国を守ろうとした中曽根元総理 自分を守ってばかりの安倍総理 - 毒蝮三太夫
※この記事は2019年12月28日にBLOGOSで公開されたものです
今年も多くの方があの世に旅立たれたけど、政界では中曽根康弘さんの訃報が大きかったな。何しろ101歳、長生きだったよ。中曽根さんは群馬3区から衆議院で当選20回。戦後では最多回数当選だって。強かったよね。
総理大臣に上り詰めてからは自民党内での影響力も大きかったんだろうね。党では比例代表の「終身1位」を約束される大御所に君臨。だけど派閥や世代が違う処からは、歳を重ねるごとに煙たがられるようになっていったんだろうな。
定年制掲げて引退迫った小泉純一郎
2003年に小泉純一郎総理が、自民党内で上の大御所が詰まっちゃって下の若い衆が党公認で選挙に出てこれないっていうんで、定年制を掲げて中曽根さんに引退を迫ったんだよね。中曽根さんはそのときすでに85歳。最初はゴネて「引退しない」って突っぱねたけど、あれこれ内輪の取引があったんじゃないの? 中曽根さんは息子の中曽根弘文さん、孫の中曽根康隆さんと、代々議員なわけだしね。その厚遇とかさ。
でもまあ、そんなこともあって、中曽根さんと小泉さんは因縁あっての犬猿状態。中曽根さんの訃報が流れたあと、小泉さんはずっとノーコメントだったよね。
中曽根さんの地盤である群馬3区は福田赳夫元総理と一緒なんだよね。福田さんのほうがひと回り年上だから大先輩だな。確か票数では中曽根さんって福田さんに一回も勝ったことなかったんじゃない? 上には上がいるもんだよ。
福田さんと中曽根さん、二人とも群馬の名門校・高崎高校の出身だ。地元じゃ「タカタカ」っていうんだよな。この高崎高校が初めて甲子園に出ることになって(1981年・春の選抜)、我が母校の大事だってんで、福田さんも中曽根さんもここぞとばかりに寄付金を集めたんだってさ。地元の名士ふたりが競うように金集めたから、ものすごい額の寄付金が集まっちゃったんだって。そしたら肝心の野球部は甲子園で一回戦負け。勝ち進んでたら金も使うけど、負けちゃったから寄付金がたんまり余っちゃった。結局その金で学校に体育館が建ったってさ。すごいね。そういう話を地元で耳にしたよ。
功罪合わせ残した実績は指折り
中曽根さんは東京・日の出町を有名にしたよね。奥多摩のほとんど知られていなかった場所に日の出山荘って別荘を持ってて、そこにアメリカのレーガン大統領を招いて首脳会談をしたことで、日の出町が全国に知れ渡るようになったんだ。いわゆる「ロン・ヤス」の発祥の地だな。
地元の人に聞いたらさ、あの山奥に大統領が来るってんで、デコボコだった道が急に舗装されてすごくキレイになったって。山の林の中にまで警官がたくさん立ってさ、タヌキも逃げ出す厳重な警備だったって。
あと、箱根にも縁があったよね。「♪箱根の山は天下の嶮~」って歌があるだろ。「箱根八里」か。あの歌が出来たご当地の芦之湯・・・、ちょうど正月の箱根駅伝で山を上ってくる最後のコースがある辺りだ。あそこに東光庵っていう庵(いおり)があって中曽根さんは毎年通ってた。そこに中曽根さんが詠んだ俳句の句碑が残ってる。「くれてなお命の限り蝉しぐれ」という一句だ。
風見鶏と呼ばれてあっちについたりこっちについたりで渡り歩いて総理になった人だけど、歴代総理、戦後昭和の総理、数々いる中で中曽根康弘さんは功罪合わせて残した実績ということでは指折りの人物だった。総理在任5年の間に国鉄分割民営化であったり、防衛費のGNP比1%突破や不沈空母発言が物議をかもしたり・・・海軍出身だからあの発言につながったんだろうけど、他さまざま戦後にあった日本のカタチを変えることをしたよな。
平成以降軽くなった日本の総理大臣
思えば、吉田茂、鳩山一郎、佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘・・・、戦後の総理は人間が重たかったな。日本のトップに立って国を動かしていく中で内外から様々な反発や圧を受けるわけで、それこそ命を賭していたよ。
それに比べたら、平成以降の総理はどんどん軽くなってるんじゃないの?
