※この記事は2020年01月21日にBLOGOSで公開されたものです

オレは昭和11年(1936年)生まれのねずみ年、今年は年オトコだ。3月で84歳になる。こんな80代のジジイの言いたいことに触れる機会もしょっちゅうはないだろ。だから今年もここで見かけたら何かの縁だ。しまいまで付きあってくれりゃうれしいよ。

山田洋次監督と横尾忠則氏 寅さんめぐってトラブル

オレと同じ昭和11年生まれに、美術家の横尾忠則さんがいる。最近だと大河ドラマ「いだてん」のタイトルロゴのデザインを担当してたんだよな。その横尾さんがずいぶんと怒ってたね。新年早々の週刊ポストで記事になってたよ。「横尾忠則、山田洋次監督にアイデアを盗まれた」「公開中『男はつらいよ お帰り 寅さん』に重大トラブル発生!」ってさ。

今、公開中の新しい「寅さん」って、過去の作品から寅さんの名場面をいくつも使って、さくら(倍賞千恵子)とか満男(吉岡秀隆)とかリリー(浅丘ルリ子)とか残されたみんなが寅さんのことを思い出したりしながら物語が進むんだろ。オレはまだ観てないけど。

そうして寅さんの過去の映像を散りばめて一本作るっていうアイデアは、元々は横尾さんが数年前に蕎麦屋で山田監督に話して、それが横尾さんの知らないところでいつのまにか進んでて、気づいたら映画が完成してたって話だな。

横尾さんからしたら、どうして自分にひと言なかったんだと。そのアイデアを話したのは自分なのに、山田監督から何も説明がなかったと。お互いにモノづくりに携わるアーティスト同士で「モラルがあまりに欠けている」と。

で、横尾さんが山田監督に抗議の手紙を出したら、山田監督が慌てて説明しに来たと。その説明も「当初から横尾さんの発案だと喋っていた」とか「(公に)名前を出すと忙しい横尾さんに迷惑がかかるから」とか、ちょっと言い訳めいてて、横尾さんからしたら「それを言っちゃあおしまいよ」だったのかな(笑)。腹に据えかねて、週刊誌で事の顛末を公表したってわけだ。

横尾さんいわく、山田監督は「晩節を汚している」と。これまた「それを言っちゃあおしまいよ」だな。確かに「男はつらいよ」は国民的な素晴らしい作品だよ。日本映画の財産だよ。とくに第11作「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」(1973年)がいいね。マドンナはおなじみ浅丘ルリ子のリリーだ。あとオレも出てるの(笑)。ぜひ暇なときに観てくれよ。

しかし今回の一件で、山田監督はミソをつけちゃったのかな。でもさ、シリーズもののラストに、それまでの映像をダイジェスト的に流用するような演出は珍しくないし、今回のようなコラージュも目新しいアイデアではないと思うよ。総集編みたいなもんだろ。だから横尾さんが山田監督に話したアイデアは特別オリジナリティある案ではないと、横尾さん本人もわかってると思う。

だけども、それまで一緒に仕事をしたり蕎麦を食ったりする親しい仲だからこそ、友人だと思っていたからこそ、親しき仲にも礼儀ありなわけで、その礼儀を欠いたことが、横尾さんには我慢ならなかったんだろうな。

別にクレジットに名前を入れてくれ、金をくれって話ではないんだろ。あのときの話がキッカケで企画が進んでいるよってひと言がなかった、個人的に手紙を出したあとの山田監督の対応にどうしても納得がいかなかった、その思いを自分だけに溜めこんでおけなかったんだな。世間に聞いてほしかったんだな。

横尾さんってね、オレも過去に1、2度会ったことがあるよ。真面目で几帳面な人っていう印象だな。昭和40年の前後にさ、当時立川談志がやってた事務所「DANプロ」が麹町の雑居ビルにあって、その上の階が横尾忠則さんのアトリエだったんだよ。談志は横尾さんと友達で、「変わってて面白いヤツがいるよ」って横尾さんのこと認めてたよ。ちなみにこのときの「DANプロ」をオレが引き継ぐ形で「まむしプロダクション」が出来たんだけどね。

山田監督は寅さんを一人で囲い込み過ぎ

なんだかさ、山田洋次監督は寅さんを一人で囲い込み過ぎなのかもしれないね。映画だって初期の3作目は森崎東監督だし、4作目はテレビシリーズのときに演出をしていた小林俊一さんだった。だけど、その後はずーっと山田監督だから、もはや寅さんは山田監督のものっていうのは誰もが思ってる。その通りなんだけど、そうなったことで例え松竹でも「寅さん」に関して監督に余計なことは言えない空気なんじゃない?

今回も松竹の中で前々から横尾さんにまつわる情報は回ってたはずだよ。「この企画は横尾忠則さんが話してたアイデアでもあるらしいから、山田監督から横尾さんにスジを通しておいてもらったほうがいいんじゃないか?」「いやいや、監督はすっかり自分で考えたみたいになっちゃってるし、余計なこと言って監督の機嫌を損ねたら面倒だよ、そっとしておこう」なんてね。よくある忖度だ。だけど忖度がのちのち、事態を悪化させることってよくあるよ。そう考えるとれは山田監督だけの責任ではないよな。

あのさ、誰かが話していた話を、前々から自分が知ってた話のように話すヤツっているよな。「これは〇〇さんが言ってた話だけど」っていう前フリを言わないで、いかにも自分のネタのように話しちゃうヤツ。どうだい、あなたの身の回りにもいるんじゃないか?

