を各1点として計算し、両者とも24点以上あれば引き分けとする…というルール。24点ないほうは負けとなるため、持将棋成立の直前まで、普段の「玉を追い詰める」という本来の戦いとは全く異なる駒取り合戦が繰り広げられます。

また、「千日手」とは、4回同じ局面が現れた時点で成立するルール。お互いが「この手だ!」と譲れない時に出現します。この「千日手」は、永瀬叡王の得意(!?)とするところで、将棋ファンが盛り上がるポイントのひとつ。

私はその時、「もう1回、もう1回~」とMr.Childrenの「HANABI」を口ずさんでしまいます。

叡王戦は七番勝負。先に4勝したほうがシリーズを制します。

いったんプロ野球の話。1975年、阪急ブレーブスが日本シリーズで初優勝した際、4勝2引き分けという成績を残していますが、1950年から行われている日本シリーズで「2引き分け」が記録されているのはこの時だけ。

それと比べ「天候による試合中止」はドーム球場のない時代にしばしば存在し、「中止によって流れが変わった」というシリーズも存在します。

(もっとも有名なのは1958年の西鉄ライオンズ『3連敗からの4連勝』『神様 仏様 稲尾様』)

また「千日手」は「持将棋」と比べると出現しやすい傾向にあるので、叡王戦の現状は、プロ野球の日本シリーズでたとえるなら、

「2勝2敗2引き分け 降雨によるノーゲーム1」

といったところでしょうか。

このように「2勝2敗2持将棋(1千日手)」は「他ジャンルの歴史ある七番勝負」と比べても、ほとんど例のないことが重なった事象であることがわかります。

もし、フルセットに持ち込まれたら少なくともあと3局戦うことになるので「永瀬-豊島の十番勝負」となるわけですが、「同じタイトル戦で10回戦った」というのは過去に存在してしまうのが将棋界のすごいところ。

1982年、第40期名人戦。この年は第1局が持将棋、第6局と第8局がそれぞれ千日手指し直しとなり、通算10局目「第8局指し直し局」までもつれ込む「実質十番勝負」の死闘となりました。

その時の名人は中原誠十六世名人。

そして挑戦者は…

加藤一二三九段。あの”ひふみん”でした。

名人戦初挑戦から22年、加藤一二三九段はこの激闘を制し、42歳にしてはじめて名人位を獲得しました。将棋界の歴史のどこにでも顔を出す、”ひふみん”のすさまじさを感じるエピソードのひとつです。

また、コロナ禍で今期の名人戦は日程と対局場が変更されたことで「将棋会館」で第3局、第5局が行われましたが、これはその「中原-加藤」戦以来、38年ぶりのこと。想定外の「第8局」を将棋会館で行って以来のことでした。

10代から40代まで タイトルホルダー揃い踏み

藤井聡太棋聖は、現在、王位戦の挑戦者で王位獲得まであと1勝に迫っています。

棋聖戦の挑戦者決定戦、王位戦の挑戦者決定戦で戦った相手はいずれも永瀬二冠。現在最高峰の実力者をはねのけての挑戦だったことがおわかりいただけると思います。そして、永瀬叡王と死闘を繰り広げている豊島竜王・名人は、藤井棋聖の難敵で、対戦成績は0勝4敗。一度も勝てていないのです。

現在、将棋界に8つあるタイトルは5人で分け合っています。

豊島将之竜王・名人(30歳)
永瀬拓矢叡王・王座(27歳)
渡辺明棋王・王将(36歳)
木村一基王位(47歳)
藤井聡太棋聖(18歳)

※2020年8月8日現在の年齢

10代、20代、30代、40代にそれぞれタイトルホルダーがいます。これは、長い将棋界の歴史の中でも、はじめての出来事です。

10代がタイトルホルダーになった例は今回の藤井棋聖と、これまでの最年少記録を持っていた屋敷九段、その直前まで記録を持っていた羽生九段の3例のみ。

羽生竜王(19歳2か月)の誕生は1989年12月、屋敷棋聖(18歳6か月)の誕生は1990年8月と、きわめて近い時期に達成されたのですが、その他のタイトルホルダーの年齢は20代、40代で、30代がいませんでした。

各世代にタイトルホルダーがバラけているというのは、いろいろな世代の将棋ファンが同世代に感情移入して対局を見ることができるということ。その点でいうと、藤井棋聖の二冠への期待が高まる王位戦ではありますが、「40代・おじさん代表、木村一基王位」にはどうにかタイトルを死守してほしい!…そう思っている40代からアラフィフの将棋ファンは多いと思われます。なにせ、木村王位は藤井棋聖とは真逆の「初タイトル獲得の最年長記録」の保持者なのです。

史上最年少と史上最年長の王位戦

木村王位と藤井棋聖の浅からぬ縁を感じるデータとしては「藤井フィーバー」に沸いた2017年度、藤井棋聖の成績は61勝、勝率8割3分6厘。藤井棋聖の生まれる1年前、2001年度の木村王位もまた61勝、勝率8割3分6厘という記録を残しています。

木村王位は1973年生まれ。いわゆる団塊ジュニアの世代で、この世代の中でももっとも人数の多い学年にあたり、出生数は驚異の「209万1983人」。学校のクラスはたくさん、ライバルだらけ、受験戦争のど真ん中。大学進学時の合格率は65%!!(1992年)

