「人が連続殺人犯に惹かれるのは自分の悪を認識しているから」 映画『テッド・バンディ』監督が語る凶悪犯の魅力 - 清水駿貴
※この記事は2019年12月20日にBLOGOSで公開されたものです
1970年代のアメリカで30人以上の女性を殺害したとして、「シリアルキラー(連続殺人犯)」の語源となった実在の男を描いた映画『テッド・バンディ』が20日、公開された。
テッド・バンディに扮するのは『グレイテスト・ショーマン』で話題を呼んだザック・エフロン。ヒロインのリズ役には『白雪姫と鏡の女王』などに出演のリリー・コリンズがキャスティングされた。メガホンを取ったのは、ドキュメンタリー分野で高い評価を受けるジョー・バリンジャー監督だ。
20年以上にわたりノンフィクションの世界で活躍し、Netflixオリジナルドキュメンタリー『殺人鬼との対談:テッド・バンディの場合』も手がけたバリンジャー監督が、今回、劇映画の世界に飛び込んだ理由、そしてなぜ人は「悪」に惹かれるのかをインタビューした。
『テッド・バンディ』あらすじ
IQ160の頭脳と美しい容姿で、司法やメディアを翻弄した稀代の殺人鬼テッド・バンディ。
その余罪はいまなお謎に包まれており、本当の被害者の数は誰も知らない。刑務所には連日多くのファンレターが寄せられるなど、魅惑的なカリスマ性を持ち合わせていたバンディは3度死刑判決を受けるも、無罪を主張した。
長年の恋人リズの視点を通して描かれる善人としての姿。死刑を目前に控えた時、バンディは彼女にある真実を伝える-
(※以下ネタバレを含みます)
連続殺人犯テッド・バンディのすごさは「人を騙す能力の高さ」
--監督はNetflixのオリジナルドキュメンタリーでも、連続殺人犯テッド・バンディの姿を追ってきましたが、今回大きく異なるのは俳優たちの力が加わったことだと思います。主演のザック・エフロンの演技によって、監督が新たに見出せたバンディの側面はありましたか
テッド・バンディのすごさは、人を騙す能力の高さです。逮捕が報じられた後も、周囲の人間は彼がそんな凶悪な殺人者であるはずがないと信じていました。友人たちは「名前も同じで、同じ車種の車に乗っている人が捕まったなんて嘘みたいね」などと話していたといいます。僕はその話を信じられませんでした。ひどい罪を犯した人間が、魅力的であり続けることができるのかと。
しかし、ザックが演じてくれて初めて、テッド・バンディの魅力的な一面を見ることができました。ザックが自然に持っているカリスマ性を、非常に有効な形で演技に反映してくれたのです。彼がテッド・バンディになった瞬間、「こういう風に人を誘惑していたのか」と深く理解することができました。
--なぜ今回、長年携わってきたドキュメンタリーという分野から劇映画という世界にアプローチを変更したのでしょうか
手法は変わりましたが、ノンフィクションから離れたつもりはありません。長いことドキュメンタリー作品を撮っていくと、テーマは毎回新鮮ですが、同じプロセスの繰り返しになってしまいます。フィクション映画を作ることで脳の新しい筋肉をエクササイズすることができますし、物語化することで違ったアプローチができました。
ドキュメンタリーは文字通り真実を捉えなければならないし、感情的な側面を描いてしまうことが適正ではない場合もあります。しかし、脚本のあるフィクション作品であれば、感情的な真実を捉えることが許されます。
今回の作品のミッションは、ヒロイン・リズの視点からテッド・バンディという人物を観客に見せることで、「もしかして彼は無実なのでは?」と思い込ませることでした。そうすることで、真実が明かされた時、観客は感情的な衝撃を受けることができます。裏切りと偽りの肖像画でもある今作を成立させるためには、観客にバンディへと寄り添うような気持ちになってもらわなければなりませんでした。
もちろん、ザックの演技力も大きかった。もし、この体験をドキュメンタリー映画でやろうとしたら、と想像してください。ありえないでしょう。偽りの部分を見せておいて、最後に真実を明かすという手法はフィクションだからこそできたわけです。
たとえどんなに恐ろしい相手でも、映画のためには関係作りが必要
--ドキュメンタリーの制作時に比べて、自由に表現できたと感じる部分は多くなりましたか
僕は全てのフィルムメイキングはとても主観的な行為だと思っています。しかし、与えられるツールはフィクションとドキュメンタリーで変化します。
ドキュメンタリーでは真実から外れてはいけないし、観客の気持ちを喚起する作り方は難しい。一方、フィクションではリアリティを生み出すために、エモーショナルな表現を使えます。そういう点で、開放感がありました。
僕はドキュメンタリーとフィクションのどちらも好きですけれどね。
--実在の連続殺人者というテーマは、すごくセンシティブです。制作や取材のうえで、監督は自身の感情と作品をどのように切り分けていますか
ドキュメンタリー映画を作るには、その対象者とある種の関係を築かなければなりません。たとえ相手がものすごく恐ろしい行いをした人間であっても。
