※この記事は2020年01月15日にBLOGOSで公開されたものです

LINEが提供し始めた「オープンチャット」(オプチャ)という機能がある。LINEグループとは違い、見ず知らずの複数人のユーザーとチャットを楽しめる。当初は、出会い系投稿対策で、一時、運営側は公式検索機能をクローズした。そのため、非公式のオプチャ検索ページができていたこともある。最近、ようやく公式に検索ができるようになった。

筆者も当初から、メンタルヘルスに関連するオプチャを作っていた。特にルールを設けていなかったため、参加人数が増えると、タイミングによっては話したいことを話せない人が出てきていた。そのため、自由な投稿がされるよう、別のオプチャの宣伝も許容していた。

ある時、参加者の一人が、自身が管理するオプチャの宣伝をし、関心を持った別のユーザーがそこに参加した。それ自体、何も問題がないが、そこで、セクハラと受け止められるやりとりがなされた。それによって、当該オプチャへ参加したユーザーの一人が傷つき、自殺未遂をするということがあった。

オープンチャットを抜けます。私は生きちゃいけない

筆者は、オプチャを開設したことをブログに書いた。未遂をした大学生の真莉(仮名、21)は、チャットルームの名前でネット検索をして拙ブログにたどり着き、そこから連絡を取ってきた。

〈いろいろあったので、オープンチャットを抜けます〉

というLINEのメッセージが送られてきた。私もトラブルがあったオプチャに参加しており、事情を知っていたので、仕方がないと思っていた。このやりとりを通じて、筆者が真莉を取材することになった。ただ、その数週間前に、こんなLINEのメッセージが送られてきた。

〈すみません。私、やっぱり行けません。このまま死にます。今回オープンチャットで叩かれてよくわかった。私は生きちゃいけない…〉

メンタルヘルス系のチャットが荒れることは珍しくはない。かつて、Yahooチャットが盛り上がっていた2000年代前半の頃、「健康」というカテゴリーには、様々なメンタルヘルス系のチャットルームが作られた。誰もが自由に入れる部屋が多かったため、荒らされることも多かった。私はそれを思い出していた。

真莉は結局、自殺未遂をして、精神病院に入院することになった。そのため、取材は当面できないと思っていたが、〈なんでも話をします〉というメッセージが送られてきたため、再度、取材の日程を調整した。

先天性の病気。周囲との違和感。いじめも受けた小学生時代

真莉は、安心できる場を経験してこなかった。先天性の病気があり、生まれてから幼稚園に入るまで、ずっと入院をしていたのだ。

「自分で食事するのも難しかったんです。入院が長かったので、親とのコミュニケーションも十分にできませんでした。私にとっては、家庭が安心できる場ではなかったんです。今でも、家は、他人の家のようです」

こうした経験が、真莉自身がコミュニケーションを苦手に感じるベースにある。どう話していいのか、どんなタイミングで話せばいいのか、といった初歩的な経験をしていないのだ。

「小さい時の出来事が念頭にあるんじゃないかと思っています」

周囲に違和感を抱いたのは小学校の頃からだった。たまに話しかけられたり、輪に入れてくれたこともあったが、自分からクラスメイトに話しかけることが苦手だった。

「何を話せばいいのか、話しかけるタイミングもわかりませんでした」

5年生のとき、机の引き出しの中身を全て出されてしまい、そのまま放置されたことがあった。加害者は5人。それ以外のクラスメイトは見てみぬふりをしていた。

「クラスは荒れに荒れていました。学級崩壊です。先生の統制も取れていません。荒れた瞬間は、担任以外の先生が入ってきましたが、いつもではありません。一度だけ、教頭先生に相談したことがありますが、クラスの雰囲気は変わりませんでした」

6年生のときは、加害者とは別のクラスにしてもらった。これでいじめの被害を受けることはなかった。しかし、やはりクラスの輪に入ることが難しい。違和感は続いていたのだ。