平成は宇野さんから始まって、海部さん、宮澤さん、細川さん、羽田さん、村山さん、橋本さん、小渕さん、森さん、小泉さん、安倍さん(第一次)、福田さん、麻生さん。そのあとが民主党政権で、鳩山さん、菅さん、野田さん。そして現在の安倍さん。
昭和と平成を比べると、総理大臣という人間の重みがどんどん軽くなってる。そう、感じざるをえないよ。
なんなんだろうね? 安倍さんはいつも一緒にいる麻生さんも含めて、人間の中身につながる教養を見事に感じさせないね(苦笑)。二人とも漢字の読み間違いが多いからそういうイメージになるのかな。
まあ、会話の端々や、言葉の使い方を聞いていれば、そうなるよな。それに、自身が発した言葉に対する責任の取り方も軽い。薄く短い言葉で逃げちゃうからね。そうだな、人間が軽いっていうのは言葉が軽いってことなんだな。
「答えない」という答弁が民主党政権の4倍に
なんだ編集部、最近の毎日新聞に安倍内閣の言葉遣いに関する記事があるのか? なになに、「『お答え控える』安倍政権の答弁、『悪夢の民主党政権』の4倍 12年105回が19年420回に」――、へえ~、質問に答えない回数を数えたら、2012年の民主党時代に比べて今年2019年の安倍さんは4倍だったのか。すごいな4倍って(苦笑)。
言われてみたらそうだろうな。「桜を見る会」問題は次から次と聞きたいことが出てきてるのに、野党がいくら質問しても「その答えは差し控えます」とか「定義できないので回答できません」とか、答えないという答えが大渋滞だ(苦笑)。
官僚の誰かが「わかりましたというのは、趣旨は理解しましたが必ず確認してきますと申し上げたわけではありません」なんて屁理屈を言ってたのも耳に新しいよ。
もはや安倍さんを筆頭に、菅官房長官、閣僚、官僚、みんなで「いかにして答えないか」という大会を開いているみたいだよ。大晦日に官邸にみんな集まって優勝者を発表したりしてな。「2019年度 安倍内閣 質問に答えないグランプリ 優勝は・・・安倍総理です! 準優勝は菅官房長官です!」なんてな。「総理、今回の勝因は?」「ええ、そのお答えは差し控えさせて頂きます」とか言ったりして・・・あー、バカバカしいや(笑)。
安倍さんは問題が起きると、だいたい最初のほうはこう言うよ。「ええ、この件に関してはですね、国民の皆さんに、ええ、理解を頂けるよう、丁寧に、説明して、まいりたいと、思います」って。モリカケの時もそうだったし、「桜を見る会」が問題に上がった時もそんなこと言ってたよ。だけど、そう言っておいて次に出てくると「ええ、その件につきましては、お答えを、控えさせて頂きます」になっちゃう。
これは「丁寧に説明している」のではなく、質問には一切答えませんということを「丁寧に言っている」だけ、「答え」に「お」をつけて「お答え」という言い方にしただけ、丁寧なのは内容じゃなく言葉遣いだけ・・・(苦笑)。
それでもって、問題を明らかにするための証拠となる肝心の公文書は、改ざんされたり隠されたりしちゃうしな。「桜を見る会」で大きなカギを握る「招待者リスト」は、野党が資料請求した日にシュレッダーにかけちゃう。こうなるとさ、あらゆる証拠は「丁寧に」消しますって話だもの。
質問に答えないのはなぜか? それは安倍さんが自分の身を守るため。保身だな。
中曽根さんを始め、昭和の歴代総理たちはさ、この日本をどうするか、この国をどうすれば守っていけるのかってことで、政治家としての言葉を発していた。だから言葉が重かった。安倍さんはどうすれば自分がやった公私混同をうやむやに出来るか、自分を守れるか、ってことでその言い訳ばかり発してる。
しかも自分自身の言葉ですらなく、官僚が作った原稿の読み上げだったりする。
答えない総理、答えない内閣、またその数を今後もカウントし続けてさ、毎日新聞さんにはぜひとも来年も記事にしてほしい。いっそのこと毎年年末に、永田町の「質問に答えないグランプリ」として大々的に発表してほしいな(笑)。
自己保身の薄っぺらい言葉が減ってさ、そのぶん国政に関する言葉が少しでも増えることを願うばかりだな。
(取材構成:松田健次)