「レイプ犯はあなた? 僕には関係ありませんね」 - 赤木智弘
※この記事は2019年12月21日にBLOGOSで公開されたものです
南米チリから生まれた「A Rapist in Your Path」という曲に合わせて踊りながら、「The Rapist is You」と指差すことが世界の各地で流行っているらしい。(*1)
ああ、ダンスは楽しいかい? でも僕には関係がない。
だって、俺はレイプしたことないもの。
「レイプ犯はあなただ」などといわれても、レイプしたことのない僕には関係がない。
歌詞を見ても、僕は家父長制ヒエラルキーの上にはいないし、警察や大統領でもない。そして何より格差の放置により、国家に抑圧されている側だ。
「抑圧的な国家は 男性のレイプ犯そのもの」を是としたところで、どうせこれを踊っている人たちは家父長制というジェンダーの問題と、男性という身体的属性の区別もついてないんでしょうよ。
「男はみんな家父長制の手先」みたいな傲慢が透けて見える。
僕から見ればこのダンスは、白人が「強盗犯はあなた」と白装束で三角形の頭巾をかぶって黒人を指して踊っていたり、極右勢力が旭日旗をはためかせながら「嘘つきはあなた」と在日朝鮮人や韓国人を指して踊っているのと同じである。
要は、このダンスは「差別ダンス」なのである。
肌の色や民族という属性で一方的に断罪することは差別そのものなのだから、男性という属性で「レイプ犯はあなた」などと一方的に断罪することも、当然差別である。
黒人差別や民族差別が、やっている側からすればとても気持ちいいように、女性からすればひとくくりに男性を差別することはとても楽しいのだろう。このダンスを踊る女性たちからは楽しさがにじみ出ている。楽しいから流行する。これをフェミニズムの人たちは喜ぶのだろう。
しかし、その正体はすでに明白なように差別ダンスだ。
こうしたダンスの流行を、本当に男女平等を達成したい人なら、問題視しなければならないのである。
この歌詞をよく見てみて欲しい。
最後の方に「恋人の警備兵を見なさい」とあるではないか。
この曲の歌詞は最終的に、国家による暴力装置に抱かれることで安心を見出しているのだ。
それは抑圧的な国家における「安全安心」という観念そのものではないか。
警備兵という国家から任命された暴力装置をもって、自分たちと異なる他者である「悪党」を抑圧することで純粋な少女は「甘い笑顔の夢を見る」のである。それはまさに他者を遠ざけて良しとする「差別の正当性」を主張してしまっている。家父長制の特徴とは「権力者による身内と他者という線引き」である。
そして「他者と認識されたくなければ、権力者のいうことを聞け!」ということが家父長制における抑圧の形である。
だから「ママを愛する頼もしいパパ」が妻を敵と認識した途端に「DV夫」になる。それは変質ではなく、身内への愛と敵への暴力は表裏一体であるということに過ぎない。
だからこそ、家父長制から逃れるためには「権力者から他者扱いされることを恐れない」「身内と他者を区分しない」ことが必要なのである。
しかし、このダンスの歌詞は「恋人の警備兵」という抑圧者である国家権力に愛されることを望んでいる。つまりこのダンスの趣旨は「私たちを愛してくれ」でしかないわけである。「私たちを身内として愛して、レイプ犯を他者にしてくれ」と主張しているのである。
それは国家権力に対する抵抗や反発ではなく、国家権力に対する撞着に過ぎない。
白人至上主義者や、民族主義者というのは、まさにこの国家権力に対する撞着を起こした人たちだ。
彼らは常に「我々こそが国家権力の身内である」ということを主張するために、「あいつらは他者だ!」と叫ぶのである。このダンスのように指をさして仲間同士で寄り集まって大きな声で!
だから、このダンスも本質的に「差別ダンス」なのである。
本当にレイプ犯を批判し、女性の権利を守りたいと思うなら、男性全体をパフォーマンスで批判するのではなく、本当にレイプをした個人をしっかり認識して批判する必要がある。初期の#metooは、ちゃんと個人を批判していたのに、その流れが曖昧になってしまったのは非常に残念である。
こんなダンスを世界中でやったところで、レイプ犯は反省なんかしないし、レイプをしたことのない男性は「俺のことではないから知らない」と通り過ぎるのが当然である。
まぁそれを指して「やはり男性は女性に無関心だ!女性の権利を守れ!!」と大げさに騒いだ方が儲かると考えている人たちが世界中にいるから、このダンスが流行しているのだろう。
とても残念なダンスである。
*1:ついに国会で「レイプ犯はあなた」が歌い踊られる、世界を圧巻するその歌詞を【全訳】(FRONTROW)https://front-row.jp/_ct/17325700