中高時代は吹奏楽部に所属。やはり輪に入れない

中学になってもそれを引きずる。吹奏楽部に入った。3年間で、最大40人の部員がいた。パートはパーカッション。1年生だけで8人のメンバーだった。

「やはり、輪に入ることができずにいたんです。部活自体は楽しいんです。何か言ってくれる先輩はいたんですが…」

クラスにも友達はいなかった。先天性の病気のためか、真莉の話し方には特徴がある。ゆっくりで、滑舌がよいとは言えないが、それをクラスメイトが真似た。

「バカにされました。風邪で休んだことはありましたが、基本的には、学校は休みませんでした。だって、休むのは負けだと思うから」

真似をされ、バカにされるということは、いじめだろう。先生に助けを求めることもあったが、具体的な「助け」にはならなかった。

高校に入っても友達はできずにいたが、吹奏楽部に入ることにした。

「でも、先輩から悪口を言われたんです。いろいろ言われました。だから3ヶ月でやめました。先生とか、別の先輩からフォローされましたが、もっといじめがきつくなったんです。あまりいい気がしませんでした。どうして私ばかりそういう目に遭うの?」

ストレスがたまり、高校で自殺未遂。親には伝えていない

ストレスがたまりにたまった高校2年の春、高校のバス停のところで、走ってくるバスの前に飛び出そうとした。

「そのとき、具体的に何か嫌なことがあったわけじゃないんです。突発的に飛び込もうとしたんです。そしたら、担任の先生が近くにいて、腕を掴まれたんです」

また、真莉は校舎の高いところから飛び降りようとしたこともあった。

「記憶はぼんやりしていて、何階かは覚えていないんです。でも、誰か大人の人に止められたのを覚えています。何か言われていたと思いますが、その内容は曖昧です」

このことは担任にはバレている。担任は、真莉が急にいなくなったということで、探し回っていた。そのため、担任に伝わるのが早かった。しかし、友達にも言ってないし、家族も知らないという。

「精神科には行っていません。親も自殺未遂のことを知りません。ただ、感情が高まると、自殺未遂の繰り返しです。未遂のことは、自分のメモにも書きませんし、ネットの友達にも相談しません、一人で抱え込んでいます。知っているのは担任だけ。心配してくれています」

ネットトラブル後のOD。原因は他にもあった

大学に入ってからも、未遂を何度かした。オプチャ内でのトラブルがあったときには、大量服薬(オーバードーズ、OD)をした。〈このまま死にます〉と筆者にLINEのメッセージを送ったものの、実は、自殺企図というよりは、自傷行為の延長だった。

「ネットで知り合ったけれど、実際には会ったことはない友達が飲んでいたのを真似した形です。でも、このときは、死のうとしたわけではないんです」

原因は、チャットのトラブルだけだったのだろうか。

「インターンシップの候補先の会社に落ちたタイミングでもありました。辛いことが積み重なっていたこともあり、それらを忘れるためでもありました。落ちたのは、親の期待を裏切ることにもなりますし」

両親としても、先天性の病気がある中で、大学まで進学できた真莉に期待しているのだろうか。少なくとも真莉は、そう感じている。

「このとき、親の期待に応えられない私はいないほうがいいと思ったんです」

「できるだけ未遂を減らし、なくしたい」

しかし、未遂後に、ずっと心配してくれている友達の親と話す機会があった。

「その人は、私以上に、私のことを理解していると思います。今は、『親は親』、『私は私』と割り切っています。辛い時には、その人にSOSを出せばいいんじゃないか、とも思っています。でも、実際に発信したら、迷惑かな?とも思ってしまいます」

未遂後、他人と話をすることで考え方が変わるということは、まだ思考が柔軟で、心理的な視野狭窄になっていないのではないかと思える。

「色々たまりにたまって感情が生まれることが多いんですが、できるだけ未遂を減らし、なくしていけたらと思っています。親に話すことは私の場合はできないけれど、友達とかに話をして、助けを求められるようにしたい。とりあえず、ネットの友達には言えるようにしていきたい」

*記事の感想や生きづらさに関する情報をお待ちしています。取材してほしいという当事者の方や、リクエストがあれば、Twitterの@shibutetu まで。