オレはそういうことのないよう気をつけているよ。テレビでもラジオでも取材でも、芸能人が公の場で話すってことは仕事なんだ。その仕事で他人のネタを断りなく自分のもののように使って、それで金を稼いだら泥棒だもの。寄席芸人の世界でも他の芸人のネタをパクって、こっそり舞台でやるヤツは仲間内ですごく軽蔑されるんだ。

あと困っちゃうのは、他人の話と自分の話の境界線が悪気なくルーズなヤツ。元々はオレが喋った話なのに「あのさ、こんな話を聞いたんだけどね」ってオレに話してくるヤツ。おいおい、それはオレが言った話だろって! 「あ、そうだったか?」なんてそいつに悪気はないんだ。

だけど、こういうことがビジネスのアイデアで起きたら、それは「盗作」「盗用」になるから慎重に気をつけないとね。

横尾さんと山田監督の一件、横尾さんの抗議を受けて、山田監督も松竹も横尾さんの言い分を認めた形になってるのはいいことだと思うよ。誤りを指摘されたら対応する、それが真っ当な姿だ。それに比べて今の内閣は、誤りを正そうと指摘した途端に、その証拠文書を隠滅しちゃう。寅さんも呆れるよ、「それをやっちゃあおしまいよ」って(苦笑)。

AI美空ひばりは「感情のない作り物」

そうそう、「お帰り 寅さん」ともつながる話だと思うけど、紅白歌合戦で美空ひばりさんのAIってのが出て歌ってたね。あれ、NHKスペシャルで昨年秋にやってたよな。こんなプロジェクトをやっているって。きっと紅白ありきで進めてたんだな。まあ、ハッキリ言うけど、AIの美空ひばりさんは気持ち悪かったな。

AIの進歩はすごいってことなのかもしれないけど、見せられたのはまだ不完全なものだったし、もしこの先さらにAIが進歩して、喋ったり歌ったりがもっと自然になって、動きや表情もさらにリアルになって、ひばりさん本人と寸分違わないレベルになったとしても、たぶん変わることなく気持ち悪く感じると思うな。

だって結局のところ作り物だろ。作り物の映像と声が美空ひばりに扮して本人のフリをしているってことだろ。その作り物が発する表現がどんなに精巧でも、本質はコンピューターが生み出したロボットなんだよな。大舞台でも緊張しないし、汗もかかないし、失敗もしない。まあ、緊張や汗や失敗までプログラミングされたら、ますます気持ち悪いけどね。

一見、感情があるフリをしてるけど、その中身は感情のない作り物。それがやっぱり気持ち悪いよ。

リスペクトがあればおこがましくて出来ない

それに、いくら遺族だろうと、親交のあった作詞家だろうと、レコード会社だろうと、美空ひばりという偉大なアーティストの口を借りて、言ってもいないことを言わせ、歌ってもない歌を歌わせることは、おこがましいと思う。

大きな功績のあるアーティストに対するリスペクトをどう抱くか、そのことが問われてる。あのさ、ヴェートーベンやモーツァルトやプレスリーやビートルズの新曲を、誰かが公に作っていいと思う? そんなこと出来ないんじゃないの。だって彼らの偉大さをみんな知っているし、畏れ多いことだもの。

作る側は必ず「ファンの為」っていう大義名分を言ってくるけど、本当に真摯なファンであれば、そういうことがアーティスト本人の遺志とは関係のないところで行われる、おこがましく畏れ多いことだって、いちばん知ってるよね。

なのにAIで美空ひばりさんに喋らせて新曲を歌わせるってことを、あんなふうに堂々と出来るってのは、ひばりさんのことを本心では畏れ多く思ってないからじゃないの? 

だって、あの喋りも歌も、現実には作家とか作詞家が、ひばりさん自身の許可を得ることなく作って喋らせて歌わせて、裏であやつってるわけだろ。だとしたら、ひばりさんはAIという名の元に腹話術の人形にされちゃったってことなんじゃない?

なんだか昔のテレビを思い出すね。夏場になるとよく怪談特集みたいな番組で恐山のイタコが出てくるんだ。降霊だとか言って「あたし、マリリンモンローよ」って喋り出したりしてさ。イタコって人達にも色んな方がいるんだろうけど、なんだかうさん臭いのもいたよ。

そのうさん臭さをひばりさんのAIに感じちゃった。AIイタコだな(苦笑)。そういうことをNHKが先棒担いでやってるのもどうかと思うよ。だって結局、これをやってる面々にとっては新しいビジネスなわけだろ。えっ、もうCDにして年末から売ってるの? おいおい、商売お盛んだな・・・。

ひばりさんはもう亡くなっているんだからさ、それぞれが思い思いに偲べばいいのにね。芝居の名作「瞼の母」で最後に番場の忠太郎が言うだろ。「俺ぁこうして両の瞼を合わせりゃあ、おっかさんの優しい面影が浮かんでくるんだ。それでいいんだ。おっかさんに逢いたくなったら瞼を閉じるんだ」ってね。逢いたくても逢えない人を思うのは、これぐらいでいいんじゃないの? うーん、オレって古いのかね・・・。

ああ、「男はつらいよ お帰り 寅さん」に「美空ひばりさんのAI」・・・、なんだか年末年始は亡くなった人を使ってどうこうってのが目についたね。まるでお盆だよ。盆と正月がいっぺんにやってきたってのは、こういうことを言うのかね(苦笑)。

(取材構成:松田健次)