それが作り手にとっても対象者にとっても混乱を招くことは多い。でも、作り手は編集の段階で、いったんそれをシャットアウトして、なにが真実かを見極めて、映像を作っていく必要があります。
これは、時に作り手にとっても対象者にとっても辛いことです。例えば、誰かをカメラの前で話してもらうように必死で説得して、撮影することができても、誰かを傷つけてしまうような真実を見つけてしまう場合があります。しかし真実から外れることは許されません。時に、現実を映し出す勇気を持たなくてはならず、そういった気持ちと向き合うのはすごく難しいですね。
なぜ私たちは凶悪な殺人犯に惹かれるのか
--テッド・バンディは過去、映画や書籍、ドキュメンタリーなどさまざまな媒体で取り上げられています。なぜ人はこれほどまでに「悪」に惹かれるのでしょうか
犯罪や悪というものに我々が惹きつけられてしまうのは、複数の理由があると思います。
ひとつは「恐ろしいもの」に注意を向けてしまう遺伝子レベルの習性です。現代では交通事故があった時に、それを見たいがために周囲の車がスピードを落とすという現象があります。好奇心と、自分に悲劇が起きなかったことを良かったという気持ちがその行為には現れているのではないでしょうか。
それに加えて僕自身は、人間は善と悪の行いをするためのキャパシティを持っていて、誰もが自分のなかでその二つの側面における行為を棲み分けることができると思っています。
アメリカでは神父のペドフィリア(小児性愛)が事件になりましたが、ミサの時は自分を善だと思い、翌日には子どもに虐待を加える。自分のなかで棲み分けができているからこそ、そういった二面性を持つことが可能なのではないかと思っています。
誰もが自分に誇れないようなことをした経験があると思います。そのなかで一線を越えてしまう人がいて、彼らの姿を私たちが見たいと思ってしまうのは、自分のなかにあるキャパシティを認識しているからじゃないかなと思います。どこかで、なにかが起きたら自分は悪に傾くのではないかと、考えてしまう気持ちがあると思います。
「連続殺人犯=社会にはまらない人間」は間違い
--日本では知名度は高くないテッド・バンディですが、アメリカの人たちが抱くイメージはどんなものですか。
アメリカ人の多くは彼に魅了されます。我々の持っている連続殺人犯のステレオタイプをぶちこわす存在だからです。連続殺人犯というと、社会にはまらない人物をイメージしがちですが、テッドの事件から学べるのは、信頼できると思っている隣人でも恐ろしいことをなし得るということです。
--テッド・バンディの事件が起きたのは1970年代です。現代アメリカの若い人たちにとってはどういう存在でしょうか
この映画を作ろうと決める前に、当時大学生だった20代の娘2人に電話してバンディのことを知っているか、聞いてみました。結果、2人とも「知らない」と答え、娘たちの友人もほぼ全員が彼の名前を知らないことがわかりました。
映画は被害者リズの視点から物語が綴られていますが、彼女の視点でテッド・バンディの事件を伝える意義を感じました。娘たちにとって学びがある映画になると。なりすまし行為による犯罪などが起こる今の時代、美しく魅力的だからといって簡単に人を信用してはいけない、盲目的に人を信じてはいけないというメッセージを、娘や皆さんの世代に向けて込めました。
Netflixの登場で映画制作の現場は変化したのか
--今回、日本など複数の国を除いては、劇場公開でなくNetflixでの公開となります。普通の映画を作る際と異なっている点はありましたか。
いい質問ですね。スクリーンのサイズは制作時には考えません。観客にとってどれだけインパクトがあるのかを考えます、映画の300人、テレビの前の3人、スマホの前の1人というのはどれも一緒です。
私がドキュメンタリー映画を作り始めた25年前は、もちろんストリーミングサービスなどありませんでした。作品ができあがっても、配給権などの問題で上映できる場所は1~2箇所。多くの人には見せられませんでした。しかし、Netflixをはじめとするストリーミングの革命が起きたことで、国際的な観客、視聴層ができ、映像を届けられる人の数がものすごく増えました。
例えば今回の映画はNetflixでリリースされて最初の28日間で、7000万人が視聴したと聞いています。フィルムメーカーとしては、こんなにも多くの方に見てもらえるということは夢でもあり、とても魅力的なことです。
ただ、そのために諦めないといけないのは、劇場でひとつのコミュニティとして同じ作品を楽しむ体験です。私が映画作家になったのは、そういう体験が原点でした。しかし今では、映画館とは違った方向でのコミュニティ作りがされているのではないかと思っています。
Netflixであろうとテレビ局であろうと、制作費の規模は変わりません。ただ、世界中の視聴層に向けて仕事をすることができるというのは、我々にとっては素晴らしい機会なのです。
『テッド・バンディ』
12月20日(金)より、TOHOシネマズ シャンテ他で全国ロードショー
配給:ファントム・フィルム
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