バブル経済の崩壊が明らかになったタイミングと重なり、就職期の96年の大卒求人倍率は1.08!(バブル期は2倍を超えていた)

木村王位と同学年のイチローが引退を発表したのは2019年の3月。メジャーリーガーとしてデビューを果たしたのは2001年。木村王位が61勝、勝率8割3分6厘を達成した年。イチローから遅れること4年、23歳でプロ入りした木村王位は高い勝率を毎年のように叩きだしてタイトル戦の舞台にたち、あと1勝というところまで「8回」到達したものの、惜しくも獲得できず…という棋士人生を歩んできました。

メジャーでも華々しい活躍を見せ、引退したイチロー。その3か月後に「タイトル獲得ゼロで、挑戦は7回目」(最多記録)ではじめてタイトルを獲得したのが木村王位でした。三度目の正直ならぬ、七度目の正直。

そして、誰から王位のタイトルを奪ったのか。

「藤井棋聖が一度も勝てていない」でおなじみ、豊島将之名人なのです。

アイドルやアニメキャラ、ゲームキャラの“一推しのメンバー”を略して「推しメン」「推し」と言いますが、私の「推し棋士」は誰か…。それは、決められません。木村王位ひとりをとっても、これだけのドラマがあるんです。

「ひとり」ではありますが、もはや、抱えているドラマはアイドルでいったら「グループ」と同じくらいの重みです。対局1局は、アイドルの1曲に相当するのではないでしょうか。

プロ棋士ひとりひとりが、移り変わる流行の戦法を駆使する「48グループ」「坂道シリーズ」であり、どんなに時代や流行が移り変わっても”このやり方でいく!”というスタイルで、圧倒的に熱いファンがついている「モーニング娘。」であり、現代では使われていない昔の戦法を復興させる「アイドルネッサンス」…。

そんな風に見ることもできるのです。(振り飛車党の棋士はハロー!プロジェクトと共通項が見いだせます)

50代の羽生九段が返り咲けばさらに激アツ

ここからは妄想。

・藤井棋聖を相手に4連勝で木村王位がタイトルを防衛
・王座戦は40代久保九段に対し、20代永瀬王座が踏ん張る
・竜王戦は羽生九段が挑戦者に
・冬、50歳の羽生九段が竜王に復帰!

こうなると「10代、20代、30代、40代、50代にタイトルホルダーが!」という、さらに世代闘争が盛り上がる構図になります。

そして、ここからは提言。

40代、50代、60代の将棋ファンが「俺たちの世代代表棋士よ、がんばれ!」と熱く盛りあがることができるように、そんな願いをこめて提案したいのは、「椅子の対局をもっと増やしてはどうか」ということ。

足腰が痛みだす40代以降の棋士が対局に集中できるよう、すべての対局を、ということでなく、予選などの一部対局、もしくは半分の対局を椅子対局にし、「体力差」によるハンデをなくせないか、と思うのです。

もちろん、「そこを乗り越えてこその棋士」という、これまでの伝統も理解できます。しかし、これだけ将棋が注目を浴びている今、幅広い年齢層にずっと将棋を見てもらう、楽しんでもらうためにも、年長者の棋士も体の心配をせずに対局できる環境を作るのは、悪手ではないと思うのです。

昔、池袋演芸場へ落語を見に行った時のこと、椅子で落語を披露している師匠がいました。その時は特に詳しく説明もなくはじまったのであまり気にしていませんでしたが、寄席に行ったのがいつだったかおぼろげになってきた頃、「なぜ椅子だったんだろう?」と思い、ネットでリサーチ。

「落語界の中畑清」と名乗っていたのが印象に残っていたので、検索をかけてみると、その師匠の名は“春風亭柳桜”。病気で両足をなくし義足になり、正座ができないため椅子に座っての高座。「正座ができないから落語はできない」ではなく、「落語ができれば、それでいい」という寄席の対応。「正座をするために落語をしてるんじゃねえや!」といったところでしょうか。「伝統の世界」でくくられる落語と将棋。将棋界も落語界にならってみるのはいかがでしょう。

対局中継の際、「おやつ」や「勝負飯」が注目を浴びていますが「椅子」もまた、将棋界にとってビジネスチャンスになるのではないでしょうか。

椅子メーカーにスポンサードしてもらい、中継の中で、

「今日の対局は、〇〇社の椅子を使っています」
「この椅子、疲れないんですよね」
「体を動かしても音が出ないから、集中力が途切れないんですよ」

という風に楽しく紹介する…。

藤井棋聖に大きな注目が集まる中、「やれることはやっていく」というスタンスで攻めの一手を放ってほしい。

一将棋ファンからの提言でした。

※初稿アップのち、間違いのご指摘をいただいたため修正します。

「10代がタイトルホルダーになった例は今回の藤井棋聖と、これまでの最年少記録を持っていた屋敷九段、その直前まで記録を持っていた羽生九段の3例のみ。羽生竜王(19歳2か月)の誕生は1989年12月、屋敷棋聖(18歳6か月)の誕生は1990年8月と、きわめて近い時期に達成されたのですが、その他のタイトルホルダーの年齢は30代、40代で、20代がいませんでした」

この部分に関して、

誤「その他のタイトルホルダーの年齢は30代、40代で、20代がいませんでした」

正「その他のタイトルホルダーの年齢は20代、40代で、30代がいませんでした」

こちらが正しいものになります。お詫びして訂正いたします。